ゲスト:安奈淳さん 聞き手:依田邦代 撮影:田中みなみ
約半世紀前に起きた第1期「ベルばら」ブーム。社会現象ともなったそのブームの立役者が宝塚歌劇団で男装の麗人オスカル役を演じた安奈淳さん。現在は歌手としてコンサートを中心に活躍中です。チケットは発売すればたちまち完売、また、洗練されたファッションセンスがインスタで注目され、オールドファンのみならず、若いファンも急増中です。憧れの70代、安奈淳さんの生き方や考え方についてグレイヘアブームを作った編集者・依田邦代がお聞きしました。
プロフィール:安奈淳(あんな・じゅん)
1947年、大阪府生まれ。65年に宝塚歌劇団入団。70年、星組男役トップスターに就任。その後、花組に組替え。75年、「ベルサイユのばら」で演じたオスカルは大きな当たり役となり、第1期ベルばらブームを築く。78年、「風と共に去りぬ」のスカーレット役を最後に退団。退団後は「南太平洋」「屋根の上のバイオリン弾き」「レ・ミゼラブル」などの舞台やテレビドラマに出演。
2012年、第33回松尾芸能賞・優秀賞を受賞。14年、宝塚歌劇団創立100周年に創設された「宝塚歌劇の殿堂」に、最初の100人の1人として殿堂入り。現在は歌手としてコンサートやショーなどを中心に活躍中。著書に『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』(主婦の友社)ほか。
公式サイト:www.anna-jun.com
Instagram:@annajun0729/ @officeannajun
宝塚時代のド根性は今も私の中にある
―昨年2022年は「ベルばら」50周年でした。安奈さんといえば、オスカルをイメージする方も多いと思いますが、あれから半世紀が経ったとは感慨深いですね。
昨年は池田理代子先生の漫画「ベルサイユのばら」が発表されてから50年なんです。宝塚歌劇団による舞台の初演は1974年。長谷川一夫さんの演出でした。
―そうですか。では、宝塚の「ベルサイユのばら」は、来年が50周年なんですね。
そうなんです。月日の経つのがあまりに早くてびっくり仰天です(笑)。子どもの頃、小学校の6年間がものすごく長く感じたのに比べると、歳をとってからの時間の経つ速さって一体、何なんでしょう。
―宝塚歌劇団に在籍されたのは17歳から30歳。そのときの経験が今に活きていると感じることはありますか?
私の青春時代はどっぷり宝塚でしたから、人間形成はほぼ宝塚でなされたといっても過言ではないでしょうね。
50代で膠原病の一種、エリテマトーデスという難病を患って、98%ダメだろうといわれても回復して、こうやって元気でいられるのは、半分以上が精神力によるものだと思うんです。
宝塚時代に骨の髄まで染み込んだ、何があっても弱音を吐かない「為せば成る」精神は一生残るのかも。今だにド根性ガエルです(笑)。
―もともとそういうド根性があるから、しごきに耐え、脱落もせず、トップスターになられたのでは?
ないです(笑)。耐えられたのは鈍感だったから。鈍感力ですよ。繊細で神経質な人だったら耐えられないと思う。
―成し遂げた方は、よくご自分のことを「鈍感」とおっしゃいますが、ひとつのことへの集中力がハンパなくて、それ以外、気にならないということでしょうか?
かもしれないですね。気にならないというか考えられない。集中しているとまわりの雑音が聞こえなくて。それが良かったのかもしれないです。
―厳しい宝塚時代は何が支えになっていましたか? 歌や踊りが上手になりたいという向上心ですか?
なんでしょうね…。私の場合は、おかげさまで人よりちょっと歌が歌えたので、オーディションにみんな受かって、19歳ぐらいでソロをもらって、ほとんど下積みをしていないんです。与えられた役をやるのに必死で、上手になりたいと思っている暇もなかったわね。
―組のトップとしての重圧は大変なものだったでしょうね?
50人ちょっとの組の生徒さんを引っ張っていかなくちゃいけませんから…。でも、引っ張るというか、私の場合はボーっとしていて、下級生も上級生も何とかしなくちゃと思ったらしく、ものすごく皆に支えられて、その方たちのおかげで何とかやっていましたね。
―ずっこけエピソードも数々あるようですが(笑)、責任感が安奈さんを支えていたのでしょうか?
