収益不動産の「出口戦略」について、高齢の大家のなかで相続手続きを済ませている方も多いでしょう。
一方、“経営そのもの”の引継ぎはどうでしょうか?大家にもしものことがあった場合、家族に経営権がないと大きく収益を損なう恐れもあるため注意が必要です。
このような経営権に関するトラブルを未然に防ぐ具体的な方法について、不動産相続に強い弁護士、山村暢彦氏が解説します。
高齢大家が知っておきたい「家族信託」

「相続対策は、もう済ませてあります」
高齢の大家からよく聞く言葉です。
遺言書を作成し、相続人も決めている。それ自体は、とても素晴らしいことです。しかし、収益不動産を保有している大家にとって本当に問題となるのは、相続が起きた後や、認知症になったその後に、賃貸経営が止まってしまうことでしょう。
たとえば、大家が認知症を発症すると、家族であっても、大規模修繕や建替え、借入条件の変更といった重要な判断を、本人に代わって自由に行うことは原則できません。
成年後見制度を利用すれば一定の対応は可能ですが、投資判断や積極的な経営判断については、大きな制約があります。
また、相続が発生した場合でも、遺産分割協議が整うまでの間、不動産の管理や意思決定が停滞することは珍しくありません。収益不動産は「動かし続けてこそ価値を生む資産」です。判断が止まること自体が、大きなリスクになります。
こうした問題を解決する選択肢として注目されているのが「家族信託」です。家族信託は、特に収益不動産を保有する方にとって、賃貸経営を止めずに資産承継ができる点で、非常に相性の良い制度といえます。
とはいえ、家族信託は万能な制度ではありません。収益不動産を含まないケースでは、成年後見制度だけで足りる場合もありますし、設計を誤ると、かえってトラブルを招くこともあるため注意が必要です。
本記事では、不動産相続に携わってきた弁護士として、また不動産相続で苦労した元大家としての視点から、家族信託の仕組みと注意点を整理し、「どんな方に向き、どんな方には向かないのか」を実務目線で解説します。
高齢大家が直面する「不動産投資の出口戦略」という現実

不動産投資の「出口戦略」と聞くと、多くの方は売却を思い浮かべるかもしれません。
しかし、高齢大家にとっての出口戦略は、必ずしも「いつ売るか」だけではなく、「いつまで、誰が、どのように賃貸経営を続けるのか」という視点が欠かせないのです。
収益不動産は、株式や預貯金とは違い、大家の判断と関与を前提に運用される資産です。入居者対応、修繕のタイミング、条件変更、金融機関との折衝など、日常的に意思決定が求められます。
そのため、大家が高齢になり判断能力が低下したり、認知症を発症した場合には、賃貸経営そのものが立ち行かなくなるリスクがあります。
「まだ元気だから大丈夫」と考えていた矢先に、判断能力の低下が問題になるケースも少なくありません。
認知症を発症すると、たとえ家族であっても、本人に代わって自由に不動産を管理・処分することはできず、結果として修繕や建替えの判断が先送りされ、物件価値が下がってしまうリスクがあるため注意が必要です。
また、相続が発生した後も安心とは限りません。遺言書がない場合には、遺産分割協議が完了するまでの間、相続人全員の合意が取れず、賃貸経営や借入返済の判断が滞ることがあります。
収益不動産は「止まること」自体がリスクになる資産であり、出口戦略を考えるうえでは、この“空白期間”をどう埋めるかが重要になります。
このように、高齢大家の出口戦略とは、「相続税対策」や「売却時期」の話にとどまらず、賃貸経営を止めないための仕組みづくりまで含めて考える必要があるのです。
そもそも「家族信託」とは?

