ゲスト:神津はづきさん/聞き手:依田邦代
撮影:田中みなみ/ヘア&メイク(神津さん):山本浩未
現在、刺繍作家として活躍する神津はづきさん。型にハマらない自由な作風が人気です。ホームウェアのブランド「Petit Taillor R-60」プロデューサーとしても注目され、どちらも「本当の自分らしさ」を大切にするコンセプトが大人の女性から支持されています。
神津さん自身、グレイヘアが「歳を重ねる自分を肯定する」きっかけになったのだとか。グレイヘアブームを作った編集者・依田がインタビューしました。
神津はづき(こうづはづき)刺繍作家・女優
1962年、作曲家・神津善行と女優・中村メイコの次女として東京で生まれる。姉は作家でエッセイストの神津カンナ、弟は画家の神津善之介。
1983年にテレビドラマで女優デビューし、テレビ、映画、舞台出演のほか、エッセーやラジオDJとしても活躍。1992年に俳優の杉本哲太氏と結婚し、一男一女の母に。趣味が高じて刺繍作家となり、不定期で刺繍教室を開催。2018年に大人の女性のためのファッションブランド「Petit Taillor R-60」を立ち上げる。
Instagram:@hazukitoito/@r_60_official
大人の女性の「自分らしさ」を大切に
—お洋服の刺繍、かわいいですね!ご自分でされたんですよね?
もともと手仕事が大好きで。高校卒業後、ニューヨークに留学したときも、まず買ったのはミシンでした。向こうではよくパーティが開かれるんですが、学生だったのでそうそうドレスも買えず、舞台衣装用の派手な生地を買ってきてはバーッと縫って、その頃、80㎝位あったウエストを敢えて強調するように、巻き尺をベルトがわりにして着たりしてました。
—そんな茶目っ気は、お母さまの中村メイコさん譲りですね。 はづきさんは刺繍教室を主宰していらっしゃいますが、始めたきっかけは?
ある時、友人の萬田久子さんのお誕生日プレゼントに困って、テーブルナプキン5枚にそれぞれ違う萬田さんを立体的に刺繍したんです。敢えて、すっごく大きなおっぱいにして…(笑)。そうしたら「やっぱり手で作ったものってかわいいね!」と大喜びしてくれて。
それを見た渡邉季穂さん(トータルビューティーカンパニー uka代表)が「刺繍教室をやってみない?」と声をかけてくれました。uka東京ミッドタウン六本木店で仲間うちでスタートしたのですが、ありがたいことに生徒さんも増え、今では6年目です。
—刺繍は自己流ですか?
はい。だから、「カサブランカの刺繍をしたい」という生徒さんやテーブルクロスを抱えて来る生徒さんがいたらどうしようと思っていましたが、良くしたもので「ぬか漬けの刺繍をしたいんです」とかそういう方々が集まってくれて。
はじめは、「VOGUEのモデルみたいな女性を刺繍したい」と言ってた人も、「私もおっぱい作る」って。六本木のミッドタウンで、まさかおっぱいを作っているとは誰も想像しないでしょうね。
—お手本があるわけではなく、それぞれが好きなものを?
そうです。だから、ときには突拍子もない希望もあるけれど、「こうしてみようか?」と一緒に考えながら進めます。私のバッグの中には布の切れ端やリボンやビーズやボタンなどがぎっしり入っていて、そこから使えそうなものを探して「やってみる?」と。幼稚園みたいだけど、皆さん活き活きと楽しんでます。
—日常の生活では、なかなか素の自分を出す機会ってないですから。
刺繍以外にも、写真を撮るとか絵を描くとかいろいろあると思うんです。みんなで同じものを作って、上手い下手を競うのではなくて、それぞれがやりたいものをクリエイトしていくと、使っていなかった才能がどんどん開花します。オリジナルなものが生まれてくるので、びっくりしますよ。
—お手本のないものを作るってちょっと不安ですが、今まで「いいお母さん」「いい奥さん」「いい主婦」として頑張ってきた方ほど、本当の自分を出すレッスンとして年齢的にも良いですね!
そう思います。
—はづきさんは「R60」という、まさにそういう年齢の女性に向けたファッションブランドを作られました。
「R60」というのは「R指定60」、本物の大人しか着ちゃいけませんという意味です。誰が着てもおしゃれに見えて、身体の線が出なくて、ノーブラでも大丈夫で、家で洗える大人のホームウェアのブランドです。
—それはどういうきっかけで?