それはありましたね。休んじゃいけない、休んだら大変なことになるというのは常に頭にありました。だから退団後に商業演劇の世界に入って体調を崩した時も、早く病院に行っていればもう少しなんとかなったのに、休めない休めないと思っているうちに大事になって。
お医者様に「1時間遅かったら死んでましたよ」と言われるまで我慢してしまった。責任感が強いのも善し悪しです。今こうやって元気だから、笑って話せますが…。
歳を重ねたら清潔感=美しさ
―安奈さんは今、髪を染めていないですが、染められたことはありますか?
宝塚にいる間はいろんな役をやったので、役によって染めていたこともありました。金髪とかブラウンとか…。退団後も、おしゃれ染めをしていた時期があったかな。
でも、30代で肝臓を悪くして…。肝臓というのは「沈黙の臓器」といわれていますけど、実は毛染めがあまりよくないと聞いたんですよ。体内に入るのかしら?
―頭皮から経皮吸収されるんでしょうか。
そうなのよね。それを聞いてちょっと怖くなって、「もうやめよう」と。しばらくすると白髪が出てきたけど、それも染めないでおこうと思って。
―白髪は一度も染めていないんですか?
60代から目立ってきましたが、一度も染めたことはないです。
―今、そんなに白くないですよね。
私の場合は真っ白にはならないみたい。ずっとまだらです。気のせいか、この頃少し黒くなってきたような…。どういうことなんでしょう(笑)。
今は薬剤が良くなっているから、染めても大丈夫な気もするけれど、もうこうなったら自然に任せて。今さら染めてもね、しょうがないかなと。
―しょうがなくはないと思いますが(笑)。
ときどきブルーにしたいなとか紫にしたいなと思うこともあるけれど、面倒くさい。この頃いろんなことに手を加えることが面倒くさい、というと言い方が悪いけれど、そういうのはもうやめましょうと思って。あるがままでいいかなと思ってます。
―そうはおっしゃっても、いつも綺麗にしていらっしゃいますよね。
一応、こういう仕事してますから。定期的にエステに行くとかはしています。爪は、うちの甥っ子の奥さんがネイリストなので、彼女に定期的に手入れをしてもらっています。爪はすごく大事。爪が綺麗な人って清潔感がありますよね。
私はピアノを弾くので、爪が傷むんです。ジェルネイルをする前は爪が割れたりしていましたが、ジェルをするようになってから強くなりました。ずっとやり続けなくちゃいけないのかな、と考えるとちょっとこわい気もしますけど…。
―2週間に1回ぐらいですか?
ううん、1ヵ月に1回くらい。持つの、すごく。
―今はナチュラルな色ですね。
本当は赤が好きなんです。でも、ドラマの撮影で料理を作るシーンがあったので、ナチュラルにしています。ボルドー系の深みのある赤が大好き。今日着ているグレーの服にもとても合うし、いろんな色に合うんです。ピンクは青みのピンク。たまに白っぽいフレンチネイルなんかもします。
―素敵です! お仕事柄、人の目にどう映るかは気にされますよね?
本来はあまり気にしない方で、忘れて買い物していたりすると、たまに「アッ!」とか言われて、内心「ヤバい」って。だから、外に出るときは気をつけるようにしています。
ゆる~くていいから身綺麗でいる努力を
―年齢とともに、面倒だなぁと思うことは増えますね。
そうですね、面倒くさくなります。でも、それに任せているとどこまでも落ちていくじゃないですか。そうならないように自分を叱咤激励しているところはありますね。
―私たち一般人もある程度必要だと思います。
そういう気持ちがなくなったら女でなくなると思いますし。でもね、コロナのおかげっていったらいけないけれど、マスクをしていることが当たり前の時期が続いたじゃないですか。
私は帽子が好きだからよく帽子をかぶって、マスクして、メガネかけたら、普段はほとんどノーメイクで過ごせたんです。ノーメイクがいいとはいわないけれど、仕事では必ずメイクをするから、肌を休ませられているのかな、と。
―そうですね。私もコロナ禍にノーメイクで外出できた体験は衝撃でした。それでも案外、大丈夫なんだと気づいた人は多かったのではないでしょうか?
