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食、家族との関わり、ミニマムな暮らし……紺野美沙子さんが語る、2拠点生活の魅力
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食、家族との関わり、ミニマムな暮らし……紺野美沙子さんが語る、2拠点生活の魅力

夫が地方自治体の副市長になったことで、突然地方と横浜との2拠点生活が始まった俳優の紺野美沙子さん。日本テレビ『踊る!さんま御殿!!』などで、地方スーパーのCMソングを歌ったり、コインランドリー愛を語ったり、地方での生活を続ける紺野さんの気さくな人柄はお茶の間でも大いに話題になりました。

地元に溶け込んだ生活を続ける紺野さんの2拠点生活、地方暮らし、生活をミニマムにすることなど、たっぷりお話を伺いました。

紺野美沙子さん

1960年、東京都生まれ。1980年、NHK連続テレビ小説『虹を織る』のヒロイン役で人気を博す。NHK大河ドラマ『武田信玄』、連続テレビ小説『あすか』をはじめ、多数のドラマに出演。舞台は谷崎潤一郎原作の『細雪』のほか、硬軟を問わず意欲的に取り組んでいる。1998年、国連開発計画(UNDP)親善大使の任命を受け、国際協力の分野で現在も活動中。NHKエフエム「音楽遊覧飛行」では案内役を担当。また、元祖スー女としても知られ横綱審議委員である。2010年秋からは「朗読座」 を主宰し、音楽や影絵、映像など、さまざまなジャンルのアートと朗読を組み合わせたパフォーマンスを続けている。2022年夏から、平和の大切さを伝える母親の手記「星は見ている」の朗読活動をスタート。DVDを制作し、教育機関等に無償提供する新しい試みに取り組んでいる。

いきなり告げられた夫の第2の人生

――紺野さんは2020年、ご主人が富山県氷見市の副市長になられて、突然、2拠点生活が始まったそうですね。

夫からLINEで「このたび、富山県氷見市の副市長を拝命しました」と連絡を受け、本当にびっくりしてしまって。「なんで氷見!?」って。夫が全国公募のあった氷見市の副市長にこっそり応募していたのです。

でも氷見とのつながりで言うと、私は1980年代にドラマ『王貞治の母 ありがとうの歳月を生きて』で王さんのお母様役を演じていまして、お母様のご実家が氷見にあったのですね。それでお母様と一緒にご実家を訪ねたり、氷見市役所にもご挨拶に行ったりしていました。あと、生まれて初めてできた親友のお父様も氷見出身の方で。だから子どもの頃から氷見うどんなども自然といただいていましたので、氷見への理解に関しては「夫よりも私の方がかなり先に進んでいるわよ」と思っていました(笑)。

いきなり告げられた夫の第2の人生

――ご主人の引っ越しはかなり慌ただしかったようですね。それでも完全な移住でなく、2拠点生活を選ばれたのはなぜだったのでしょうか。

夫は2020年2月に拝命を受けて、翌月には必要最低限の生活用品を持ち込んで、氷見に引っ越しをしました。

横浜の家を残したのは、私が俳優の仕事をしているので、拠点が関東にもあった方が便利だからです。それと夫の任期は4年間。期間が決まっているお役目ということもあって、横浜の家は残していますね。ちなみに、今年は任期4年目です。

移住前の断捨離。30年分の思い出と向き合う

――当時はご主人の氷見移住の前に実のお母様が逝去されたり、息子さんが独立されたりと、転換期を迎えていらしたそうですね。

2016年には自宅で介護をしていた母が亡くなり、コロナ禍前に息子が独立しました。まず手を付けたのが、母の持ち物を処分して、家族に形見分けをすることでした。

そうこうするうちにコロナ禍に突入し、家にいる時間が増えたので、忙しさの中で全く手を付けていなかった荷物をちょっとずつ片付け始めました。

実は、結婚して横浜の家に住んでからは30年弱になります。30年にもなると、本当に物が増えてしまって。今では物のないスッキリとした家になりました。

――移住とコロナ禍が重なったのがきっかけで、横浜の家の片付けが始まったのですね。紺野さんの考える断捨離のコツを教えてください。

ちょっとずつやる。いっぺんにやらないことですよね。一気に捨てようとするとイヤになってしまうので、「今日はこの小さい引き出しひとつだけ」とか、「今日はこのファイルの半分まで」とか、少しずつ続けていくことです。

