公的年金を受け取り始めることができる年齢は原則65歳です。しかし、希望すれば60歳から64歳の間に繰り上げ受給することも、66歳以降に繰り下げ受給することも可能です。このコラムでは、年金の「繰上げ受給」と「繰下げ受給」について、詳しい内容を知らない方に、メリット、デメリット、検討すべき点などをわかりやすく解説いたします。
年金の「繰上げ受給」と「繰下げ受給」
「繰上げ受給」とは
2021年8月現在、公的年金の支給が始まるのは原則65歳からです。しかし、本人の希望次第では65歳になるより前に受給することができる「繰上げ受給」制度があります。「繰上げ受給」は60歳から65歳に達するまでの期間を月単位で選べます。
疑問に思われる方もいると思いますが、「繰上げ受給」で、65歳で受け取る方の年金額と同じ金額を受け取ることができると、早めに受け取った方が有利になりますよね。ですから、早く受給を開始する方は、本来の年金受給額が減額されるよう設計されています、また、その減額率は、一度確定すると以降、変更されることはありません。60歳以降、1ヵ月早くもらうごとに0.5%(令和4年4月分から0.4%)、本来の年金が減額される仕組みになっています。
「繰下げ受給」とは
「繰下げ受給」とは、「繰上げ受給」とは逆に、65歳以降から70歳までの期間に延期して年金を受け取ることができる制度です。遅く受給を開始する方は、延長する期間が長くなればなるほど、本来の年金受給額が増額されます。
「繰下げ受給」は、老齢基礎年金と老齢厚生年金は、それぞれ延長することができます。ただし、特別支給の老齢厚生年金は、繰下げができません。
老齢基礎年金、老齢厚生年金の増減額は、ともに1ヵ月あたり0.7%、1年で8.4%です。70歳まで最大5年間繰下げると、42%年金額が増額されます。
「繰下げ受給」は月単位で繰下げることができますが、初年度である65歳から1年の間は月単位での繰下げができません。
デメリットが多い「繰上げ受給」
日本年金機構のWEBサイトに「繰上げ請求の注意点」というページがあり、「繰上げ受給」の下記6つのデメリットが記載されていますので、受給する前に一度確認されることをおすすめします。
- 一生減額された年金を受けることになります。65歳以降も1度減額された金額は戻りません。ただし、振替加算の加算対象者は、65歳からでなければ振替加算が加算されないことから、65歳になると振替加算額分は増額されます。
- 繰上げ請求した後に裁定の取消しはできません。
- 寡婦年金の受給権者が老齢基礎年金を繰上げ請求すると寡婦年金は失権します。また、老齢基礎年金を繰上げ受給している方は、寡婦年金の請求はできません。
- 受給権発生後に初診日があるときは、障害基礎年金が受けられません。また、繰り上げ支給を請求する前の病気やけがで障害がある場合でも、障害基礎年金を請求できない場合があります。
- 65歳前に遺族年金の受給権が発生した場合は、老齢基礎年金と遺族年金のどちらかを選択することになります。多くの場合は、遺族年金を選んだ方が有利であるため、65歳まで減額した老齢基礎年金が支給停止になり、停止解除後も減額支給のままでデメリットは大きくなります。
- 受給権者は、国民年金の任意加入被保険者になれません。
※出典:日本年金機構「繰上げ請求の注意点」
「繰上げ受給」のメリットは、60歳以降の早い時期から年金を受け取れることです。たいていの方は、定年退職をしたあとの収入は働いていた頃と比べると減り、貯蓄を切り崩す必要がでてくるかもしれません。なお、繰上げ受給することで、どのくらいの減額になるのかは予め確認したうえで、ご自身の貯蓄とのバランスを考え、「繰上げ受給」を行うかどうか検討してみるのも良いでしょう。
なお、参考としまして、各年齢で繰上げ受給した際の減額率は以下のとおりです。 例:令和3年度 国民年金(老齢基礎年金(満額)):65,075円/月を繰上げ受給した場合
受給を開始した年齢 | 減額率 | 受給額/月 |
60歳 | 30.0%(0.5%×60ヵ月) | 65,075円×70%=45,552円 |
61歳 | 24.0%(0.5%×48ヵ月) | 65,075円×76%=49,457円 |
62歳 | 18.0%(0.5%×36ヵ月) | 65,075円×82%=53,361円 |
63歳 | 12.0%(0.5%×24ヵ月) | 65,075円×88%=57,266円 |
64歳 | 6.0%(0.5%×12ヵ月) | 65,075円×94%=61,170円 |