これも、たまたま萬田さんが「家にいる時に着るものって結構困る」と言ったことから。「冬でも袖はいらないからノースリーブのVネックで、足首まで暖かくて…」という彼女のリクエストに応えたら、ほかの方たちからも「欲しい」「私も」と言われて作るようになったんです。
夏用のコットンから冬用のフリースまで同じ形で作っているので、気温に合わせて素材を選ぶだけ。これを着ていれば突然の宅急便の受け取りも、犬の散歩もOKです。おかげで、「家で何を着る?」というストレスとお別れできて、90㎖のゴミ袋2つ分の服を捨てられました。
—どこで購入できますか?
定期的に受注会をやっているので、そこで購入いただけます。
—そのお知らせは、はづきさんのインスタを見ていれば?
はい、「R60」のInstagram(@r_60_official)でお知らせしています。
コロナの緊急事態宣言中、グレイヘアに
—ボリュームとツヤのあるグレイヘアが素敵ですが、いつから、何がきっかけで染めるのをやめたのですか?
コロナ禍が始まった2020年春から染めていません。家を出て、ひとり暮らしをしていた娘と息子が緊急事態宣言直前に戻ってきていて、「急いで白髪染めだけしてこよう」と言った私に、娘が「はっ?誰のために、何のために?3週間後に白いの出てきたらまた染めに行くの?」と言いました。
思わずタジタジとなって「だってイヤじゃない白髪が出てきたら」と言うと、「電車に乗ってわざわざ行くことないじゃない」ときっぱり。みんな、とても感染を怖れていた時期でしたから。
そのときは内心「この怖い娘がいなくなったら染めよう」と思っていました。「どうせしばらく外に出ることもないし」と放っているうちにだんだん白髪が増え、ある時、娘から「ママ、その髪似合うね」と言われたんです。
—思いがけないひと言だったと思いますが、それによる心境の変化はありましたか?
それまでは、鏡を見ても自分の顔を見ていなかったことに気づきました。生え際ばかり気にしていたんです。でも、「似合う」と言われて初めて自分の顔を髪も含めて引きでじっくり見つめたんです。「歳取ったなぁ」と同時に、「進化しなきゃ」とも思いました。
そこから、染めずにどこまでいけるかやってみようと決意して、10センチ近くまで伸びたときに、「その髪色でお願いします」とグレイヘアの取材が入ったんです。
—後に引けなくなりましたね。
そうなんです。そのうちに自分でも慣れてきて、ナチュラルな髪色でいる方が楽しくなってきました。
—中途半端に伸びた移行期は、ちょうどステイホームだったんですね?
はい。人の目を気にせずに済んだのは幸いでした。その後、久しぶりに会った友人からは「はーちゃん(はづきさんの愛称)が浦島太郎になってる!」と驚かれましたが。
—そこからずっと染めずに現在に至るわけですね。
そうです。今年60歳になりましたが、30代の頃の価値観を引きずっているとマズイことになるんじゃないかと気づいたんです。おしゃれとか自分らしさとか女らしさをもう一回ゼロから見直さないと、70歳になった時にとんでもないおばあさんになってしまうかも…と。
—若い頃からのセルフイメージを引きずったままの人は多いように思います。
ステイホーム期間中に断捨離®した人も多かったですが、モノだけじゃなくて、自分の古い考え方や信じ込んでいたこともいっぱい手放せば、変われると思うんです。私の場合、ちょうどゼロに戻る還暦の歳でしたし。
白髪を染めていたのは、今思うと老いへの恐怖だったんです。でも、染めただけで安心して、特に努力はしてなかったですね。最近は、全身が写る鏡や鼻毛の白髪まで見える拡大鏡でチェックするようになりました。
—自分を直視できるようになったんですね。
染めていた時は若く見られて、実年齢を伝えると「ええ~っ、うそでしょ」って言われるのが内心うれしかった。でも、この髪にしたら相応の歳にしか見られません。それでも、たまに若い人から「脱色したんですか?」とか「何で染めてるんですか?」と聞かれることがあって、わざとしてる風に見えるんだと、ちょっと心がキラッとしてパックするようになったり。もう歳だからと諦めるのではなく、パックしたり、寝るときにしわ伸ばしシートを貼ったり、ちょっとした努力をする方が楽しいです。
—ありのままを受け入れて、慈しむということですね。
この歳になると頬も下がって腹話術の人形みたいになるけど、メスを入れたり、引っ張ったりするのは私にとってはネガティブで、怖くてできない。それよりも素の自分を磨く努力の方が楽しいんです。
—グレイヘアになってからメイクやファッションの変化はありましたか?
