ゲスト:登坂淳一さん 聞き手・文:依田邦代 撮影:junko
元NHKアナウンサーとして、ニュースなどでもおなじみの「麿(まろ)」こと登坂淳一さん。あるときからカラーリングをやめ、グレイヘアのアナウンサーとして画面に登場するように。30代半ばの若さということもあって「何があったのか?」とお茶の間をザワつかせました。
現在50代となり、多方面で活躍する登坂さんに当時のことや、「白髪(はくはつ)のパパ」として育児奮闘中の現在のことなどをお聞きしました。
Profile:登坂淳一(とさか じゅんいち)
- フリーアナウンサー、タレント、俳優、YouTuber、TikToker
- 1971年東京生まれ。
- 1997年、NHK入局。和歌山放送局、大阪放送局を経て、2003年にNHK放送センター・アナウンス室へ異動。定時ニュース等を担当する。
- 2006年12月、約8年間続けていた白髪染めを中止。ネット上で「麿」の通称で知られるようになる。
- その後、札幌放送局、鹿児島放送局に異動。
- 2018年1月11日付でNHKを退局し、フリーとなる。
- 2021年に第一子、2022年に第二子が誕生。
20代半ば、和歌山カレー事件のストレスで白髪に
—登坂さんは現在、2歳と1歳のお子さんの子育て中で「白髪(はくはつ)のパパ」というブログも発信されています。NHKにお勤めだった若い頃からグレイヘアのイメージですが、実際には何歳くらいで染めない選択をされたんですか?
1997年にNHKに入局し、最初の勤務地が和歌山でした。翌98年に和歌山毒物カレー事件が起き、現場に行くことも多く、半年くらい猛烈に忙しかったんです。
ある日、ドライヤーで髪を乾かしていたら、内側にパラパラと白いものが見え、「あれ何だろう?」と。「もしかして病気かな?」とも思いましたが、健康状態は悪くなかったので、ストレスで白髪が生えると聞いたことがあったのでそれかなと思いました。そのときが白髪を意識した最初でした。
うちは父方も母方も白髪になる家系なんですけど、20代半ばでこんなに白髪が生えるものかとちょっとびっくりしましたね。
—それからは染めていらしたんですか?
最初は放っておいたんですけど、数ヵ月でさらに増えたので無性に気になってきて、染めてみようと思いました。若かったこともあり、茶色でいいやと。黒い地毛の中に茶色く染まった白髪があるという感じでした。地毛の黒が濃くて、毛量もあったので、少し茶色が入るくらいがちょうどいいかもなと思っていたんです。
—少し軽く見えるように、ということですね?美容室で染めていたんですか?
月イチで通っていました。それまではカットだけだったので、染めるとこんなに料金が上がるんだと知ってびっくり。「これを月1回か…」と思いながらも続けていましたね。
黒一色で染めた髪が海苔の佃煮のようだった
—お忙しい中で結構大変ですよね?それを何年くらい続けられたんですか?
8年余りです。和歌山に3年、大阪に3年いた後、入局7年目に東京へ異動してニュースの担当になり、家で録画を確認してみたら、東京のスタジオはライティングが明るいせいか、すごい茶髪のお兄ちゃんに見えたんです。ただでさえ若いお兄ちゃんがニュースをやってると見られるのに、この髪色だと余計そう見えるなと思って、茶色はやめることにしたんです。
—周りから、髪色のことを何か言われたりしましたか?
周りから茶色すぎるとか茶髪でどうだと言われることはありませんでした。上司からも、一緒にやっていた報道の現場からも何も言われなかったです。でも自分の中でこれはマズイと感じてしまったんです。
東京には美容室がたくさんあってわからないので、後輩に教えてもらったカリスマ美容師のいる美容室へ行くことにしました。そこで、黒く染めるようになったのが東京に異動した2003年でした。
相変わらず月イチで染めていました。トータルで8年くらい染めた最後の約3年は東京でやってもらっていたんですが、だんだん染まりにくくなってカラーリングの度合いが少しずつ強くなっていったんです。
—白髪の量が増えて、染まりにくくなったということですか?
