グレイヘアは美人にしか似合わない?
結城アンナさんのグレイヘアは文句なく素敵でした。『グレイヘアという選択』の表紙を「美術館級!」と評した人もいて、確かに美しい肖像画のようでもあります。でも、というか、だからこそ、いざ自分もグレイヘアにしようと決意すると悪魔が心の中でささやくのです。「アンナさんは美人だから似合うけど、自分に似合うと思う?」。ギクッ。
おっしゃるとおりです。いきなり心が折れます。アンナさんはきれいだからグレイヘアがとても似合います。美人はなんだって似合うのです、グレイヘアだけでなく黒髪だって金髪だって……。不平等だけど、仕方ないですね。
でも、思い出してください。いわゆる「美人女優」枠ではなかった、個性派俳優の樹木希林さんのことを。希林さんは白髪を染めず、ありのままの髪でした。もし希林さんが染めていたらどうだったでしょう? あれほど際立った個性で存在感を示すことはなかったのではないかと思います。
希林さんはかつて「もったいないから白髪は染めない」とおっしゃっていました。女優として自分の髪色に価値があることに気づいていたのです。若く見えるとか、美しいとかではなく、自分らしいかそうでないかが大事だということに。(余談ですが、希林さんはよくヴィンテージの1点ものをリメイクしてお召しになっていました。それがまたよく似合っていて、他の誰とも似ていない独自のファッションとして輝いていました。自立した大人の女性であることが見た目にも現れていて、カッコいいなぁと今でも憧れます。)
誰もが称賛する、「きれい」であること、「若く見える」こと。でも、同じように「自分らしい」ことも立派な価値のひとつだと思いませんか?
またまた余談ですが、アンナさんのグレイヘアを見て「なんで染めないの? もったいない」とおっしゃった殿方がいたとか。つまり、美人なんだから染めれば女性としてまだまだ魅力的なのに、ということなのでしょうかね? 舘ひろしさんや吉川晃司さんなどのグレイヘアイケメンに、そんなことをいう人はいないのになぁ……。
自分本来の髪色が自分に一番、似合う色
自然かどうか、という観点で見ると、染めた髪色が顔に合っていなくて不自然な人ってたまにいますね。若く見せたくて黒々と染めたことが仇になり、顔とのちぐはぐ感がハンパない人や、若い頃ならイケてたかもしれないサーファー風の赤茶色にしたがために、大人としては軽~い印象の人になってしまっていたり……。年齢と共に顔の肌色や質感は変化し、シワやたるみも出てきますが、髪も同じく年齢と共に色や質感などが変化していき、結果としてひとりの人の肌と髪は調和するようにできているように感じます。
肌色をブルベ(ブルーベース)とイエベ(イエローベース)に分けることで、その人に合う色を見つけるカラーコーディネート術が人気ですが、色素の関係で人それぞれ肌や髪の色は違います。だから、日本人の黒髪も単一ではなく、真っ黒な人もいれば、茶色っぽい人もいるのです。白髪も同じで、シルバ―系に見える人もいれば、ベージュ系の人もいます。顔と同じように髪にも個性があり、それがとりもなおさず「自分らしさ」につながっているわけです。まさに十人十色、みんな違っていて、それぞれがその人の個性なのです。
白髪の色もそうですが、生え方分布も人によって異なります。私は右半分に白髪が多いタイプですが、顔周りに多い人や、まんべんなく生えている人、中には天使の環のように白髪の細い帯がグルっと頭を囲んでいる短髪の方もいました。
ずっと染めていると、どこにどう白髪が生えているか分からないのと同じように、いったいどれくらいの量の白髪が生えているのか、自分でも分からないところがグレイヘアへの決断を鈍らせる要因のひとつです。
真っ白だったらどうしよう?と心配する人や、逆に白髪混じりは美しくないから、いっそ全部白くなるまで待ちたい、という人も(でも、その人がいつ真っ白になるのかは誰にも分かりません。「神のみぞ知る」です。髪だけに??)。グレイヘアは出たとこ勝負なのです。それがこわくて踏み切れないという人もいますが、どう出るか分からないからこそ、「本当の自分」との出会いはドキドキワクワクなのです。
「白髪は染める」がいつのまにか常識に
というわけで、グレイヘアとは「自分らしさ」でもあることがお分かりいただけたと思います。
そして、白髪が増えてくる年齢は、それまで「〇〇さんの奥さん」「〇〇ちゃんのお母さん」「〇〇さんちのお嫁さん」「〇〇会社の社員」など、背負ってきたいろいろな役割のいくつかから解放される時期でもあります。一生懸命、自分の役目を果たそうとがんばってきた人も、やっと肩の荷を下ろして、本来の自分に戻り、自分をいたわるときがきたのです。今まで無理して白髪を染めていたとしたら、そこからも卒業していいのではないでしょうか?人からどう評価されるか、ではなく、自分が心地いいかどうか、という、いわゆる自分軸の判断基準も大切になってきます。
白髪まじりの髪と染毛が混在する移行期。その初めの頃は、自分が世間のルールに背いているように思えて、勝手に人目を気にして肩身の狭い思いをしていました。でも、3ヵ月を過ぎるころから、目と気持ちが慣れてきたせいか、「染めないほうがラク」という自分軸が優位になり、不思議と人の視線が気にならなくなりました。そして、自分が思うほど人は自分のことを見ていないことも分かりました。もし誰かの視線を感じても、「グレイヘアですけど、なにか?」とばかりに、にっこり微笑む余裕さえ出てきて、自分がラクだと人にも寛大になれるのだなぁと思いました。
染めていたころは、「染めなくてはいけない」と自分で自分を縛って、ひとりでアクセク苦しい思いをしていました。考えてみたら、誰からも「染めなさい」といわれたことはありません。白髪が生えてきたら染めるもの、と思い込んでいたのです。これが「社会通念」いわゆる「常識」というやつか、と思い当たりました。常識って知らず知らずのうちにみんなの中に根を張っているのですね。