顔立ちにもよるけど、グレイヘアでメイクをしっかりすると返って老けて見えると思うんです。冷静に髪色と顔のバランスを見て、ありのままを出す選択の方が正しいと思える場面が増えました。
考えてみると、白髪染めをしていた時って自分を偽っていたんですよね。逆にこの髪色なら、ナマ足は無理だけど、分厚いタイツを履けばミニスカートでも「かわいいおばあさん」として許されるんじゃないかな、と。染めた髪でそれをやるとイタいけど。染めるのをやめると、いろいろとシフトチェンジができて楽しいです。
—ポジティブですね。
白髪染めをやめるって「私、実は歳を取っているんです」とカミングアウトするイメージがあるけど、決してネガティブなものじゃないと思うんです。一度、自分を俯瞰で眺めて、今の延長線上でなれそうな理想のおばあさんをイメージしておくと楽しいんじゃないかしら。
素敵な70歳を目指して楽しく努力中
—はづきさんにとって「かわいいおばあさん」とは、どのようなイメージですか?
実は、70歳になった時の理想があって…。バーバリーのトレンチコートを素敵に着こなすおばあさん、という。
—その具体的なイメージはどこから?
ある日、トレンチコートに真っ赤なバレエシューズを履いて、真っ白のカーリーへアに丸いサングラスをかけたおばあさんがバスから降りてくるのを見たんです。「むっちゃかわいい、この人!」って衝撃を受け、「私も70歳になったらバーバリーを着たい」って思ったんです。最近、状態のいい古着を見つけたので、普段から着るようにして、慣らし中です。
—着実に理想に向かって進んでいるんですね。
ベッドの枕元のビジョンボードに、「かわいいおばあちゃんになりたい」「70歳でトレンチコートを着こなしたい」と書いたメモを貼って、寝る前に見ています。そうすると目をつぶると映像が浮かぶんです。
—潜在意識に刷り込まれて、実現しそうな方法ですね。
潜在意識に残って、ボケても「どうしてもトレンチを着る」と言い張るおばあさんになっていたりして(笑)。
—中村メイコさんはウイットに富んだおしゃれが得意な方。以前、お会いしたときはネイルまでワントーンコーデをされていました。そんなお母さまを近くで見てきたはづきさんも素敵に歳を重ねられそうです。
全然(笑)。あの人はちょっと特別な生きものなので参考にはならないんです。このブラウスにあそこで買ったあのスカート、それにこの靴をはいて、このバッグを持って、というのが面倒くさくなってからは「今日は赤」「今日はブルー」とカメレオンみたいな全身同じ色のコーディネートをしています。
—私がお会いしたときはグリーンでした。
母から何かを教わった記憶はないけれど、ポジティブさだけは知らず知らずのうちに毛穴から吸収したように思います。あの人が機嫌が悪いとか落ち込むとか悩んでいるところは見たことがなくて。何が起きても、「あ、まぁいいわ」って、なんとかしていっちゃう。芸能界にいると、アクシデントが起きても、とりあえずやんなきゃならないからでしょうか。
60歳からの生き方を考えるうえで、何があっても前に進もうと考えることができることは、母に感謝です。
幸せになる秘訣は「線ではなくて点」
—60代になり、これからをどう描いていますか?
最近、夢を見ても、起きると内容を覚えてないんですが、ある朝目覚めたときに、布団の中で「そうだ、幸せは線ではなくて点なんだ」ってひとりごとを言ったんです。「えっ、私どんな夢見たんだろう?」って…。
—何だか深そうですね。
人って点と点を線で結ぼうとするじゃない? 例えば恋をすると、相手からメールが来たからこっちからもして、一緒にお茶飲んだから、次は飲みに行けるかな?とか、できごとをつないで、次につなげようとする。
でも、それをするから悲しいことやうまくいかないことが起きると思うんです。だったら線でつながず、点だけにすればいい。例えば…
「今、メールが来た。」「私からもメールしちゃった。」「ハートマークつけちゃった。」「お茶飲もうって言ってきた。」「2人でお茶飲んじゃった。」「相手がご馳走してくれた。」って良いことだけを集めれば、遠くから見たらほぼほぼ線になってる。
—線って、何でしょう?
