ゲスト:金子隆博さん 聞き手・文:依田邦代 撮影:田中みなみ ヘア&メイク(金子さん):三原結花
毎週火曜日、オーケストラの生演奏をバックに豪華歌手が歌謡曲の名曲を歌い上げるNHK「うたコン」。そのステージの奥でタクトを振る、帽子姿の指揮者が注目されています。金子隆博さん。あの米米CLUBでサックスを吹いていた「フラッシュ金子」さんです。
17年前に発症したジストニアという病気が原因でサックスを吹けなくなり、キーボードに転向した後、近年ではNHK連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」の劇中音楽を手掛けた作曲家としても話題になりました。マルチに活躍する金子さんに、音楽への思い、今後の抱負などをお聞きしました。
- 作曲家・指揮者・キーボード奏者・音楽プロデューサー
- 1964年東京生まれ。10歳でギターやトランペットを習い、音楽の魅力に目覚める。
- 高校時代にサックスを始め、吹奏楽部とバンドで活動。
- 日大理工学部に入学するも、サックスの練習に明け暮れ、日大リズム・ソサエティ・オーケストラでジャズやラテンの魅力に取りつかれる。
- 20歳の時、米米CLUBのホーン・セクションの一員として参加し、2年後に正式加入。
- 27歳でプライベートスタジオを作り、曲作りやデモテープ作成に時間を費やすようになる。
- 1994年、30歳で石井竜也監督の映画「河童」の映画音楽をプロデュースし、日本アカデミー賞音楽部門優秀賞受賞。
- 42歳でジストニア発症。
- 2017年、52歳でNHK「うたコン」指揮者に抜擢される。
- 2019年に東京都狛江市のコミュニティFM「コマラジ」にて「フラッシュ金子のコマラジ・マンデー・スペシャル」スタート。
- 2021年、NHK連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」音楽担当。
米米CLUB出身のNHK「うたコン」指揮者
—毎週火曜日放送のNHK「うたコン」での金子さんの指揮姿がカッコいいと評判です。キレがあって、全身でリズムに乗っていて楽しそう。
そうですか、ありがとうございます。テレビに映るのはカメラが向いてスイッチングで選ばれたところだけですが、「うたコン」はライブなので、観客の視線を常に意識しています。歌手の方と一緒に、演奏もここで盛り上げていますよ、とわかるようにダイナミックに身体を動かします。決して大げさにしているつもりはなくて、必死なだけなんです(笑)。
—指揮をしながら、一緒に歌っていることもありますね?
「うたコン」の曲は歌謡曲の名曲ばかり。音楽を作る人間として「よくできているな、この曲」とか「筒美京平さん、さすがだな」などとリスペクトを感じ、思わず口ずさんでしまいます。
—「うたコン」の指揮を始められたのは2017年、52歳のときですね?
そうです、6年目に入りました。
—それまでは作曲家、アレンジャー、キーボード奏者、米米CLUBのメンバーなどとして活躍されていましたが、未経験の指揮者というオファーが来た時、躊躇しませんでしたか?
最初、「何で僕に?」と思いました。指揮者はたくさんいるじゃないですか。でも、「歌謡番組の指揮者はクラシック系ではなく、バンド出身の人がいいんです」と言われました。
僕の先代の指揮者は三原綱木さん。ビッグバンドも経験しているし、ギタリストで、ブルー・コメッツというグループサウンズのメンバーでもありました。僕は米米CLUB出身で、劇中音楽(劇伴)とかクラシックものも書いているので、「指揮の素養もあるだろう」と…。
—白羽の矢が立ったわけですね。
そうですね。それでも実際には、一曲ずつ演奏するならいいんですけど、3曲も4曲も即座に歌謡曲をつながなくてはいけないので、苦労があります。3ヵ月くらい現場に通って、前任の方のやり方を見てゼロからノウハウを学び、満を持してやり始めたという感じです。
—現場で覚える主義なんですか?
そうですね、大学卒業後、就職した会社で研修するように、先輩を見て覚える。
—それで「できそう」と確信が持てたんですか?
