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何とかするのではなく、何とかなる。精神科医の帚木蓬生さんに聞く「ネガティヴ・ケイパビリティ」とは
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何とかするのではなく、何とかなる。精神科医の帚木蓬生さんに聞く「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

困難な問題に直面した時、多くの人は「なんとか解決しなければ」と打開策を見出そうとしてしまうもの。そこですぐに答えを出さず、じっと待ってみる——そんな心構えを説いているのが、小説家で精神科医の帚木蓬生さんです。

ご自身のクリニックでの経験や、さまざまな患者さんとの関わりを通して感じた「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」=「ネガティブ・ケイパビリティ」の大切さを、執筆活動を通じて伝えてきました。

帚木さんは、「ネガティブ・ケイパビリティは、特に高齢者に必要」といいます。お金や家族、自身の老後のこと。悩みの尽きない世代を、「ネガティブ・ケイパビリティ」とともにどう生きていけばいいのか。そしてこの力は、どうすれば備わるものなのか。帚木さんに、うかがいました。­­

帚木蓬生さん

帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)小説家、精神科医。1947年、福岡県生まれ。東京大学文学部、九州大学医学部卒業。精神科医である傍ら、1979年より執筆活動を開始し、1993年に『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞を受賞。以降、数々の受賞作を重ねる。2017年、詩人のジョン・キーツが残した「ネガティブ・ケイパビリティ」の考えに着目した著書『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)を出版。現在は福岡県中間市で開業医として勤務しつつ、執筆活動を続けている。

すぐに答えを見つけようとしない。「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

——まず「ネガティブ・ケイパビリティ」とはどのようなものであるか教えていただけますか?

あらゆる物事はそう簡単に答えが見つかるものではありませんし、そもそも答えが存在しないものもあります。性急に答えを見つけようとするのはやめて、宙ぶらりんの状態に耐えていけばもっと良い解決に至るんじゃないかという心構えと、それに耐えられる能力が「ネガティブ・ケイパビリティ」です。詩人のジョン・キーツ(1795〜1821)が提示し、のちに精神分析医のウィルフレッド・R・ビオンが精神分析の分野でその力の重要性を提唱しました。

私も「ネガティブ・ケイパビリティ」の大切さを多くの方に発信するようになってから、教育界から大きな反応がありました。おそらく、多くの先生たちが「問題を迅速に解決する方法」を生徒に教え、「解決できそうなもの」を“問い”として提示してきたということでしょう。つまり「すぐに答えを求める能力」=「ポジティブ・ケイパビリティ」を求めてきたわけです。

実際、解決ができるものだけを“問い”として提示しても、世界の事象の半分も理解できないのではないでしょうか。「私たちは見知らぬものへの問題提起を忘れていました」という教育界からの反省の声を耳にしました。

すぐに答えを見つけようとしない。「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

——すぐに答えを見つけるのではなく、少し待って物事に向き合うと本質的な何かが見えてくるわけですね。

はい、そうです。しかしこの力は、年齢とともに失うものが増えてくる高齢者にこそ必要だと考えています。

高齢者には、3つの問題がよく見られます。不眠症、病気不安症、身体症状症です。中でも2つ目と3つ目の状態に対して、「ネガティブ・ケイパビリティ」が必要だと考えます。

まずは、不眠症です。私のクリニックには、不眠を訴えてくる80代、90代の患者さんが少なくありません。多くの研究者によって「睡眠時間は8時間が理想的だ」といわれていますが、年代により異なります。しかし「睡眠は大事だ」と考えてしっかり眠ろうと思うあまり、夜7時ごろからベッドに入っている高齢者の方もいると聞きますが、80代から90代であれば6時間も眠れば十分です。少し昼寝を加えるとなお良いでしょう。

大切なのは就寝時間と起床時間をずらさないこと。私の患者さんには、ゆっくり寝てしまいがちな土日でも同じ時間帯に起きるような指導をしています。

2つ目の病気不安症とは、周囲の同世代に亡くなる方や病気になる方が増えてきて、「自分にもどこか悪い箇所があるんじゃないか」と考えるようになる状態のことです。病院に行って問題ないと言われても納得せず、別の病院に行くんです。つまり、加齢による身体の変化を許容できていないんですね。

そして3つ目の身体症状症は、身体的な異常がないにもかかわらず何かしらの身体症状が出るものです。加齢に伴い不安に駆られてしまい、自分の小さな病変を見逃さず、重篤な病気ではないかと考えてしまう高齢者の心境の表れでしょう。

病気不安症も身体症状症も、どちらも小さな変化を見逃さず、それを問題だと考えて解決方法を探ろうとしている状態になっているわけです。高齢者はこれに陥りやすいからこそ、「ネガティブ・ケイパビリティ」が必要なのです。

——すぐに答えを見つけるのではなく、少し待って物事に向き合うと本質的な何かが見えてくるわけですね。

——では、そうした症状や状態に対して、帚木先生はどのように治療を行っているのでしょうか?

患者さんへの治療でネガティブ・ケイパビリティの考え方を取り入れる場合、いわゆる「目薬・日薬・口薬」を意識しています。

「あなたの苦しみは私が見ていますよ」というのが「目薬」で、「なんとかしているうちに、なんとかなる」というのが「日薬」、そして患者さんに対して前向きな言葉をかけ続けるのが「口薬」です。身体に異常がない一方で患者さんが難しい状態にある場合、この3つの薬でなんとかやり過ごしていくようにしています。

「ネガティブ・ケイパビリティ」の心構えでいる方法

——「ネガティブ・ケイパビリティ」そのものを身に付けることは可能なのでしょうか?

