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今、死んでも後悔しないか?脳外科医もファッションデザイナーも諦めない、Drまあやさんの頭の中

今、死んでも後悔しないか?脳外科医もファッションデザイナーも諦めない、Drまあやさんの頭の中
セゾンのくらし大研究 編集部

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セゾンのくらし大研究 編集部

豊かなくらしに必要な「お金」「健康」「家族」に関する困りごとや悩みごとを解決するために役立つ情報を、編集部メンバーが選りすぐってお届けします。

現役の脳外科医でありながら、ファッションデザイナーでもある。

そんな二足の草鞋を履き、異色のキャリアを歩む人がいます。その名は、Drまあやさん。今回は忙しいスケジュールの合間を縫って、「この時間しかない!」という貴重なお時間に取材を受けてくださいました。2つの顔を持つ彼女の毎日は、やはり慌ただしいようです。

医師の仕事だけでも大変なはずなのに、なぜ彼女はファッションデザイナーを志したのか?ド派手な洋服が並ぶ彼女の本拠地「Drまあやデザイン研究所」で、レインボーカラーに身を包んだまあやさんから、好きなもの・ことを突き詰める姿勢をうかがいます。

《インタビュー》

Dr.まあやの画像

Dr.まあや

1975年6月15日、東京都世田谷区生まれ。脳神経外科専門医でありファッションデザイナー。2000年3月に岩手医科大学医学部卒業して医師免許を取得。同年、慶應義塾大学外科学教室脳神経外科に入局。2006年に脳外科専門医取得。2009年に日本外国語専門学校海外芸術大学留学科に入学。その後、脳外科医として働く傍ら、スタイリストのアシスタントを経験。2013年に「Drまあやデザイン研究所」を設立。 現在は横浜フロント脳神経外科・泌尿器科(神奈川県横浜市)での院長業務、釧路孝仁会記念病院(北海道釧路市)での当直・外来を行うなど、東京と北海道を行き来しながら脳神経外科医として勤務しつつ、ファッションデザイナーとしても活動。著書に『カラフルデブを生きる』(セブン&アイ出版)がある。

失意の中、目に飛び込んできた「留学」の文字

脳外科医でありながら、ファッションデザイナーになったきっかけを教えてください。

それまでは、「患者さんを救える医者になりたい」ということだけ考えて脳外科医をやっていました。だけど、医師としてのキャリアを10年積んだ32~33歳の頃、大学院の研究室で行っていた研究について「今までなにをやっていたんだ!」と、教授からすごい怒られまして。

それで、山手線を2周くらいしながらこれからの脳外科医としてのキャリアを考えていると、自分が死ぬ瞬間まで見えてしまったんです。大学病院を離れ、地方都市の病院を転々としながら65歳の定年まで働き、定年後は老人施設や外来だけのクリニックとかで細々やる。そしてある日、誰かが「今日、外来の日なのに先生来ないね?」といい、一週間後に警察立ち会いのもと私のアパートに行ったら死んでいた…みたいな。

失意の中、目に飛び込んできた「留学」の文字

「患者さんをたくさん救った」というモチベーションで働くこともすごく素敵なことだけれど、目新しいこともなく、浮き沈みも含めて全部見えちゃう人生ってどうなんだろう?って思ったときに電車の外を見たら、日本外国語専門学校広告が目に入ったんです。よく見ると「海外芸術大学留学科」と書いてある。

その瞬間、「私、ファッションデザイナーになろうかな」って思い浮かんじゃったんです。もともと、おもしろい洋服を着るのは好きだったし、デザインにものすごく興味があったので、やってみようかなって。

それで専門学校に行き、授業のスケジュールや話を聞いてみたら「あら、脳外科医をやりながらでも行けそうじゃん」とわかって。その日の帰り、学校から最寄りの駅に向かっている途中でおばあちゃんに「私、ファッションデザイナーになろうと思うからロンドンに留学に行く」と電話しました。

広告を見て「あれをやりたい!」と思い立ち、本当にそのとおり行動したわけですね。

はい。1年間専門学校に通い、34歳のときにセントラル・セント・マーチンズというロンドンのファッションの大学に留学しました。

年齢を理由に留学を躊躇することはなかったですか?

まったくなかったですね。人生でやりたいと思ったことは、そのときにやらないと。

今までまったく学んでこなかったファッション分野での留学ですが、大変ではなかったですか?