初めからできない気はしなかったんですけど(笑)。頑張ればなんとかできるかなと。
病気でサックスの道を断たれたことが転機に
—オファーが来た時、ひるまずに飛び込むために必要なことは?
「やってみたいけど、今の実力じゃ無理」と断る人は多いと思うんですけど、まさにそういうとき僕は受けるんです。最初はできなくても、いろんなものを投げ打って、できるようになるまで集中してやればなんとかなると思うから。
何より、歌謡曲の名曲と毎週一緒にいられるのは幸せなこと。子どもの頃にテレビから流れていた名曲の譜面を目の前にして、アンサンブルから何から全部聞こえるわけです。曲の構造がわかるので、ものすごく勉強になる。それは是非体験したいと思った。指揮ができるとかできないとかじゃなくて。
—このチャンスを逃してなるものか、と?
指揮の技術はおいおい身につけるとして、日本人の心をつかむすばらしい名曲を、演奏者、作り手という内側の立場から見られるわけで、こんな機会はないぞと。
—断る理由がないですね。
そうなんです。実際に自分の能力も上がったと思いますね、この5~6年で。
—集中力がすごいんでしょうね。
集中ってひとつの快楽じゃないでしょうか?集中している時間、そこにワーッとハマる時間は楽しい。
—作曲家や指揮者など、それぞれのプロはいますが、金子さんの場合マルチすぎて肩書を書くときも悩みます(笑)。
とはいえ、どれも音楽関連ですから。20~30代は「米米CLUBのサックス奏者フラッシュ金子」で、作曲とアレンジも手掛ける3本柱でやっていましたが、今は米米CLUBの活動は2年に一度くらい。
42歳のときにジストニアという病気を発症してサックスが吹けなくなってからは、ピアノを始めました。合奏する楽しさは曲作りの楽しさとはまた別で、何か楽器をと思い、ピアノを始めたのです。アレンジのために多少は弾けたので。
—ジストニアは、自分の意思に反して無意識に筋肉が収縮する、特定の行為や動作を頻繁に繰り返す音楽家やスポーツ選手などに多く発症する病気と聞きました。
どうやら僕の場合、ジストニアの中でも複雑な構造を持つ部分のジストニアで、簡単には治らないらしいんです。発病から4年後にやっと病名がわかり、それが人生の大きな転機になりました。
10代後半で始めたサックスは一生かけて向き合う覚悟で練習していました。80代とかで初めて「枯れたいい音が出始めたね」なんて言われたら…、と。それが40代で吹けなくなってしまって、さぁどうしよう。
—その時のショックは大きかったと思いますが、ずっと作曲やアレンジもされていたので、サックスを失ったら何もないという状態ではなかったですね。
僕の場合はラッキーでした。米米CLUBから始まって、それまでいろんな音楽の仕事をやってきたおかげで、サックスを吹かないんだったらこういうことができるんじゃない?と声をかけてくださる人がいた。それが今、指揮にたどり着いた展開は自分でも驚きです。
—BIG HORNS BEEというホーンユニットのバンドを主宰され、そこではキーボードを弾いていらっしゃいますが、今後、一番ウエイトを置いていきたいのは何ですか?
作曲家として生きていけたらと思います。いい曲をもっと作りたい。でもそれが一番難しい。それと仲間たち、BIG HORNS BEEや米米CLUBでの演奏が何より大切ですね。
「カムカムエブリバディ」テーマ曲とコロナの関係
—超ご多忙ですが、リラックスするためや頭を切り替えるためにしていることは?
旅行かな。新しい所に行ったり、新しい所に泊まったり、旅行は好きですね。仕事では、月に一度、大阪に「うたコン」の収録で行きますが、移動はまったく苦にならない。
—移動が刺激になったりしますか?
すごくなりますね。移動中や移動先でも曲を作ります。今はノートパソコンと小さなキーボードがあれば、スタジオの中枢部を持ち歩いているのと同じですから。この頃、ちょっと異常な体質になってきたようで…。
—2021年秋から放送されたNHK朝ドラ「カムカムエブリバディ」のために200曲近く作られてからですか?