一度「繰上げ受給」を選ぶと、一生その際に減額された金額の年金を受け取ることになります。老齢厚生年金と老齢基礎年金は、一生涯にわたり受給できることがすばらしい点ですが、「繰上げ受給」をすると減額された年金額が一生続いてしまうことを念頭に置いておきましょう。
また、「繰上げ受給」は他の年金との兼ね合いもあるので、障害年金、遺族年金、寡婦年金、長期特例、障害者特例などの年金に心当たりのある方は注意が必要です。
メリットが多い「繰下げ受給」
「繰下げ受給」は、66歳から70歳までの間で申し出た時点から月単位で繰下げて請求できます。「繰下げ受給」の特徴は、1ヵ月遅らせる毎に元々の年金額に0.7%が増額されていきます。
例えば、66歳と0ヵ月で受給を開始するなら、65歳から12ヵ月分の繰下げです。本来の年金額が0.7%×12ヵ月=8.4%増額されて支給されます。
「繰下げ受給」をすればするほど年金の増額率は高くなります。ただし、繰下げられる年齢と増額率には上限があり、現行制度では70歳までの繰下げが可能で、最高増額率は42%です。
2022年4月から「繰下げ受給」の上限年齢が75歳に
2020年5月に成立した年金改革法により、2022年4月以降に70歳を迎える方は、公的年金の受給開始時期を70歳から75歳までに繰下げることができるようになります。75歳まで繰下げた場合には、年金額が84%増えることになります。
2022年4月以降に70歳を迎える方は、よく検討してみることをおすすめします。
「繰下げ受給」のメリット
①年金額が増額される
年金「繰下げ受給」の1番のメリットは、年間の受け取り金額が増えることです。65歳を過ぎても仕事をしていて生活費に余裕があるのなら、「繰下げ受給」にすることで、本来よりも多い金額を受け取ることができます。年金受給を1年繰下げるだけで8%以上も増えるのは、超低金利の現代にしては、たいへん高い利回りといえるでしょう。
②増えた年金は生涯増額のまま続く
そして、公的老齢年金は、一度もらい始めたら生きている間ずっともらえる終身年金制度です。増額された年金は一生涯増額されたままです。
「繰下げ受給」のデメリット
繰下げている間は「加給年金」を受け取れない
公的年金制度には「国民年金」と「厚生年金」があります。そして、「厚生年金」には「加給年金」という制度があります。「加給年金」とは、厚生年金の被保険者期間が20年以上ある方は、原則65歳に到達したとき、被保険者に生計を維持されている配偶者および子どもがいる場合、老齢厚生年金に加算して支払われる年金のことです。
また、65歳になった後に被保険者期間が20年以上になる場合は、退職による年金額の改定時に、被保険者に生計を維持されている配偶者または子どもがいれば加算して支払われます。
しかしながら、「繰下げ受給」にすることにより、「加給年金」がもらえなくなることがあります。本来、「加給年金」は「厚生年金」とセットで支払われるものです。「厚生年金」を繰下げれば、受給を開始するまで「加給年金」も受け取ることができません。
「加給年金」を受給できる期間は夫婦の年齢差によって変動します。「繰下げ受給」により年金額が増えることと「加給年金」をもらえないことによる損得は家庭によって異なります。
例えば、夫が年金の受け取りを70歳まで繰下げるとすると、年金受給が始まる際に妻が65歳になっていれば「加給年金」の権利がなくなるのです。
年齢による「加給年金」の合計額と「「繰下げ受給」による増額分を比較して「繰下げ受給」をするか否かの検討をすることが大切です。
受給額が増えると「税金」「社会保険料」なども増える
「繰下げ受給」で年金額が増えることにより、年金額から引かれる「社会保険料」や「税金」も増える可能性があります。
基本的に年金は「健康保険料」「介護保険料」「住民税」「所得税」などが差し引かれた額が振り込まれます。ただし、「社会保険料」や「税金」の徴収率は、居住地域、収入、扶養家族の有無、所得控除などで異なります。繰下げ期間分、年金額が増えると計算していても、思っている額が入ってこない可能性があります。
住民税の課税所得が145万円以上の被保険者とその方と同一の世帯にいる被保険者は「現役並み所得者」とみなされ、国民健康保険料、後期高齢者医療制度などの医療保険料、介護保険料の負担割合が変わる可能性もあります。
しかし、もともと年金の受給額が低い方は、「繰下げ受給」にしても、「社会保険料」や「税金」が上がって手取りが減るという影響は受けにくいため、自分の所得と照らし合わせて考えてみることが大切です。
繰下げ期間の生活がたいへんになる