そうです。年々白髪の面積が広がっていたので、カラー剤の量もどんどん増えていきました。
—頭皮へのダメージも強くなりますね。染める時に、ヒリヒリしたりかゆくなってかぶれる方もいらっしゃるみたいですが。
染めるときにキャップをかぶって少し時間を置くんですが、染めていた時期の終盤にはヒリヒリして「痛いなぁ」と感じるようになっていました。美容師さんに「痛い」とか「ヒリヒリする」と伝えたこともありましたが、しっかり色を入れるためには仕方ないことだとあきらめていました。でも、結構きつかったです。
—頭皮のバリア機能がだんだん失われていくのかもしれないですね。最初は大丈夫でもだんだんきつくなってきますよね。
本当にそうでしたね。それに、髪も細っていく感じがしました。当時の録画を見ると、不自然に黒いですし、セットしてもらうと髪がペタッとして…。自分でもモヤモヤしていました。ある時、食卓のノリの佃煮を見たときに「あれ、なんか似てるな」と(笑)。
「自然体」という言葉が響いて、染めるのをやめた
—今はグレーのグラデーションで陰影ができ、立体感もありますが、黒一色で染めるとベタっと不自然な感じになりますね。モヤモヤしながら染め続けていた登坂さんが、やめようと決断したきっかけは?
2006年12月頃、美容室でその日も「カットとカラーで」とお願いしたんです。担当の美容師さんから「僕がやるようになって約3年ですよね?月イチで何年くらい染めているんですか?」と聞かれたので、「8年くらいですかね」と。そうしたら、僕の頭皮と髪を見て「そろそろ黒染めをやめてもいいんじゃないですか?」と言ってくれたんです。
当時、僕は34、5歳。その美容師さんは「あなたの髪や健康を考えて勧めますが、伸びた白髪の感じを見ると、あなたなら絶対にいい感じのグレイヘアになると思う」と説得力のある言葉で勧めてくれたんです。「来るよ、グレイヘアの時代が来るから」とも力説していました。
自然じゃないことはどこかの段階で無理が来るものですが、髪も同じで、「グレーの方があなたらしくて自然体なんじゃないか」と言ってくれたんです。その「自然体」という言葉がスコーンと腑に落ちました。
—カラーリングは美容室の大きな収入源なので、やめることを勧めてくれる美容師さんは貴重ですね。
そう言われたことで、自分の心の中のモヤモヤが形になって出てきたんです。
「なぜ自分は今まで染め続けてきたのか?それもダメージの大きい黒に」や「何で髪色が黒じゃなければいけないんだろう?」と疑問が次々に湧いてきました。
誰かに染めろと言われたわけでもないし、黒でなければいけないということもないのに、何となく世の中の既成概念で「白髪が出てきたら染めるもの、しかも黒で」と刷り込まれていた、あるいは勝手に思い込んでいたのかも、と気づいたんです。
「自然体」はとても勇気のいることで素敵なことだと思いました。頭皮や毛髪が健康になるのもいいなと思いました。
「わかりました、やめます。今日を境にやめます」と。
実はその美容師さんは、いきなりやめると急に白が目立って、自分も周りもびっくりするから、ぼかした感じで染めながら、半年くらいかけて移行する方法を勧めようとしていたんです。でも、僕は「いえ、今日からすっぱりやめます」と宣言しました(笑)。
視聴者からは「働き過ぎなんじゃないか」との声も
—すっぱりと?それ以来、一切染めずに。
そうです。以来、染めていません。そのときはいつもより少し短くカットしてもらいました。少しでも早く自分の髪色に戻るように。
—皆さん伸びてきた白髪と染めていた髪色とのギャップに悩みます。グレイヘアへ移行中の状態を「富士山の冠雪」と呼んだりもしますけど。
「逆プリン」とも言われましたね(笑)。
—この人、本当はこんなに白髪だったんだとか、忙しくて染めに行く時間がないのかなとか、周りにいろいろと思わせてしまったりしますよね。