あれ以来、常に頭の中でメロディを追いかける癖がついてしまって…。日テレで10月18日から始まるドラマ「コタツのない家」の劇伴を担当するんですが、脚本を読んでいるとメロディが鳴るようになって。職業病かな?(笑)。まぁ、仕事なので、鳴らしながら読むんですけど。
—劇伴は効果音ではなく、登場人物の「心情」を音にするわけですからね。「カムカムエブリバディ」の曲は、脚本がまだできあがっていない時に書かれたそうですが、テーマ曲はどのように浮かんだんですか?
2020年4月、コロナのロックダウンが始まった頃、「5月の連休は毎年ニューオリンズのジャズフェスに行っているのになぁ。向こうの友人に会いたいな」という気持ちを抱えながら自宅でギターを弾いて作りました。
距離はあっても、心は通じ合っている。会えないことが本当に会えないことじゃない、と思う気持ちから曲と歌詞が生まれたんです。身近なものや自然のものに触れる時、ふとあなたのことをそこに感じることがある。そんな歌です。
—「カムカムエブリバディ」の安子と娘もアメリカと日本に離れ離れになって、会いたいけど会えないという状態になりましたよね。コロナじゃないですけど。
「カムカムエブリバディ」の音楽づくりが、ちょうど1年後から始まったんですが、女性三代が力強く自分なりの生き方で生き抜くダイナミックな100年の物語と聞いていました。だから、脈々とつながっていく人間の逞しさを応援し、見守り、心の寄りどころになる音楽がいいと思っていて、それは僕的にはゴスペルやブルースのような音楽かなと。
コロナによって全世界で多くの人が亡くなり、世界中の人が悲しい、痛ましい、怖い体験をした。それを悼む思いも込めました。NHKの人に「これこれこういう思いで作ったメロディなんです」と聞いてもらったら「これがメインのテーマ曲でいいと思います」と言ってもらえました。
—「歌は世につれ世は歌につれ」とも言いますが、音楽もその時代の空気を反映していないと人の心に響かないんですね。
その通りだと思います。社会で起きていることに対して自分自身がどう感じるかという事に向き合う。それをやめてしまったら閉鎖的な音楽作りになってしまう。今、人々が歌いたい歌はどんな歌だろうとと考えることは大事な事だと思っています。
その人の生きざまが現れる大人のファッション
—おしゃれと評判ですが、お洋服はどこで?
このスーツは友人の市川さんの手作り。フルオーダーです。洋服はお気に入りのセレクトショップやユーズドのショップで買うことが多いです。
—ファッションは自分を表現する手段のひとつですが、「うたコン」の指揮のときの衣装はご自分で?
自分で決めています。
—どういうイメージで?
色は黒と決まっているんですよ。なので、デザインで勝負です。トラディショナルな燕尾服だとPOPSや歌謡曲には固すぎるので…結局自分の気に入った服を着ています。そして帽子をかぶっている指揮者は他にあまりいないからかぶってみよう、と。ひとつのアイコンですね。
—帽子コレクションもたくさんありますが、帽子は白髪を隠すためですか?
白髪を隠すという意図は全くないです。何しろ本番前はバタバタなので、ヘアーセットしなくて良いのが楽ですね(笑)。無精なので、髪を洗ったまま寝て、翌日、寝癖がひどくても帽子をかぶれば形になるという便利さもあります (笑) 。
—大人のおしゃれ、かっこ良さってどういうことだと思いますか?
中身じゃないですか。洋服だってその人のチョイスなわけだし。ミュージシャンによってはボロボロのTシャツでカッコいい人もいる。その人の生きざまが現れていればOKですよ。また、そういう人が何かのときに、いきなりピシッとスーツで現れたりすると「カッコいいな、コイツ!」となる。フォーマルを着崩すのもいいな。既成をぶっ壊す的な。
—ギャップ萌えですね(笑)。
今はグレーに染めて、白髪と黒髪の差をなくしています
—白髪が生えてきたのは何歳ぐらいだったんですか?
42~43歳かな。
—染めようと思いませんでしたか?
