「介護」は、平穏な日常生活に重くのしかかるとてつもない大仕事。そんなふうに捉えている方も少なくないかもしれません。ブログ「40歳からの遠距離介護」で知られる介護作家の工藤広伸さんは、介護者の負担をできるだけ減らしてラクな気持ちでケアをする「しれっと介護」を提唱しています。
工藤さんはコロナ禍の現在も遠距離介護中です。脳梗塞ののち悪性リンパ腫となった父、認知症と子宮頸がんを併発した祖母の介護経験と二度の介護離職を経て、現在は認知症の母のため、東京〜岩手間片道500キロの往復を10年近く続けています。
オンラインで行った取材の日も、ちょうど岩手のご実家に滞在中。「介護=大変」という固定観念を柔らかく解きほぐす工藤さんに、介護に対する心持ちについて話を伺いました。
介護作家・工藤広伸さん
1972年生まれのブロガー、作家。認知症介助士で、成年後見人経験者でもある。2007年、父の脳梗塞により1回目の介護離職を経験。もともと認知症で母から在宅介護を受けていた祖母が2012年、子宮頸がんで入院。その際、母も認知症であることが判明。その後、脳梗塞の症状が改善しつつあった父を見守りつつ、母と祖母のダブル介護状態となり、2013年に2回目の介護離職をする。以来、ブログ「40歳からの遠距離介護」を現在も執筆している。介護にまつわる書籍を多数執筆するほか、講演会でも活躍中。最近では、音声プラットフォーム・Voicy「ちょっと気になる?介護のラジオ」の配信も盛んだ。
遠距離介護を可能にする環境は高速インターネット回線
――東京〜岩手間の遠距離介護を長年続けていらっしゃる工藤さんの存在を知った時は驚きました。今日はお母さまがいらっしゃる岩手のご実家からのZoom取材で、あまりのインターネット回線の速さに驚いています。工藤さんと距離を感じませんし、本当に目の前にいらっしゃるようですね。
はい、今日は岩手県盛岡市にある実家の高校時代まで使っていた部屋にいます。実はWi-Fiを含めインターネット回線が不安定ですと、母の命に関わるんですね。岩手の冬はとても厳しく、今朝は氷点下10度まで下がりました。
母は10年前にアルツハイマー型認知症と診断されて、現在は要介護3です。症状が進行しているため、部屋の温度調節が自分でできません。
遠距離介護を機に母親の部屋に見守りカメラをつけるなど、実家をスマートホーム化しました。それで実家の温度管理も、私がスマートフォン上で行っているんです。私は今、実家の2階にいますが、1階の母の様子もスマホの動画でリアルタイムに見ることができます。東京にいても、盛岡にいても、そこは変わらないんですね。
――高速インターネット回線が遠距離介護をする上で、重要なインフラになっているのですね。ちなみに、工藤さんはどのようなスケジュールで遠距離介護を行っているのですか?
我が家の事情も分かってくださるケアマネジャーさんなどと連携しつつ、コロナ前は盛岡に1週間、東京に2週間のサイクルで、年間20往復しながら遠距離介護をしていました。
コロナ禍では移動を減らし、盛岡に1ヵ月、東京に2ヵ月のサイクルで介護を続けています。東京から盛岡まで新幹線に乗った後は、公共交通機関を使わずに盛岡駅から自宅まで数キロを歩いて帰省していた時期もあります。岩手はコロナの患者さんが東京に比べてとても少ないので、そこはやはり気を遣いますね。
妹は岩手に住んでいるものの、子育てと仕事を両立させているため、かなり忙しいです。なので、妹はあくまでも介護のサポーター。主たる介護者は私になりますね。
家族は悩み続けて、いずれ受け入れる。それが認知症
――介護生活が始まった時のことを教えてください。正直、どうお感じになりましたか?
父が脳梗塞で倒れたという連絡を、旅行先のフィジーで聞きました。当時、私は34歳。大手企業のマネージャー職に就いて、キャリアも年収もピークで、「人生のいい波が来ているな」とさえ思っていたくらいです。
帰国後、何か言葉を発しようとしても、呂律の回らない父を目の当たりにしました。何を言っているのかが聞き取れず、筆談してもらうと父の手が震えてしまって文字も読めない。
父の兄も脳梗塞だったので、半身不随になるとどういう介護が待っているのか。そのイメージができていました。
さらに父は、実家にいる母とは別居中でした。別宅で倒れたため、認知症の祖母を在宅介護する母には頼れない。「父の別宅で自分が介護しなくてはいけないのか」と思いましたね。
そういう状況の中で、自分だけが社会のレールから外れていくような気がしました。正直、「人生終わったな」と。
――なかなか介護が自分ごとにならない男性も多い中、工藤さんが介護を自分ごとにできた理由はどんなところにありますか?
私が18歳で東京に出て以降、妹は岩手に残って10数年も父と母の間を行き来して、色んなことをやってくれていたんです。どこか妹への心の負債貯金のようなものもありましたし。だから、「今回は自分がやるのかな」と。
――その後、頼みの綱だったお母さまも認知症と診断されます。どんな時にその兆候に気づかれたのですか?