とても思わせてしまったと思います(笑)。当時、月~金の正午ニュースを担当していましたから、急にやめると目立つのは想定内でした。でも、それは致し方ないと思っていたんです。
「自然体でいきたいので、染めるのをやめました」と正午ニュースの担当部署の部長に話したところ、「いいじゃないですか」という感じでした。NHKの先輩で白髪でテレビに出ていらっしゃる方も数人はいたんです。
時間が経つにつれ白髪の面積が広がってきて、それと共にネット上でも僕のことがバーッと広がりました。
—かなり世間をザワつかせましたよね(笑)。
はい。「この人、大丈夫なんだろうか?」とお茶の間で話題になったりしたかもしれません。
でも、それが皆さんに自分のことを知っていただくきっかけになったんです。
結局半年くらいかかりましたね。全部、自分の元々の髪色になるまでに。美容師の方の目論見どおりでした(笑)。
—視聴者の方からの反響もいろいろあったと思うんですけど。
あったとは思います。ただありがたいことに上司が全部見て、僕には届かないようにしてたんだと思います。
モニターレポートとかは自分でも見ていました。「あの人は働き過ぎなんじゃないか」とか、「体調が悪いんじゃないか」とか「いじめられているんじゃないか」という声もありましたね。でも、放送に毎日出ていることで元気だということは伝わると思っていました。
当時の首相、小泉さんがグレイヘアの先輩だった
—NHKの女性アナウンサーでグレイヘアの方はいますか?
いないですね。
男性の先輩にもよくメイクルームなどで「いいよね、やめられて。俺も毎回毎回染めるのはイヤになるよ」などと言われました。「やめたらいいじゃないですか?」と言うと、「いやー」って。なかなか勇気のいることなんだと改めて思いました。
—男性でも白髪には抵抗があるんですね。でも、男性の白髪には「ロマンスグレー」という呼び方があります。素敵なものとして認知されている部分もあるんじゃないでしょうか。
どうでしょう。若い人たちにまで認知されているかどうかはわからないですけど。自分は30代と若かったし、男性だけがロマンスグレーと言われるとか、そこまで考えも至っていなくて、先の見通しもなく染めるのをやめた感じでした。
2006年といえば、郵政民営化や構造改革などのニュースで小泉首相が頻繁に登場していました。小泉さんは、皆さんご存知のようにベートーベンのようなグレイヘアですから、「いた、いた、あそこに!」と僕としては先輩を見つけたようで大変心強かったです(笑)。
—「30代でグレイヘアは早すぎる」とか「〇歳になったら、染めるのをやめてもいいんじゃないか」などと世間で言う人がいます。30代前半で白髪染めをやめることに対して、登坂さんご自身は「早すぎるかも」という思いはありましたか?
早いとか遅いとかという思いはなかったですね。自分の中では「8年以上も染め続けたので、これからは健康優先」という気持ちが強くなっていて、ちょうどそういうタイミングだったのだと思います。自然体でいこう、と決めたことで心が軽くなりました。
—決めた後は揺れ動いたり逡巡することはなく?
ないですね。「染めたほうがいいんじゃない?」と言ってくる人も稀にいましたけど。そう言われないように、ヘアケアにはより気をつけるようになりました。
「髪が、なんかいいですね」と言われるようにしたいなと。
若々しい外見を保つためにしていることは
―乾燥してパサついていたりするとグレイヘアも残念な印象になりますね。登坂さんが心がけていることは?
髪を洗うときは、まずぬるま湯で予洗いをして、頭皮や髪の汚れを落とします。熱すぎるお湯で洗わないように気をつけています。また、疲労がたまると頭皮が硬くなったりするので、もみほぐすようにしながらシャンプーします。
月1回は必ず美容院でカットして髪を整えることも心がけています。あとは、食べ物とか睡眠とかも含めてトータルで髪の健康を考えるようにしていますね。
―内側から、ですね?
