こんにちは。イラストレーターのカワグチマサミです。
好きなものはゲーム、苦手なものは家事。9歳の息子と、夫と三人で暮らしています。
カワグチ家の「親子三世代物語」では、私の親、また義理親とのエピソードを書いていこうと思います!まずは、わたしの家族の紹介から。
実は、私がイラストレーターを目指していた頃、親との仲はあまり良くありませんでした。
私が不安定なフリーランスとして活動することを、親は心配し、反対していたからです。
ですが、私がイラストレーターとして安定して活動し始め10年以上経ったことで、親との関係も変わりつつあります。
今となっては……。
そう、息子を出産した当時は、まだ、親との仲は気まずいものでした。里帰り出産は到底考えられませんでした。
そもそも、私は就職して一人暮らしを始めてから、一度も実家に帰ったことがありませんでした。実家に帰りにくい理由は、イラストレーターとして反対されたことも理由の一つですが、それ以上に大きな理由がありました。
実は当時の実家は、ゴミハウスだったのです。小さな団地なので、屋敷ではなくハウス。モノやゴミが溢れていて、この世に生まれたばかりの子どもと、体力が回復していない私が過ごすにはハードすぎる環境でした…!
ということで、里帰り出産はせず、夫と一緒に育児をすることにしました。といっても、夫の会社の育休は、一週間。
育児休暇一週間。
一週間て……
それに加えて私は、出産、産後のことについて無知でした。産後、とんでもなく眠れないってことを知りませんでした…!
産後1ヵ月は、1、2時間おきに、授乳や、オムツ替え、夜泣きなどがあります。一人の命をお腹の中で10ヵ月も育み、激痛と悲鳴の中、出産する。体力だって、すぐには回復しません。
もともと、寝ることが大好きな私は、ノイローゼ気味になってしまいました。そんな情緒不安定な私を心配して、母と義理母が、交互に応援に来てくれることになりました。
シフトはこんな感じです。
月・木曜日 私の母(スズエ)
火・金曜日 義理母(サチコ)
水・土・日曜日 夫(ユウスケ)が早めに帰宅するまたは仕事を休む
母と義理母は、それぞれ平日週2回、昼過ぎから夕方頃まで、家事全般を行ってくれたり、赤ちゃんのお世話を手伝ってくれました。それぞれの実家から1時間半かけて来てくれました。
当時、50代の母、60代の義理母にとって、家(自宅)のことをしながら、往復3時間かけて移動し、我が家の育児の手伝いをすることはとても大変だったと思います。
特に私の母は、実家をゴミハウスにしちゃうほど掃除が苦手なのに、私と息子がいる家を積極的に掃除をしてくれました。
30年以上、どれだけ「掃除をして!」と言っても、してくれなかった母が、です…!
これはカワグチ家では、産業革命以上の大革命です。掃除が苦手な母でも、それだけ息子のソウちゃんが大切なんだ…と思いきや、
ラスボスは倒せないけどスライムは倒せるみたいな?
まぁ、母はシャイなので。
照れちゃって、遠回しな言い方になっちゃったんだと思います。だってほら、息子も抱っこしてくれて……
いや、今なら分かるんです。母は無表情だけど、その顔は元からのもので、さらには不器用なんです。これでも、息子のことを可愛がっていた…のだと思います。
だけど、当時の私は、寝不足と産後ホルモン全開で息子を守るために警戒心MAX!私は母から息子を抱き上げ、近くにあったプレイマットに寝かせました。
すると母は、プレイジムに寝かされた息子を、じっと見て……
その母の言葉に、私は…
情緒不安定、炸裂!
今の通常の私なら、「大丈夫だって〜」ってのんきに返してたはずです。
母親になって初めて気付きました。母は子どもを守るために、異常なまでに必死になるみたいです。特に、産後直後は。それは猫とか熊とか動物でも見られることです。本能なんですね、きっと。
だからなのか、「踏んでしまう」とか、ネガティブな言葉に異常に反応してしまいました。
自分と子ども以外の人間は、スイッチが入った瞬間、敵になってしまう。
壊れてしまった娘を前に、母は謝るしかできないですよね…。
今思えば、私にとって、初めての子育て。もともと大雑把で不器用な性格もあり、赤ちゃんを守り育てるプレッシャーは人より大きかったと思います。
赤ちゃんが静かにしていたら、心配で眠れない。かといって泣き出しても、眠れない。もうとにかく眠れない。
寝られないと、思考が回らない。不安になる。イライラする。情緒不安定になる。子育て中の人は、少なからず、この状態の人が多いと思います。子どもを守り、育てることに一生懸命な人ほど。
産後の母の心はガラスのハートです。いやそんなもんじゃない。ちょっとしたことで、ボロボロのホロホロに崩れてしまう。
源氏パイハートです。
私をホロホロにしたのは、母だけではありません。
同じく産後間もない頃、夕飯を作る体力がなく、夫に夕飯を買ってくるようにお願いしたことがありました。
そして、夫が帰ってきたとき……
情緒不安定スイッチオン!