母が物忘れをする話は妹から聞いていました。決定的だったのは2012年のこと。祖母が大量出血して子宮頸がんの緊急入院をした時に、母は病院からお願いされた入院書類を書くことができなかったんです。
その後、祖母のケアマネジャーさんから「息子さんがお祖母さまの退院後の入所施設を探していらっしゃると、お母さまから聞きました」と言われたんです。「え?何言ってるの?」と。祖母は余命半年と宣告され、施設を探す状況ではなかったので、母が作り話をしているのだな……。そこで合致しましたね。「あ、認知症かも」って。
認知症は、ある程度時間を経過しながら徐々に変化していくので、急に分かるものではないんですよね。認知症になったと聞くと、親子なのに「あんた誰?」と言われる状況をイメージする人が多いですが、実際アルツハイマー型認知症の母の場合、「あんた誰?」の状態になるまでに10年かかりましたから。
――認知症にも、進行の速いタイプとそうでないタイプがありますよね。
単なる老いなのか、認知症なのかがわからない。家族は悩み続けて、いずれ受け入れるものという感じです。だから急にびっくりするような出来事が起きて、腑に落ちる話でもないんです。
川崎幸クリニックの杉山孝博先生のお言葉を借りれば、認知症介護をする家族の気持ちには「4つの心理的ステップ」を踏むのだそうです。
●第1ステップ 「とまどい・否定」(物忘れでしょ、認知症じゃないというステップ) ●第2ステップ 「混乱・怒り・拒絶」(どう対応していいのか分からず、怒りや拒絶に発展する) ●第3ステップ 「割り切り・あきらめ」(第2ステップでかなり疲れて割り切るようになる。光が見えるステップ) ●第4ステップ 「人間的、人格的理解」(悟りの境地) |
私は認知症の進んでいた祖母の様子を見ていたこともあり、母の介護を第3ステップぐらいからスタートできました。でも実際は、第1と第2のステップを行き来すること7〜8年という方も多いですね。
介護者である自分がその場にいなくても生活を回す状態をイメージする
――工藤さんは気持ちをラクに介護をしようという意味で、「しれっと介護」をキーワードにされています。そのように思われたきっかけは何でしょうか?
渋谷ヒカリエで開催された「超福祉展」で紹介されたフランスのコメディ・ドラマ映画『最強のふたり』を観たことがきっかけでした。
事故で全身麻痺となり、車椅子生活を送る大富豪・フィリップと、介護経験のないままケア役に抜擢されたスラム街出身の黒人男性・ドリスの話です。ふたりは高級スーツとスウェット姿で街を歩き回り、洒脱な会話と下ネタがぶつかり合います。
ドリスのフィリップに対する態度は、障がいのある人としてではなく、本当に普通の人間として接していて、遠慮がない。そのドリスの姿を見て、「この人、しれっと介護をやってるな」と思ったんですね。
――『最強のふたり』のドリスは介護相手であるフィリップのことを、日常生活ができない人とは思っていないですよね?
そう、思っていないですよね。我が家も同じです。遠距離介護だからというのもありますが、「できることは自身でやる」が基本なんですね。母が洗剤をつけずに皿洗いをしたり、きちんとすすがなかったりするのは日常茶飯事です。
できることは最後まで自身でやってほしいという思いがあるので、とりあえず1回は家事をやってもらいます。もう一度、私が洗い直すことになるんですけど(笑)。
在宅介護をしている人も遠距離介護をするつもりで周りの態勢を整えていくと、介護者である自身がいなくても生活が回っていくようになります。500キロぐらい離れたところに親がいるイメージですね。そういう発想は大事だなと思います。
介護ごときで人生を犠牲にしてはダメなんですよ。親といえども結局は他人なので、介入できることは限られる。薬を投与してもリハビリを頑張っても、できることには限度があります。自身が後悔しないために介護をする。決して親のためだけじゃないんです。
――介護者である自分がいなくても生活が回るようにという話がありました。そういう発想に至ったきっかけは、どんなところにありますか?
介護離職する前に、マネージャー職に就いた時ですね。立場が上がってチームメンバーをまとめる時に、人に仕事を振ることを覚えて。マネジメントも介護も同じだと思うんです。
マネージャー職に就くまでの私は、何でも自分で仕事を抱えてしまうひどい人間だったと思います。介護者の方でも何でも自分ひとりで抱えてしまう方、人に頼れない方は結構多いですよね。
まず、自分が無理をしないこと。素直に人に頼る。自分の立ち位置を俯瞰で見る。介護でイライラしないように、家族がマネージャーとなり、ケアマネジャーさん、ヘルパーさんを頼る。それが大事かなと思います。
――人に頼ることは、本当に重要なんですよね。
他にも、「介護の集い」や「認知症カフェ」に行くと、他のケアマネジャーの情報が入ってきますよ。実はケアマネジャーの力量によって受けられる介護サービスが変わってしまうため、「自分のケアマネさんに、今度はこんなことをお願いしてみよう」などと、介護サービスの改善点がわかるんですね。
相性の合わないケアマネジャーは、担当を変えても良い。インターネットや介護本だけではつかめない重要な情報を知ることができます。
あとは、SNSなどでの発信を継続することですね。私も「いいね!」の見返りを求めずにとにかく自身の経験を発信していたら、思わぬところから良い情報が入ってくることがありました。自身の介護生活がより良くなるゲームチェンジャーに出会った、すごい介護のプロを紹介してもらえたこともあります。
介護で孤独にならないためにも、ゆるく人とつながり合う。そして、発信したことに対して承認欲求を求めない。介護の現場もSNSも距離感が大切ですよね。
第一歩は情報収集。ニュースなどへ「介護アンテナ」を張ろう
――最後に、介護に対して過剰に不安にならないように、親が健康なうちにできることはありますか?
介護に対して、アンテナを張っておくことですね。通勤時にスマホで読むニュース記事の中でも介護ネタはたくさんあります。ちょっと意識するだけで、今まで目に止まらなかったものが情報として頭に入ってくるようになりますよ。
そうしておくだけで、いざ自分が介護をする段階になると、「そういえば、あんな記事があったな」と検索できるようになる。それだけでも介護の形は変わってくると思います。