こんにちは。イラストレーターのカワグチマサミです。
好きなものはゲーム、苦手なものは家事。9歳の息子と、夫と三人で暮らしています。
【カワグチ家親子三代物語】では、長い間、すれ違っていた親と向き合う話や、義理親との関係、私の息子と親とのエピソードなどを連載しています。
小学生のとき、私は寝ることが大好きでした。
寝てるときだけは、辛いことも忘れられるから。
起きてたら、嫌でも現実を見ないといけないから。
夜でもおかまいなしに騒がしい生活だったので、寝坊することがよくありました。
母に促され、お昼から学校に行くこともありましたが、
他の家とは違う、「変わった」自分の家のことを学校のみんなに知られたくなくて、私は先生に本当の理由を話すことができませんでした。
先生から見た私は、「寝坊をするダラけた生徒」と思われていたことでしょう。
特に小学四年生の担任とは相性も悪く、学校に通うことが辛い時期がありました。
「今日は学校に行くのがしんどい」というときは、母を安心させるために、学校に行くふりをしました。
そして、その足で、近くの公園で時間を潰したり、祖母の家に向かうこともありました。
祖母は実家の近くで一人暮らしをしていました。
大正生まれの戦争も経験している祖母。
当時にしては珍しいキャリアウーマンでシングルマザーでもありました。
「結婚よりも働きたい」と、女学校に二つ通い、
「戦争よりも好きなことをしたい」と、戦時中に海外留学しようとしたこともあったそうです。
昭和時代には浮きまくりのぶっとびばーちゃんです。
私が生まれてからも、習い事をしたり、旅行をしたりと、家でじっとしていることはほとんどありませんでした。
そんなあっちこっち行っている祖母が、運良く家にいるときは、私をあたたかく迎えてくれました。
祖母は、私をいろんなところに連れて行ってくれました。
ある時は、スーパーで買い物をして料理をしたり、
神社仏閣を巡りながら歴史の話をしたり、
秘境のようなところに連れていかれたり、
絵を描いたり。
そして、何度も私に確認するように聞きました。
私が楽しいことと出会うたびに、祖母は喜んでくれました。自分のことのように。
そしてどこか安堵したような、表情でもありました。
そんな祖母を見て、私も安心できました。
祖母は私に、好きなことを見つけて欲しかったのだと思います。
好きなことを続けたら、得意なことになる。
得意なことを続けたら、それは人生を豊かにする味方になってくれる。
種を育て花が咲くように。
この先、家にいることが辛くても、
学校に行くのがしんどくても、
社会に出てつまづいても、
祖母自身がいなくなっても、
それでも私が生きていけるように。
私の味方を増やしておきたかったのだと思います。
実際に、イラストレーターになって12年目になって
「今まで学んだことで何が大切だったか?」と聞かれたら
祖母が体験させてくれたことだと、迷わず答えることができます。
それは祖母が亡くなってからも、
いや、祖母がいなくなってからの方が、深く刻みこまれました。
大好きな祖母の思い出を、言葉を、忘れたくなくて。
だから、私がイラストレーターになろうと決めたことは自然なことでした。
誰からも応援されなくても、好きなことを育て続けました。
ーそして祖母が亡くなって30年近くが過ぎた今ー
息子は当時の私と同じ10歳になりました。
運命のイタズラなのか、偶然なのか、遺伝なのか…
四年生になってクラスの人数が増えたからか
担任との相性が悪いのか
今まで頑張り過ぎてきたのか
はっきりとした理由はわかりませんが、
「学校に行くのがしんどい」と言うようになりました。
親になると、こどものことは自分のこと以上に、悩みます。
子どもを信じたい気持ちと、子どもを守りたい気持ちとを葛藤しながら。
辛そうな息子の顔を見るたび、学校と話し合いをするたび、
不安で、心配で、身体が重くて、体調が優れない時期が続きました。
落ちて、落ちて、底まで転がり落ちこんで…
思い出したんです。
祖母が私にしてくれたことを。
心から安心した10歳の頃の私を。
親が子どもを思う将来への心配とか、期待とか、周りの目とか関係なく、
「自分はここにいていいんだ」と思える居場所を作ってもらえたことの安心感。
だから、
息子の好きなことを見つけに行きます。
おばあちゃんが私の好きなことの種を育ててくれたように。
息子はどんな花が咲くのだろう?