先を予想すること…?例えば「今日きれいだね」って言われると、「えっ、何であの人そんなこと言ったんだろう? 私に気があるのかな?」とか「え?服?顔?」とか、なんかそれを引っ張って答えを探そうとするじゃない。だけど、寝る前に「私、今日きれい」って言われた。マルって。それだけでいいじゃんって。
—ああなんじゃないか、こうなんじゃないかと考えずに…。
そう、ついその先を予想しようとするけど、その予想って大抵が独りよがりで、当たっていない。幸せでいるには点だけを集めていればいいと思うんです。
人って考えているとネガティブな方向に行きがちで、起きてもいないことを勝手に心配するでしょ。「100歳まで生きたらどうしよう」とか「保険は何歳まで払えばいいの?夫が〇歳で死んでくれたらこれだけお金が入るんだけど」とか言う人がいるけど、そこに楽しいことはひとつもない。その思考のクセを捨てないと幸せにはなれないって、ある朝起きたときに気づいたんです。
—「幸せは線ではなくて点」…目覚めのひとことが哲学的過ぎます。
母・中村メイコのポジティブさがお手本に
—「歳を重ねる」ことも悲観的に考えがちですが、お母さまのポジティブさはお手本になりそうですね。
母が先日、「血液検査しないと薬を出してもらえない」と言うので病院に連れていったんです。今、外出するときは車いすなので、心配だからと父も付いてきたんですが…。90歳過ぎが付いてくる方が面倒くさい(笑)。
朝からお酒飲んだりしてるのに、肝臓の検査結果は私よりいいくらい正常で。昨年、両親ともコロナにかかって外に出られないときに、ご飯を作りに行って、「何が食べたい?」と聞いたら「天ぷら」と言うので目の前で揚げてあげました。母は熱が38℃以上あったのに、かき揚げを「もう一個作れる?」って2個食べました。
そして、「あなた天ぷら上手ね、私こんなに上手に揚げられないわ」って。「私、あなたの揚げた天ぷら食べたことないんですけど」って思いました。女優なので、したふりをするのは上手なんです。
そして、「やっぱり天ぷらにはウイスキーね」って水割りを3杯飲んだんです。「この世のものじゃない」って思いました(笑)。でも、母が元気で居続けてくれることは、娘としてはありがたいことですね。
—母親としてはどのようなお母さまでしたか?
私が子どもの頃は、コンピューターもない時代でしたから、父がオーケストラの譜面を書くときは、家に20人位の方が集まって全員でオーケストラの譜面を写すわけです。タバコの煙がもくもくの中に人がひしめいていて、母は母でブワーッと友人を連れてきてどんちゃん騒ぎしてる。
お手伝いさんが4人いて、祖母も一緒に暮らしてて、なんじゃこりゃ!?みたいな家で育ちました。母が洗濯機を回したり、掃除機をかけている姿は見たことがないです。主婦や母親という役割ではなかったですね。忙しかったし。
—ですが、どんなに帰りが遅くても、子どもたちのお弁当を作っていたと聞きました。
毎朝、作ってくれました。ある朝、ベロベロに酔っぱらって帰ってきて、「今日すごく気持ち悪いからお弁当あっさりにしといたわよ」って。私は気持ち悪くないんですけど(笑)。
—お料理はされていたんですね。
でも、味見をしないから、たまにお砂糖と片栗粉を間違えたんじゃない?みたいなものが出てきたりして…。食べられないものが食卓に出てくると、父からこっそりビニール袋が回ってきて、各自、ピッって入れて父に戻す。父はそれをテーブルの下に隠して、あとに犬にあげに行くんです。最近、母にその話をしたら「あら、そうだったの? 失礼ね」って。
父は「あの人に普通のことをやれって言ったらもっとややこしくなるから我慢しろ」と、ありのままの母を許していました。私が幼稚園生の頃から「お母さんのことはお父さんが面倒を見るから心配するな。あのまんまにしとけ」って。そして今、有言実行しています。
—お父さまが家事をされているのですか?
今は父が掃除も食事づくりもやっています。ある時、父が「お母さんの食欲がない」って言うから、母に聞くと「まっずいの」って言うんです。「あなたもさんざんまずいものを作ってきたんだから我慢して食べなさいよ」と言ったら「あら、やだ~」。
父に「たいへんだから、私が1週間分を作って冷蔵庫に入れておこうか?」と言うと、「あの人の食べたい物は僕にしかわからない」。母に「そう言われたからね」と言うと「やだわ、まっずいのよ」って。
—この年代の男性にしては珍しいですね。
これはまぁ、2人でやってきた夫婦の時間の最終章なので。父も母に詫びておきたいことを数々してきただろうし、母も素っ頓狂な妻をやってきたわけだから。2人で作る結末には娘も入れないんです…。
—ほほえましいご夫婦とお見受けします。はづきさんが、これからやりたいことは?
60歳で0歳に戻ったから、もう一度、留学とかできたらなと思ってます。本当は1年のうち半分くらいをひとりでフランスに住みたいです。チクチク刺繍するにも、窓からフランスの景色が見えたほうが気分がいいでしょ。
パリに住む友人から「いつでもアパートを使っていいわよ」と言われていたのに、コロナになってしまって…。でも、そろそろいいかも。
—いいですね!大きくリセットのときですね。