「ちょっと白髪生えてるのってカッコいいじゃん」と全然気にしなかった。40代後半で「かなり増えてきたな」となったときに、お店の人に「一回染めてみる?」とすすめられて茶色く染めたんです。でも、それがものすごく似合わなくて。僕はもともと髪がちょっと茶色いので似合うかな、と思ったんですけどね。
—それ以来、染めていないんですか?
そう、ずーっと染めなかった。で、あるとき「金子さん、グレーとか入れてみませんか?」と言われて、「グレー入れるとどうなるの?」と聞いたら、「真っ白なところが、ちょっと黒くなります」って。ナチュラルになるんだったら…、と入れてみたら「おっいいじゃない。これだったら人前に出られる」と。
—色ムラのギャップを埋めるような感じですか?
そんな感じ。真っ黒は変だと思うから。ちょうどいいグレーの具合ってあると思う。
—グレーは定期的に入れていらっしゃる?
何かあるたびにね。伸びてくると根元が真っ白で先がグレーになるので。写真撮影とかあるときは根元だけかなり薄めたグレーを入れてもらっています。カラーリングも問題だなと思いながら。
—今後、グレーを入れるのをやめる可能性もありますか?
ありますよ。面倒くさくなって。
大先輩の姿を励みに、まだまだ伸びていきたい
—来年、還暦ですね。
そうです。壮年って言うのですか?あと20年もすれば老年期に入ります。親を見ていても、大体80歳くらいからかなぁ。そりゃぁ今みたいに身体が動かなくなる。当たり前のことです。自分は来年60歳だから、あと20年。20年なんてあっという間ですよ。このまま音楽の仕事を続けられたら幸せですが、どうだろう。僕は、自分が成長し続ければオファーが来ると信じて音楽と向き合っています。
—音楽をなさっている方って好きなことをしているせいかお若い方が多いですよね。北村英治さんとか渡辺貞夫さんといったレジェンドも「カムカムエブリバディ」の劇伴で演奏されていました。
渡辺貞夫さん90歳、北村英治さん94歳。お二人ともいまだ現役です。
—北村さんのクラリネットの音色は温かくて深みがあって、お人柄がそのまま表れているんだろうなと思いますし、積み重ねてきた時間の厚みを感じます。
50歳を過ぎたあたりで北村さんにはある出会いがあったそうなんです。20代からキングオブスイングといわれた大スターの北村さんの演奏を聴いて、クラシックのクラリネット奏者が「全然ダメだな」と言ったそうなんです。どこがダメなのか知りたくて、50代でその人に弟子入りしたとおっしゃっていました。
それによって力を入れずに豊かな音を出す、90代の肺活量でも吹ける演奏法をそのとき会得したんじゃないでしょうか。
ひとつのことを続けていると、ダメなところを誰かが指摘してくれて、自分を見つめ直すチャンスがあるんです。そこで「俺を誰だと思ってるんだ、世界の〇〇だぞ。それをつかまえて全然ダメとは何事だ」と怒る人も多いんですけど。僕も厳しいことを言ってくれる人を近くに置きたいタイプですね。
—ということは、まだまだ伸びしろがあるということですね。苦手なことがなくなってしまうんじゃないですか?
そんなことないですよ(笑)。北村さん達のような先輩を目指して、これからもまだまだがんばりたいと思います。
おまけ
—リタイア後に時間ができて、音楽を始めようと思っている人にアドバイスがあればお願いします。
友達とバンドを組んで、それを発表できる場をつくるといいんじゃないかな。身近な友人で、今まで楽器を弾いたことない人とかを誘って、ゼロから始めるといいと思う。人間って誰かと共有すること以外に幸福感は得られないから。
—誰かと一緒にやったほうがいいんですね?
音楽ってひとりでやるものじゃないんですよ。ピアノソロとかはあるけど、ひとりで練習するのはつらいですよ。間違えずに弾こうと思えば1日6時間とか練習しないとならない。だからバンドのみんなとアンサンブルした方が絶対に楽しい。
—うまく弾くことを目指すよりも、仲間と楽しむ方を優先すれば長続きするということなんですね。ありがとうございました。