大変でした。ロンドンの大学なので当然英語力は必要なのですが、私はあまり語学が得意じゃないんです。日常会話はできるけど、先生の言っていることをすべて理解したり、学生間でディスカッションしたりするほどのレベルにまで達していない。

そもそも、「自分はこういうものを作りたいと思う。なぜなら、こういうことを考えているからだ」と言葉で説明するプレゼンテーションの能力が私はめちゃくちゃ低かったんです。あと、そうしたプレゼンに対して「まあやさんはこっちのほうが合っているから、こういう取り組み方をしたら?」「いや、私はこう思う」とみんなが交わすディスカッションの内容がすごくて。それらの能力が私には欠けていると痛感しました。

脳外科医として稼いだお金をファッションデザイナーの仕事に自己投資

Drまあやさんはロンドン留学から帰国した後、脳外科医とファッションデザイナーの仕事を両立されています。日本には一つの道を極めることを美徳とする文化もありますが、2つの顔を持つ生き方を選んだ理由はなんでしょうか。

単純にファッションデザイナ1本で食べていけるほど甘くないということはわかっていたので、医者は医者で続ける必要があるという事情がありました。

あと、私は決して脳外科医の仕事が嫌いでファッションデザイナーを目指したわけではありません。脳外科医という仕事にも楽しいことは多く、死ぬまでやっていきたいと思っているんですね。医師のなかでも頭を開いて脳の世界を見られるのは脳外科医だけで、スペシャリティが高いです。

だから、今も脳外科医になったことは1ミリも後悔していなくて、もし生まれ変わってもう一度医者になるとしたら、間違いなく脳外科医を選ぶと思います。

脳外科医として稼いだお金をファッションデザイナーの仕事に自己投資
手術の様子(画像提供:Drまあやさん)

脳外科医という職業に対しても、ポジティブな思いがあるのですね。

一方、デザイナーはデザイナーで、自分がイメージとして描いているものをゼロから作っていくおもしろさもあって、一生やっていきたい。だから、やりたいと思っていることを両方やっているだけなんです。

メリットとしては、大きなアパレル会社に入って資金をもらいながら服を作るとデザインに集中できていいですが、「売れる服を作れ」といわれてしまったりと、どうしても商業的にならざるを得ません。

その点、私は脳外科医として稼いだ資金をファッションデザイナーの仕事に自己投資しています。だから、「こんな服を作ってどうするんだ」と誰からも文句を言われないというのが強みです。そのおかげで、貯金はゼロですけど(笑)。

――脳外科医という職業に対しても、ポジティブな思いがあるのですね。
皮下脂肪のCT画像を活かした、花柄のようなデザイン。ご自身のCTを使用しているそう。医師とファッションデザイナー2つを掛け持つDrまあやさんならではの発想

2つの職業をフラットに両立。スイッチの切替えは必要ない

Drまあや研究所が製作する服のコンセプトを教えてください。

大前提として、おしゃれな服を作るというより「世界にあまりない、おもしろい服を作ろう」という思いがあります。そして、いろんなブランドが躊躇するほどたくさんの色を使いたい。

私自身、カラフルな服を着るのは好きです。カラフルな服を着ていると、どれだけネガティブで見た目に自信がない人でも、とりあえず楽しそうに見える。「よくわからないけど、この人はこだわって服を着ている人なんだな」という楽しさを提供する人になれるんですね。特に、私はネガティブですごくコンプレックスを持って生きてきました。そういう人間でもおもしろい服を着て、楽しげに見えたらいいなって。

2つの職業をフラットに両立。スイッチの切替えは必要ない
2025年に発表された「Dr.MAAYA HOUSEとその住人たち」 がテーマのコレクション。建築的なアプローチを取り入れた大胆なシルエットが特徴的

ファッションには、いろんなカテゴリーがあっていいと思います。機能的で、おしゃれに興味がない人でも、着るとちゃんと見えるファストファッション。コム・デ・ギャルソンやヨウジヤマモトみたいにコンセプチュアルで、着ると「自分は最先端のおしゃれをしている」と自信につながるような服もファッションの世界のひとつです。

そんななかで、私が作るのは“おもしろい服”。おしゃれではないかもしれないし、普段は着ないかもしれないけど、おもしろい。「こういう服って存在するんだ!」と思ってしまうような、アートに近いもの。カテゴリーとしては、そういうところでやっています。

Drまあやさんの世界観を表現するには、脳外科医とファッションデザイナーの両立が重要なんですね。でも、どうやって2つの職業を両立させているのでしょう?