授乳中は、食べるものも子どもへの命に関わることにつながります。だからここまでパニックになったんです。いや、ただの食い意地だったかもですが。
どちらにしても、いつもならもう少し、もう少しだけマシだと思います。だけど、当時の私だって、ずっと不安定なわけではないのです。
母が帰ったあと、夫が寝たあと、一人になって後悔していました。
義理母が来るときに、同じように怒り泣き崩れてしまったらどうしよう…。
そんな、不安を抱えながら、義理母がお手伝いに来てくれる日がやってきました。
なんと、義理母は…!
デパ地下惣菜やデザートを買ってきてくれました!私に、自由な時間も与えてくれました…!
義理母の対応に私は……
結局、泣き崩れました。
なんかもう、この頃は、泣いてばかりでした。産後って、悲しくても嬉しくても、涙もろくなります。すぐホロホロになる、扱いにくい私の源氏パイハートを守ってくれた義理母。
人は、とても辛いとき、悲しいときに優しくしてくれた人のことを強く覚えています。私はあのとき、義理母がデパ地下のご飯やスイーツを買ってくれたときのことを、今でも鮮明に覚えています。
その頃、私は、産後の不眠とともに、授乳がうまくできず、乳腺炎にもなってしまいました。出産も痛いけど、乳腺炎もめっちゃ痛いんです…!寝られないほどに…!心身ともにホロホロのボロボロ…。
そんなときに、私の身体のことを考えて、和食のお惣菜と、和菓子を差し入れてくれたことにとても感動しました。
辛いときだったからなおさら、義理母のことが大好きになりました。
産後の母は、源氏パイハート。
だから、全国の孫がいるみなさま、産後のお母さんは優しくしてあげてください。和食、和菓子の差し入れなんかもおすすめです。美味しいものを、手土産に持ってきてくださると、とっても嬉しいです!
それは、きっと、私だけじゃないはずです。
ー後日談ー
産後を振り返りながら、この記事を書いているときのこと。当時の母は、「産後の荒れ狂う私のことをどう思っていたのだろうか?」とふと思いました。
そして電話をしてみることに。
PLLLLLL
私:今、産後の記事を書いてるんやけど、あのとき、迷惑かけたよなぁと思って…。
母:あのときは荒れてたなぁ。でもまぁ仕方ないやん。
私:え?
母:お母さんも、あんたを産んですぐはしんどかったもん。母親なら、みんな一緒やろ
私:そっかぁ。それで…
母:あの頃のあんた、怖かったしな。あ、でも…。
母:まぁ過ぎたことやし。
私:えぇ、ごめん…。昔のことやけど。
母:まぁ仕事、がんばり。
私:ありがと、がんばるわ〜。
ガチャン。
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なんてこっちゃ。
まさか、当時、そんな母の苦労があったなんて…。母は糖尿病なので、血糖値が上がることは本当に危ないことです。自分がそんなに大変な状況だったのに、息子と、荒れ狂う私のために家のことを手伝いに来てくれていた。当時は、慣れない育児で、自分と息子のことだけで、毎日がいっぱいいっぱいでした。
でも、素直に気持ちを伝えてたら…母を理解しようとしていたら…育児だって、もっと、楽だったのかもしれない。
これは……。
親とすれ違っていたこと、まだまだたくさんありそうだ。昔の自分の気持ちは、変わらない。だけど、「今」の私が、当時を振り返ることで、すれ違っていた親と向き合うことができるのかもしれない。ちょっとまだぎこちない、今の親との関係性を、軽くしていけるかもしれない。
だからこれからも、このカワグチ家の「親子三世代物語」を通して、両親や義理両親と向き合い、昔のありのままの気持ちや、今の変化の気持ちを書いていきたいと思います。