基礎的な肌の手入れはしますけれど、目を描いたり眉を描いたりというのは今は仕事以外はしません。そのあたりはちょっと緩くしています。
―着るものに関してはどうですか?
私、極力、数を持たないようにしているので…。いつも似たような恰好をしているんですよ。
樹木希林さんがパスポート取りに行って、10年前のパスポートを見たら、その日と同じ服だったという話を読んだことがありますが、私も10年、20年と着ている服があります。
―それは体形が変わっていないということですね。大抵は部分的に太ったりしますから。
私だって…今70代でしょ。そりゃあ変わりますよ。
―変わりましたか?
やっぱり下っ腹は出てくるわね。
―全然、そうは見えませんが。
実は出てるんですよ(笑)。昔、舞台に出たときに、共演した先輩の女優さんが下腹だけぽこんと出ているのを見て、こんなに細くて美しい女性でも、お歳を召すとこうなるんだ、とびっくりした覚えがあります。
―そればかりは仕方ないんでしょうか?
ガードルなんかで押さえる方法もあるけれど、苦しいことはしたくないのよね。
―痒くなったりしますしね。
そうそう(笑)。どうしても年齢と共に皮膚は伸びるし、若い頃の張りは望むべくもありませんから。仕事の時は、窮屈でない補正下着で、ゆるく補正する程度です。
元気でいる限り歌い続けたい
―安奈さんはかなり規則正しい生活をされていると伺っています。決まった時間に起床し、薬を飲むために朝ごはんもしっかり食べる。掃除や洗濯など午前中のルーティーンも決まっていて、歌の練習をし、食事は栄養バランスに気をつけてできる限り自炊をされ、外食は週に1~2回くらい。日々、たゆまぬ努力を重ねていると。
努力しているわけではないんです。健康に生きるために必要な行動だから、やらないと気持ちが悪いだけ。掃除や洗濯なんかも、しないと気持ちが悪いんです。洗濯物を溜めるっていうのがイヤなのね。汚れが染み込まないうちに洗っちゃいたい。
お掃除も、放っておいたら自然にほこりって溜まるじゃないですか。掃除機で毎日吸っていてもちゃんと溜まるのよね。潔癖というわけじゃないんだけど、そういう汚れた空気を吸うのがイヤで。
―毎日そうやってきちんと暮らして健康を保ちながらお仕事を続けているわけですね。安奈さんの場合、歌うことが人生の芯になり、前に進む力になっていますよね?
私には歌しかないから。生きていくため、生活のための手段でもあるんですね。もちろん、好きだから続けられているわけですが、それでお金をいただくために努力はしているつもりです。ヴォイストレーニングは欠かさず、コンサート前は歌が自分の身体の一部になるまで、必死に練習します。
―多くの方が安奈さんの歌を聴きたくて待っています。
聴いてくださる方がいてはじめて成立する仕事ですから。そのための努力は惜しみません。
―3月の三越劇場でのソロコンサートへの意気込みなどもお聞かせください。
去年もヤマハホールでソロをやってますし、毎年あまり意気込みは変わらないんですけど、あと何年できるかしらと考えると、年齢と共に責任が少しずつ重くなってきて…。
例えば今年の3月も、これが最後かなと思ったりするんです。そうすると絶対に失敗は許されないし、来てくださる方に本当に良かったと思ってもらえるように、と思います。
常に、これで終わりかなぁと思いながらやっているけれど、生きてたら喜寿もやりたいなとか…。やめるやめる詐欺になるといやだからそこは濁して(笑)。
―もう来年ですから、喜寿コンサートはぜひやっていただきたいです。
まぁ、だらだらと。この前、沢田研二さんのコンサートに行ったときに、彼は私よりひとつ下なんだけど、「まだ、だらだらやりまっせぇ」と言っていて。私もそうだわと思ったりして。
―美川憲一さんも「しぶとくね」とおっしゃってますよね。
美川さんは私よりひとつ上。なんだかんだいいながらやってるのかなぁと。元気であればやっているかもしれません。
―楽しみにしている人がたくさんいますので。
もうちょっと頑張ります。
悔いのないように日々、精いっぱい生きる
―最近、TVドラマにも出演されましたよね。
声をかけてくださる方がいたので。面白そうと思って、2つのドラマに出ました。
―どういういきさつで出演することになったんですか?