基本、休みの日はありません。2024年5月からは「横浜フロント脳神経外科・泌尿器科」の院長に就任したので、平日は外来診察にあたり、土日は北海道・釧路の病院で当直医をしています。

土曜の早朝に家を出て釧路に飛び、午前中は釧路の病院で外来を担当、午後から月曜の朝まで当直をします。そして月曜の午前中は釧路で外来をし、昼の便で釧路から夕方には羽田空港に戻ってくるので、その日はそれで終了。火曜日はまる一日横浜で外来をして、終わったらここで夜11時くらいまでファッションの仕事をします。水曜の午前中は外来を担当し、午後からまたここでファッションの仕事をする…という感じです。

釧路で当直をしているときも、患者さんが来ない合間にファッションの仕事をしています。たとえば、あそこに飾ってある服の刺繍は釧路の当直室でほとんど完成させて、後から東京で縫い付けました。だから、釧路産です(笑)。

――Drまあやさんの世界観を表現するには、脳外科医とファッションデザイナーの両立が重要なんですね。でも、どうやって2つの職業を両立させているのでしょう?
Drまあやさんが釧路での当直の合間に縫った刺繍

すごい…!でも、その生活は大変そうです。

正直にいうと、大変です。今年3月にパリでファッションショーを行ったんですが、その直前は特にストレスフルでした。とにかく時間に追われ、「間に合わないかもしれない、どうしよう」なんて言いながら徹夜作業が続きました。

「この色で作ってほしい」と依頼したはずの服が別の色で仕上がってきて「なんで、どうして!?」と、私のやりたいことが伝わらないジレンマもつらかった。思いが強ければ強いほどストレスになることも多いので、つらさを感じることは少なくないです。

時間のやりくりだけでなく、スイッチの切り替えも大変では?

よく聞かれるんですが、私にスイッチはないから切り替える必要がないんです。だから、「あの患者さんにはあの薬がいいかもしれない」と考えながらデザインの仕事をしていたり、逆に患者さんのデータが上がってくるのを待ちながら「刺繍の色はこっちにしようかな」と決めたりしています。医者だから医療のことしか考えない、デザイナーだからファッションのことしか考えないというわけではないんですね。

2つの顔を持つことで、双方の職業にいい影響が生まれることはありますか?

脳外科医の仕事で生まれたストレスはデザインのほうで、デザイナーの仕事で生まれたストレスは脳外科医のほうで、それぞれのストレスがそれぞれの仕事で解消されるという側面は大きいです。

デザイナーとして「私はこれを作りたいのに、どうしてできないんだ!」というストレスが襲ってきたとき、脳外科医として「患者さんの症状が良くなった」といわれると「あ、私のストレスが解消されたかもしれない」と、ちょっと自信を取り戻したり(笑)。一方、医者としてうまくいかないことがあったときにデザイン作業を黙々とやっていると、そのつらさを忘れられることもあります。

私にとっては、仕事が2つあることがちょうどいいんですね。仕事上のストレスが軽減されて、いい状態になっています。

いつ死ぬかわからない。今、死んでも後悔しないようにチャレンジする

Drまあやさんの今後の目標を教えてください。

第一目標は、死ぬまで両方やる。ファッションデザイナーとしての夢は、今はまだ1人で活動しているのですが、いつかはアパレル会社を興して仲間をつくりたいです。そして、桂由美先生のオフィスの隣に自社ビルをドン!と建てたいですね。

いつ死ぬかわからない。今、死んでも後悔しないようにチャレンジする

2つの職業を両立させて、躊躇せず新しいことにチャレンジし続けるまあやさんの原動力を教えてください。

私は脳外科医として日々、命と向き合っています。人間はいつ死ぬか、何歳で死ぬかわからない。やりたいことをやっておかないと、死ぬときに後悔すると常々思っています。私は死ぬ瞬間に後悔はひとつでも少なく、「生きていて良かった」と思いながら死にたいんです。だから「あなた、それをやらなくて本当に後悔しない?今、死んだとしても文句は言わない?」って、いつも自分に聞いています。

私は「会社を興して自社ビルを建てる」という夢を、ただの夢で置いておきたくない。実現させるまでは死ねないと思っちゃっているから。志半ばで死んでしまう可能性もあるけど、「手が届かなかった。でも、私はやることはやったんだ」「ここまでだったか…無念!」と思えれば、それは後悔じゃなくて無念だから幸せ。チャレンジしなかったらきっと後悔するし、それはすごい嫌なんですね。

だから、私は何歳だろうとやりたいと思ったことはそのときにやるって決めています。

(取材・執筆協力=寺西ジャジューカ 撮影=舛元清香 編集=ノオト)

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