「繰下げ受給」にすることで、受給までの期間の収入が減る、無くなってしまいます。そのため、受給までの生活費が重くのしかかり、生活が立ち行かなくなる恐れもあります。貯蓄が少ない方にとっては、その後の年金を増やすために借り入れを増やしてしまうことは本末転倒です。
繰下げ期間中に万が一のケースもあり
もし、早く亡くなってしまうと繰下げ受給をせずに65歳から受給していた方が、受け取り総額が多くなります。長寿大国と言われる日本ではありますが、不慮の事故や病気などで突然亡くならないという約束がされている訳ではありません。しかも、繰下げ期間中に死亡した場合は、本人が年金を受け取ることはできないままになります。
人の寿命は予測ができないため、貯蓄や生活費などを考慮して慎重に決めることをおすすめします。
「繰下げ受給」でもらえる額を計算してみる
「繰下げ受給」の特徴は、1ヵ月遅らせるごとに公的年金額の0.7%が増額されていくことです。
仮に、66歳になってすぐに受給を開始する場合、12ヵ月分の繰下げですので、基本の年金額に8.4%(0.7%×12ヵ月)が増額されて支給されます。年金額は次のように計算できます。
基本の年金額が100万円の場合
・1年間繰下げると
100万円×8.4%=8万4千円
100万円+8万4千円=108万4千円
・現時点で最長の70歳まで繰り下げると
100万円×42%=42万円
100万円+42万円=142万円
・上限年齢が75歳になった場合に75歳まで繰り下げると
100万円×84%=84万円
100万円+84万円=184万円
この計算を見ると、75歳まで繰下げた方が断然得なように思うかもしれません。しかし、実際はどうなのでしょうか。次に「繰下げ受給」の注意点や、向いている方、向いていない方の例を挙げますので、ご参考にしてください。
「繰下げ受給」をする前に考慮するポイント
絶対長生きするという保証はない
人はお金の損得については敏感ですが、死亡することに対するリスクはそれほど考えていないようです。お金のことを考えて生活し、定年して数年で寝たきりになる、亡くなってしまう方はたくさんいます。また、長生きするように健康的に生きていても、不慮の事故に遭う可能性もあります。
病気や死を恐れて生きていくのは心の健康に良くないのですが、だからといって「長生きするから年金は最長まで繰下げる」と決めつけてしまって良いのでしょうか。
ご自身がいつまで生きるかは誰にもわかりません。我慢して生活費を切り詰めて、75歳まで繰下げた後で、やっと年金をもらえるようになって数年で亡くなってしまっては、我慢したことが無駄になってしまいます。数年の「繰下げ受給」で年金額を増やして、その間に年金以外の老後貯蓄を準備することも考えてみましょう。
「国民年金」と「厚生年金」の違いを知る
公的年金制度は、大きく分けると「国民年金」と「厚生年金」の2種類があります。しかし、多くの方は、その違いをよく知りません。
「国民年金」とは、日本に住んでいる20歳から60歳までのすべての方が加入する年金制度です。国民年金の保険料は一定ですが、年度によって金額が変わることがあります。
自営業者が「国民年金」、会社員が「厚生年金」に加入すると思われている方が多いのですが、「厚生年金」とは、企業の会社員や公務員などが加入する年金制度で、国民年金に上乗せされて給付される年金です。
そして、重要な点は、「国民年金」と「厚生年金」を合わせて繰下げなければならない決まりはありません。両方繰下げることも、どちらか一方を繰下げることも可能です。
上記の「繰下げ受給の欠点」で述べたように、「加給年金」をもらえるはずの方が、「厚生年金」を繰下げたことで権利がなくなり、トータルの年金額がマイナスになることがあります。この場合、「国民年金」のみを繰下げて、「厚生年金」は通常とおり65歳から受給を開始すれば、「加給年金」も本来どおり受け取れます。
夫婦の場合、妻の年金だけ繰下げる
年金の「繰上げ受給」「繰下げ受給」は個人で考えてしまいがちですが、夫婦の場合は2人分で考えてみるのもおすすめです。
女性は男性よりも平均寿命が長いため、妻の年金を繰下げることで年金額を増やすのも有効な手段です。
もらえる年金額は個人により異なりますが、女性の年金額の方が男性よりも低い場合が多いようです。繰下げで年金額が増えると税金や社会保険料の増額や医療・介護負担があがる可能性がありますが、そもそもベースの年金額が低いほどその可能性は低いです。
「繰下げ受給」に適している方
それでは、「繰下げ受給」に向いているのはどのような方でしょうか?