そうそう、時間はかかりますが、インナーケアも意識しています。
ひと月に一度の美容室通いは、その月の生活サイクルを点検する機会にもなります。今月はすごく忙しかったとか、歓送迎会が多くて外食が多かったとか、睡眠時間が減っているとかそういうことが髪に影響を与えたりすることを実感するタイミングです。
シャンプーも合うものを選んで使いますが、もう一方で内側から強くすることも続けていきたいと思いますね。
―若々しい外見を保つために何かトレーニングなどされていますか?
4年ほど前から、週に1度トレーニングに通っていて、主に体幹を中心に鍛えています。最初にトレーナーさんに「何を目的にトレーニングしたいですか?」と聞かれ、「健康維持です」と答えました。パンプアップして身体を大きくしたいとか、「見せ筋」をつけたいという希望はないので、腹筋を満遍なく強くしたい、と伝えました。
トレーニングを始めて約1年半後に娘が生まれたのですが、意外なことに子育てにも非常に役に立っています。体幹を鍛えると、身体の軸ができてバランスがよくなるので、娘を二人だっこするときも、腕だけを使わずに、さまざまな筋肉を連動させることができるのでラクなんですよ(笑)。
―続けることで変化を感じていますか?
4年経って、最初の頃できなかった動きができるようになってきました。最近、腹筋だけでなくて上体の方も鍛えてバランスを取りたいとトレーナーさんに伝えたので、新たなメニューにチャレンジすることが楽しみです。
週1回、身体を動かすことを習慣にすると代謝が上がって心地良いし、気分もリフレッシュして、良いことがたくさんあります。中高時代は陸上競技部だったんですが、その10代の頃よりも断然、今の方がいいんじゃないかと思えるくらい(笑)。
―それは素晴らしいですね!
似合う色の幅も広がり、ファッションも楽しみに
―グレイヘアになってから着るものへの意識は変わりましたか?
僕はそれほど着るものにこだわりはない方なんですが、ニュースをやっていたころは濃いめのスーツが多かったですね。ネイビーだったら濃い目の紺、グレーはほとんど黒に近いチャコールグレーなど、髪色が薄いので、服で印象を強くすることを心がけていました。
ネクタイは週末はフライデーピンク、月曜日はパキッとしたネイビー系などを意識していました。
―髪が白くなると抜け感が出るので、ダークな色を着ても重く見えないメリットはありますね。
そうですね。
髪と同系色のグレーのスーツなどは合わないのかと思っていましたが、逆にうまく取り入れると意外に合うことも。
白を着る時は真っ白のきれいな白じゃないと似合わないというのはありますね。
―くすんだ白よりはクリアな白が合いますね。ラベンダーピンクとかペパーミントグリーンなども似合うと思いますが。
似合うといいですね。「ニュアンスカラーが良さそうだ」と言われたことはありますが、研究したことがなくてよくわからないです(笑)。
―ソフトなイメージになるんじゃないでしょうか。いろいろ挑戦していただき、新しいイメージの登坂さんを拝見したいです。
発声のプロとして腹筋は常に意識して
―プロの方の声の出し方は一般人とは違いますよね。腹筋や背筋をかなり使っているのでしょうか?
お腹から声を出すイメージです。よく言われるのは「2メートルくらい先に向かって声を出すように意識する」ということ。結果それが腹式呼吸につながると思います。
NHKにいたときに、ニュースを読む前は「最初にしっかり息を吸いなさい」と言われました。吸った息をお腹に溜めて、それを少しずつ吐きながらしゃべり出す。そのときにお腹にぐっと力が入るんです。
ニュースを読むとき、口から息を吸うとあまり吸えないんです。大事なのは鼻から吸って、ためた息を吐ききること。吐ききったらまた吸う。最初はよくわからなかったんですが、やっているうちにだんだんコツがつかめてきました。
アニメ「ONE PIECE(ワンピース)」の主人公ルフィも、大きい声を出す前に思いっきり鼻から息を吸いますが、あんな感じです。
―登坂さんは「腹式呼吸の鬼」と呼ばれている、と何かで読んだことがあります。
娘たちが風船が好きなので、家で風船を膨らませたんです。僕がフーッと一回で空気を入れたのを見て、妻に驚かれたことがあって、そのときのことですかね(笑)。自分では当たり前のことになってしまっていて、妻のリアクションが理解できなかったです(笑)。
―それはすごいです!