家族信託とは、簡単に言えば、自分の財産の管理や処分を、信頼できる家族にあらかじめ託しておく仕組みです。
法律的には「信託契約」という形をとり、財産を託す人(委託者)、託されて管理・運用する人(受託者)、その利益を受ける人(受益者)を定めます。
制度の説明だけを見ると難しく感じるかもしれませんが、大家の立場で考えると、本質はそれほど複雑ではありません。
「将来、自分が判断できなくなっても、賃貸経営を止めずに続けてもらうための仕組み」と捉えると分かりやすいでしょう。
成年後見制度との違い
家族信託とよく比較される制度として「成年後見制度」があります。
成年後見制度は、判断能力が低下した本人を保護するための制度であり、不利益を防ぐことが主な目的です。
そのため、後見人は原則として、現状を維持する管理行為しか行えず、積極的な投資判断や経営判断には強い制約がかかります。収益不動産のように、状況に応じた柔軟な判断が求められる資産との相性は、必ずしも良いとはいえません。
対して家族信託は、信託契約のなかで「どこまでの権限を、誰に託すのか」を、あらかじめ具体的に定めることができます。
たとえば、大規模修繕の実施や建替えの判断、賃貸条件の変更、借入の返済、金融機関対応といった事項についても、契約内容次第で受託者が対応できるように設計することが可能です。
つまり、家族信託は「財産を守るための制度」であると同時に、収益不動産という“動かし続ける資産”を前提にした承継の仕組みといえるでしょう。
そしてこの点が、遺言書や成年後見制度だけではカバーしきれない部分であり、家族信託が注目される理由の一つです。
もっとも、家族信託は自由度が高い分、設計を誤ると期待した効果が得られないこともあります。だからこそ、「制度としてできること」と「実務上、現実的にできること」を切り分けて理解することが重要です。
家族信託の向き・不向きの見極め

家族信託が特に力を発揮するのは、収益不動産を複数保有しているような大家の場合です。その最大の理由は、相続や認知症といったライフイベントが生じても、賃貸経営を止めずに資産を承継できる点にあります。
家族信託によって、あらかじめ信頼できる家族に賃貸経営の権限を託すことで、「判断が止まる期間」を回避することができます。大規模修繕や建替え、借入返済といった重要な判断を継続できる点は、大家にとって大きな安心材料でしょう。
もっとも、家族信託にはいわゆる“向き・不向き”があります。複数の収益物件を保有している、借入が残っている、長期的に賃貸経営を継続したいといったケースでは、有力な選択肢でしょう。
一方、実家一棟のみを所有している場合や、近い将来に売却を予定している場合、家族関係が不安定な場合には、成年後見制度や他の手段で十分対応可能です。
重要なのは、「家族信託を使うかどうか」そのものよりも、自分の資産状況と目的に照らして、本当に必要な制度かを見極めることです。家族信託は、収益不動産の承継において強力な道具になり得ますが、適切な設計と判断があってこそ、その力を発揮します。
家族信託の活用には慎重な判断を

筆者が特に重要だと考えているのは、そもそも「家族信託を利用すべき収益不動産を保有しているかどうか」という点です。
実務では、相続財産の規模や内容から見て必ずしも必要とはいえないにもかかわらず、金融機関からの営業等によって家族信託のスキームを組んだ結果、かえって関係が複雑化し、家族間の不信感を招いてしまうケースも見受けられます。
本来、家族信託は万能な制度ではありません。基本的には、家族信託の活用に加え、公正証書遺言の作成や、将来的に紛争化しないための家族関係の把握などを含めて、多角的に「本当に必要かどうか」を検討したうえで設計すべき制度だといえます。
制度が複雑であるからこそ、活用すべきか否かの判断に専門的な視点が求められるのです。
一方、複数の収益不動産を保有している場合、特に老朽化した物件を含む家庭にとっては、家族信託は非常に心強い仕組みになります。
後見制度では難しい大規模修繕や建替えといった積極的な資産運用を可能にし、賃貸経営を止めずに次世代へ承継できる点に、家族信託の本来の価値があるといえるでしょう。
※本記事は公開時点の情報に基づき作成されています。記事公開後に制度などが変更される場合がありますので、それぞれホームページなどで最新情報をご確認ください。