「ネガティブ・ケイパビリティ」は頭の中に置いておけば良いものなので、「きちんと身に付けなければ」と踏ん張るのは難しいと思います。ご家族からも、「ネガティブ・ケイパビリティという能力があるんだ」と知れただけで親の介護に対する気持ちが楽になり、耐えられるようになったという感想を多くいただきます。今の自分がやっていることは、無能力じゃなくて能力であると発想を転換するだけでも心の支えになるのではないでしょうか。

あとは、暇を作らないことも大切です。答えを見つけたいと焦ったり不安になったりする感情は、暇なときに生まれてくるものだからです。

趣味を多く持つのが良いですよ。畑仕事でも手芸でも読書でもカラオケでも、何でも良いと思います。かつてやりたかったけれども叶わなかったものもいいですね。私のクリニックに通っている70代後半の患者さんで、週に1回山登りしている人がいますが、いつも元気です。何かに懸命に取り組んでいる人は、やはり若々しいですね。

私自身もネガティブ・ケイパビリティを意識して、何事も先々を決めないようにしています。例えば、私は小説家としても活動していますが、小説を書く前に構成を練って登場人物の人物像を作る、といったことはやっていません。

原稿用紙1,000枚からなる小説ですから、先に何が起こるかは分かりません。あれこれ書いているうちに何とかなって最後には1,000枚の小説ができあがります。

「ネガティブ・ケイパビリティ」の心構えでいる方法

——それは結末を決めずに書くということでしょうか?

私の場合、だいたいこんなものかな、と考えながら書き進めています。

自分の書いている話がこの先どうなるか、全く分かりません。翌日書く分ぐらいは分かりますが、翌々日書く分がどうなるかは全く見当がつきません。

暗がりを懐中電灯で照らすと、4〜5m先なら何があるかは分かりますが、その先に待ち構えているものは分かりませんよね。それと同じだと思います。書いているうちになんとか大団円を迎えて終わりに行き着くんです。

これが大切なことじゃないでしょうか。

中には、しっかり構成を練ってキャラクターの人物像を作ってから筆をすすめる方もいるでしょう。しかし私の場合は、書き進めていくうちにAという人物がちょっと面白い動きをした、Bという人物が良いことを言い始めたなどという動きに乗って話を書き進めていきます。先に結末を決めてしまうと、本当に書きたい本質にたどり着けないことがあります。

そう考えるのは、「この先がどうなるか分からないのは、小説も患者さんも同じだ」と思っているからです。患者さんの場合は、先に述べた病気不安症や身体症状症の兆候が見られるならば、寄り添ってこの先どうしましょうか、といっしょに考えているうちに快方に向かうことがあります。すぐに答えを出さずにいることで、本当の悩みや原因といった本質が見えてくるからです。

何とかするのではなく、何とかなる

——高齢者の悩みに限らず、不確実性の高い今の時代だからこそ、いっそう「ネガティブ・ケイパビリティ」が大切になりそうですね。

変えられないものは受け入れるしかないと思うんです。病気や老いに対する不安を持つ高齢者はなおのことです。

逆に、変えられるものは変えていったほうが良いでしょう。そのためには、変えられないものと変えられるものを見分ける賢さが必要です。

こんな言葉があります。

変えられないものは受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えていく勇気を、そしてその二つのものを見分ける賢さを

これは、「平安の祈り」といって、末期がんの患者さんの自助グループやギャンブル症の自助グループなどでよく使われる言葉です。末期がんである自分を変えることはできませんが、「がんだけれども楽しく明るく生きていこう」と心を変えることはできます。

たとえがんだったとしても、それは自分の一部にすぎず、全体を覆っているわけではありません。「平安の祈り」はとてもいい言葉で、「ネガティブ・ケイパビリティ」に通じているんじゃないでしょうか。

何とかするのではなく、何とかなる

——変えられないものを必死で変えようとするのではなく、変えられるところを変えていくことが大切なのですね。

私の信条は、「物事は何とかしているうちに何とかなる」です。「何とかする」というのは、“小賢しさ”とは別のものです。

小賢しい人は、チョロチョロっと小手先で解決しようとしますが、それはあくまで“小賢しさ”でしかありませんから、あまり大きな力を発揮しないんです。小賢しいことをやるよりも、偶然に任せたほうがよっぽど良いことがあると思います。

将来のことも、あらかじめ決めてそこに一直線に向かうのは大変なことです。何とかしているうちに、何とかなるんですよ。

今の世の中、苦労を嫌うところがあるように感じます。しかし苦労のない人生なんてありませんし、苦労がないのは面白くないなと私は思います。

「中高年になっても苦労なんかしたくない」「もういっぱい苦労したからこれから先はもう安穏としていきたい」という願いをお持ちの方もいると思いますが、それは「悪魔のささやき」ではないでしょうか。日々趣味や用事で忙しく過ごして、安穏としない自分を作っていくことが幸せを生むんだと思います。

今日が自分に残された人生の一番若い日です。そのことを忘れないようにして、生きていくのが良いと思います。

——変えられないものを必死で変えようとするのではなく、変えられるところを変えていくことが大切なのですね。

(取材・執筆=成重敏夫 撮影=岡浩平 編集=ノオト)