コミュニケーションへの興味からアナウンサーに
―プロとして、一般の人がちゃんと相手に伝わるように話すためのコツをアドバイスしていただけますか?
まず発声ですが、にぎやかな居酒屋で一度で店員さんに振り向いてもらうシチュエーションを想定するといいですよ。絶対に振り向かせるには、おへその少し下ぐらいに力を入れて、相手に向かって声を出す意識を持つ。そうすると必然的に声のボリュームが上がります。
自分ではちゃんと声を出しているつもりでも、全然届いていない場合もあります。自分の話し声をスマホなどで録音して客観的に聞いてみるといいですね。思っているよりも声が出ていないことが多いので。届いてほしいという思いを大事にすると声も出ます。
―お子さんたちは今、2歳と1歳ですね。ブログを拝見していると、お子さんたちとも、ちゃんとコミュニケーションする意識を持って話しかけていらっしゃることがうかがえます。意識して伝えようとすることが大事なんですね。
子どもは一生懸命聞いているし、訴えてきますが、まだ言語のコミュニケーションが成立しません。だから、「これ食べようね」とか「着替えるよ」とか、やろうとすることを丁寧に何回も角度を変えて伝えないと届かないことがよくわかりました。言語があるから私たちは楽に会話ができますけど、そうじゃないときは身体など使えるものすべてを使って話さないと伝わらない。それがコミュニケーションなんだと思います。
―親子間や夫婦間で、日常的に行っている会話ですが、本当にちゃんと伝わっているのかというと難しいですよね。親しい間だと、みなまで言わなくてもわかるだろう、みたいな。
言葉で伝えるというのはシェアすることだと思うんです。食事のときなど、会話によって一緒の時間を共有できる。話題は何でもいいと思うんです。長年一緒にいると慣れてきて、いろんなこともわかりきって、今さら新しい話題もないかもしれませんが。永遠に一緒にいられるわけでもないので。
―確かにそうですね。これからは意識して、会話を試みたいと思います。
もともと僕は声と言うより、コミュニケーションに興味があり、そのひとつの手段としてアナウンサーを志望したんです。
父親は昭和のモーレツ営業マンで超多忙でした。朝は早く家を出て、夜は帰りが遅いので、日常の中で会える時間がわずかしかなかった。僕は何とか父とコミュニケーションを取りたいなと思っていました。
毎朝、父は出勤前に仕事に必要な何紙かの新聞を読んで、それが終わると、スポーツ欄にじっくり目を通していました。好きなゴルフや野球、大相撲などの記事を読んでいたんです。それを見た僕は、昨日の野球の試合のハイライトシーンを父親に翌朝、再現して伝えてみたんです。つたない実況の真似ごとでしたが、父親がとても喜んでくれて。毎日、楽しみにしてくれるようになったんです。
それが僕にとって伝えるということに興味を持った原点。そこから、言葉で伝えるアナウンサーにチャレンジしてみようと思いました。
―アナウンサーになられたのはそういうきっかけだったんですね。今後はどのようなことをなさっていきたいですか?
今はいろいろは仕事をさせていただいていて、NHKという組織の中にいたときとはまた違うさまざまな出会いがあります。ドラマや舞台で俳優のお仕事をさせていただいたことも。一つひとつの出会いを大切にして、いい時間を共有できたらと思っています。
YouTubeやTikTokなど、SNSで発信することも始めました。僕は今、子育て中ですし、不妊治療の経験もあるので、そういった経験や、話すことやコミュニケーション、プレゼンテーションなどの技術が役に立つのであれば積極的に発信していきたいと思っています。
―今後ますますのご活躍を楽しみにしております。