あと、50代、60代と年齢を重ねて良かったなと思うのが、「この先の人生で、コレはもう絶対に使わない」と判断できるようになったことです。例えばホットカーラーも細巻から太巻までいっぱい持っていたけれど、「もうこの5個だけでいいや」とか。若い時にはなかなかできなかった見極めができるようになった気がします。

移住前の断捨離。30年分の思い出と向き合う

――そうやって次々と断捨離されてきた紺野さんでも、これは捨てづらかったというものはありますか?

雑誌の切り抜きやポスター、台本などの仕事関係ですね。私にとってはいい思い出だけれど、息子にとってはただのゴミになってしまうものは、思い切って処分しました。もちろん「血も汗も涙もこの中に!」と思えるようなものや、映像はVHSやベータ(β)のビデオテープをDVD化して、老後に「また観たいな」と思うものだけ残しましたけれど。

昔のものは、何しろ紙が多くて。例えば雑誌の切り抜きだと、昔は日本中のあらゆる新聞雑誌に載ったものをまとめてスクラップしてくださる会社があったんです。その専門業者の方が作ってくださったアルバムだけでも、もう40冊もあって。でも紙だから黄ばんでいて。だから「これは!」と思うものだけスマホで撮影して、処分しましたね。

一番難しいのは、スマホのカメラで解決できないものです。例えば、結婚をした時にいただいた大皿や花瓶。あとは署名入りの御本ですね。いただいた方の顔が浮かぶものは、日常に出番がなかったとしても処分しづらいですね。どこのご家庭も同じだと思うのですけれど。

夫との程良い距離感、氷見の食。2拠点生活の魅力とは?

夫との程良い距離感、氷見の食。2拠点生活の魅力とは?

――今年で4年目になる2拠点生活の中で、ご家族との関係性やご自身のライフスタイルにどのような変化がありましたか?

一人で過ごせる時間があること、自分のペースで過ごせる喜びがありますよね。それは完全な一人暮らしとはまた別のもので、夫婦それぞれの存在のありがたさを感じることができます。夫婦に程良い距離感ができたことがうれしかったですね。

今、考えると、私たち夫婦は倦怠期だったのだと思います。コロナ禍よりも前に、夫はテレビ局を早期退職しました。映画『シンプル・ギフト はじまりの歌声』を撮り、無事公開されて、2020年当時は「これからどう生きるか」と彼なりに模索している時期だったのだと思います。

夫は自宅を事務所にしていたため、当然家にもいるわけです。真剣に考えているところに、私が「これからどうするの?」と聞くと、夫を追い詰めてしまったりしていたのかなと。だから彼なりに方向性をいろいろ探っているなかで、たまたま氷見にご縁をいただいた。物理的な距離もあって、夫婦の風通しが良くなりましたね。

あと、新幹線や在来線で移動している時は、本当に息抜きになります。本を読んだり、映画を観たり、友だちとLINEをしたり。家にいると「洗濯物をそろそろ取り込まなくちゃ」とか、やることも多くて落ち着かないものです。それをしなくていい時間が持てるので、移動時間は楽しいですね。

今は、ひと月に2〜3回横浜と氷見を往復して、月の3分の1は氷見で生活を送っています。

――氷見の暮らしのいいところを教えてください。

氷見の暮らしのいいところ
美しい氷見の日の出。(画像提供、撮影:紺野美沙子さん)

私は食べることがとても好きなので、氷見の食の魅力は本当に捨てがたいと思います。知り合った方の田んぼで作った新米を、この間汲んできた水で炊いたらおいしく炊けたとか。シンプルにイワシの塩焼きはおいしいとか。そういう旬のものをいただけるのは、本当にありがたいことだと思います。

スーパーの品物には「朝どれシール」が貼ってあって、朝採れたものがすぐに店頭に並ぶことが当たり前な日常に、まずびっくりしました。生産者と消費者の距離が近い氷見ならではだと思います。