松竹のプロデューサーさんが私のファンだったそうでオファーしてくださった。これは数年前に個人事務所を設立したときに、社長がホームページを作ってくれたおかげ。それを見てお仕事が来たんです。
それまで私は「ガラケーでいいんです」なんて言っていて。そのガラケーも近い将来なくなるけど、「もういいわ」と思っていた私が、社長がインスタなどを始めてくれたおかげで、どんどん世界もお仕事も広がって、嬉しいような大変なような(笑)。
―70歳を過ぎて人生が大きく変わるって素敵ですね。年齢と共に、このまま人生が終わっていいのか、という焦りが出てきますから。
ものすごくそれがあるんですよ。今年7月で76歳でしょ。あと何年?と思うと焦ります。私なんか特に何度も危篤といわれて、ここまで生きられたことが奇跡みたいな人間だから。いただいた命は最後まで使い切らないともったいない。最期に「これでよかった、ああ面白かった」って笑えなければ生きてきた甲斐がないと思っています。
―ずっと行けませんでしたが、これからは旅行もしたいそうですね?
春には鳥羽水族館にラッコを見に行く計画を立てていて。
―動物がお好きですからね。那須どうぶつ王国にも行かれてましたよね?
そうなんです。それで、この間、鳥羽ではどこに泊まろうという話になって、「鳥羽国際ホテル」と言われたのを聞き間違えて、「えっ!?たばこくさいホテル?!」って。この頃、聞き間違えが多くて(笑)。鳥羽からお伊勢参りにも行く予定です。お仕事でも京都や徳島や熊本などいろいろ行きますが、そろそろ海外も行きたいなぁ、と。
―そうですね。お仕事でいろんな国へ行かれてますけど、結局時間がなくなって、今度ゆっくりプライベートで来ようと思うんですよね。
時間は作らなきゃできないから、何とか作って。
―旅行は健康と時間とお金がないと行けませんから。今年は行けるように祈っています。
はい、頑張ります。
―最後に、50代以降の生き方についてメッセージをお願いします。
とにかく後ろを向かないこと。
―後悔しないということですか?
そう、後悔しない。後悔している時間がもったいないです。もうこの先、何十年も何百年も生きるわけじゃないんだから。今後の人生を豊かにするためにどうすればいいかは自分で考えなくては。こうすればいい、という決まったやり方はなくて、人それぞれだから。
例えばお金がないから何も買えないという人がいたら、ないなりに工夫することが大事ね。私は着るものを増やさないようにしていますけど、仕事用の衣装はどうしたって増えますから、普段着るものはあるもので工夫しています。夏服と冬服を厳密に分けずに、薄い服でも下に着るもので防寒して冬に着たり。そうしないと物はどんどん増えます。工夫は楽しいですよ。
―ないないと文句をいったり、人のせいにしたり、過去のせいにしたりして前に進めないのはもったいないということですね。
もったいないですね。小さなことですが、食材なんかも捨てるのはすごくイヤじゃないですか。だから今日はこれとこれがあるから、とスマホで検索するとちゃんとそれで作れる料理が出てくるの。便利だわ。それで食材を余らせずにすむし、そういうことを考えるのって楽しいわね。頭は生きているうちに使わないと。脳の大部分は使われないまま死ぬらしいですから。
―それこそもったいないですね。
もったいない。あるものを使いましょう。脳もそうだし、歩ける人はお散歩して、いろんなものを見て季節を感じたり。自分が楽しいと思わないと人生楽しめないですからね。
事故で足を失ってもオリンピックですごい成績を上げる若い人を見たりすると尊敬します。そういうチャレンジ精神というのは死ぬまで持たないといけないと思う。
―「歳だから」とか「今さら」を理由にやらないことが増えてきますが。
それはもったいないわ。そしてどんなに歳を重ねても身綺麗に。「見てくれ」って大事ですから。私は綺麗なおばあさんでいたいなぁって思います。