長く働くつもりの方
65歳以後も働く予定で、生活していける程度の収入を得られる方は、65歳から年金を受給しなくても良いかもしれません。同じ企業で定年後も継続して雇用される方も多くいます。特に国民年金のみで厚生年金が出ない自営業の方は、急に仕事をやめる必要もないですし、引き続き、働き続ける方が年金に頼って生きるより将来困らないのではないでしょうか。
年金受給額の少ない方
厚生年金に加入していない自営業者、老齢基礎年金だけしか受け取れない専業主婦や主夫など、年金収入金額が少ない方は、繰下げしても社会保険料や税金の負担が増えない場合が多いため、「繰下げ受給」に向いているといえるでしょう。
基礎年金は40年間保険料を支払った場合、満額で約78万円です。65歳からの公的年金など控除額は最低110万円ですので、年金以外に所得がなければ非課税になります。
長生きする自信がある方
年金は長生きをすればするほど得する仕組みになっています。健康に自信がある方や、長生き家系の方など、長く年金受給し続けられると思える方は「繰下げ受給」をするのが良いかもしれません。ただし年金をもらえない期間の生活が困難にならないよう、事前に対策をしておくことが必須です。
「繰下げ受給」に適していない方
上記とは逆に「繰下げ受給」に向いていないのはどのような方でしょうか。
後資金が少ない方
65歳で完全に仕事を辞めてしまった。60歳で定年退職をし、その後はアルバイトなどで少しの収入のみしかない。貯金が少なく、あまり早い時期からその貯金を使ってしまいたくない。さまざまな理由で年金を受け取れない期間の生活費が足りなくなる可能性の高い方は、繰下げ受給には向かないでしょう。
老後資金が十分にあり、受給額も多い方
上記の「老後資金が少ない方」とは真逆の年金受給額も貯金も十分な方は、わざわざ「繰下げ受給」にする必要はないでしょう。繰下げることで社会保険料や税金が増える可能性が高いです。繰下げ損のリスクをあえてとる必要があるのかじっくり考えてみてください。
「加給年金」を受け取りたい方
「老齢厚生年金」を繰下げて「加給年金」だけを受け取ることはできないため、配偶者が年下で、「加給年金」を受け取りたいと思っている方は、「繰下げ受給」には向きません。
少しでも繰下げて年金額を増やしたいと思うなら、「老齢基礎年金」のみ繰下げて、「老齢厚生年金」を65歳から受給するのがおすすめです。
長生きする自信が全くない方
長年持病があったり、何度も入院していたり、あまり長寿ではない家系であるなど、長生きする自信が全然ないという方もいます。そういう方たちは、繰下げ損のリスクを考えて、通常どおり年金の受取りを開始する方が無難でしょう。
もちろんご自身が思っているより随分長く生きる場合もありますので、予想より長く生きた際の長生きリスクにも備え、困らない程度の貯蓄をしておくことをおすすめします。
おわりに
ゆとりのある老後を送りたいなら、年金の「繰下げ受給」を選ぶのは有効な方法です。しかしながら、年金は制度の仕組みが複雑なうえ、年度が替わる際に方針が変更されることもあります。年金受給額も過去の加入歴、所得、生年月日、家族構成などにより異なります。
「今お金が必要だから繰上げよう」「老後にたくさん欲しいから繰下げよう」と簡単に決断することはおすすめしません。ご自身の状況をしっかり把握して一番得になる方法を考えてみましょう。
また楽しい老後を送るためには年金だけに頼らず、生活のための資金を用意しておくことが大切です。定年後の年金受給額が少なく、貯蓄も少ないため将来が不安な方は今から資産形成を考えてみませんか?
資産形成を考えるなら、投資が有効といえます。ただし、投資商品にはリスクがあるため、始める前に学んで理解したうえで取り組んでいきましょう。