魚介でよく料理するのが、バイ貝。岩牡蠣もカニもおいしいですし、スルメイカ、ヤリイカ、アオリイカと種類の多いイカもおいしい。氷見といえばブリが有名ですが、意外とマグロもおいしいです。北陸ならではのお魚だと、いわゆるウスメバルであるヤナギバチメとか、トビウオも店頭に並んでいます。まだ挑戦したことがないのは、ブリの胃袋。湯がいて酢の物にするのだそうです。

野菜はスーパーでもJAでも道の駅でも、ほぼ100円台で揃っているので、東京のデパ地下に行くと高く感じてしまうくらい。首都圏と比べると、氷見は物価が安いのでうれしいです。

おいしいのは葉物野菜ですね。ホウレン草、小松菜。そしてカブ、ブロッコリーも新鮮で味が濃くて。「もうタケノコの時期だ。フキノトウが出ている」と、道の駅や魚屋さんで季節を身近に感じることができます。

氷見の日常でよく行くのは、スーパーと魚屋さんとコインランドリーとクリーニング屋さん。クリーニング屋さんのおばちゃんや魚屋さんのおじちゃんと話したりして、地域の情報を教えてもらっています。今では「いつでも一人でおいで」と言ってもらえる行きつけのお寿司屋さんもできて、そういうお店にはすっぴんに眉毛を描くぐらいの装いで食べに行けるので、楽しいです。私は日本であれば津々浦々どこでも一人で行って、地元に溶け込めるのがささやかな自慢です(笑)。

地元の魚屋さんと交流
地元の魚屋さんと交流する紺野さん。(画像提供:紺野美沙子さん)

お試し移住や農業ボランティアの参加だけでも、日本の地域が楽しくなる

――読者の方の中には2拠点生活に憧れがありつつも、なかなか踏み出せない方もたくさんいらっしゃると思います。

実際に2拠点生活を営んでみると、忙しいです。家が2つあるので、修行でもないのに「なんで私はこんなに掃除ばかりしているのだろう」って。憧れだけでなく、現実は厳しいぞと(笑)。

でもこの生活も4年目でコツもつかんできました。生活を回すことに頑張り過ぎないことです。夕食のメニューも何品も作るように頑張らない。イワシのソテーだけ、アジフライだけとか。料理も片付けも「しないといけない」にとらわれずに、無理しない程度にする。

そして2拠点は移動が付きものです。日本は交通費やガソリン代が高い国なので、経費の面で踏み出せない人もたくさんいると思います。でも地方自治体としては、都心部から移住してほしいと思っているところが多いと思います。自治体によって打ち出している政策がいろいろあるので、それをちょっと調べてみて、お試し移住みたいなのに参加するだけでもいいと思うんです。空き家を無償提供しますとか、スペースをお貸しするので数週間か数ヵ月かだけワーケーションしてみてくださいとか。そういうので通ってみるのもひとつの手ですよね。

あとは「推し」じゃないですけど、自分の好きなものがある土地に行くといいと思います。私の場合は水がきれいで温泉があって、食べ物がおいしくて魅力的な図書館があるところ。家族でよく行っていた長野県の安曇野は、理想的だと思いました。地方の図書館って、いいところがいっぱいあるんですよ。那須塩原市や金沢市の図書館も素敵だと聞いて、行きたくなっています。

お試し移住や農業ボランティアの参加だけでも、日本の地域が楽しくなる

氷見市の話をすると、棚田地帯の長坂地区は1区画を家族や5人以内のグループに、年間3万円で貸し付ける「棚田オーナー制度」を取っているんです。私の友人が何人も登録していて、5月の田植えと9月の稲刈りに参加しています。友人から「今年の稲刈り、いつ?」って連絡が来たりして、それはそれで楽しいみたいですよ。

実際に移住しなくても、農作物の収穫だけ手伝う活動などもあるので、そういう形で地方の関係人口みたいになるのもいいと思います。

私は横浜にいるときも、氷見の天気予報を気にするようになりました。いろんな地域の天気を気にするだけでも、生活は楽しくなりますよね。

(取材・執筆=横山由希路 撮影=小野奈那子 編集=ノオト)

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