今年3月、タレントの恵俊彰さんがアカデミックガウンに身を包み、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を笑顔で卒業した様子が報じられました。大学院研究科の同窓には、ラグビー元日本代表の五郎丸歩さんやサッカー元日本代表の福西崇史さんもいらっしゃいます。卒業式後、インタビューに応じた恵さんたちの晴れやかな表情に、年齢を問わず学ぶことの大切さを感じた方もいらっしゃったのではないでしょうか。
今回の恵さんへの取材は、ご自身がMCを務められる昼の情報番組『ひるおび』の放送後でした。3時間の生放送後とは思えないほど終始笑顔で、恵さんは一つひとつの質問に丁寧に誠実に答えていきます。忙しい日々を送り、学びの実践に踏み出せない方も数多くいるなかで、今回は恵さんに大人になってから通う学校の魅力や、人生後半だからこそできる学びについて伺いました。
1964年、鹿児島県生まれ。1988年に11人体制のホンジャマカとして活動を開始し、翌89年、石塚英彦とのコンビとして再デビュー。90年代後半からは情報番組、歌番組、スポーツ番組などで総合MCとして活躍。2009年よりTBS系『ひるおび』の総合MCを務める「お昼の顔」の1人。お笑い芸人になる以前は、大学入試3浪を経験した。3男1女の父で、著書に『親父の役目 四人目が生まれて思うこと』(マガジンハウス)がある。2022年4月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学。2023年3月26日に修了式を迎え、修士論文は優秀論文賞に輝いた。
「スポーツ報道のさまざまな面を知った今こそ、学んでみたい」という思いから大学院へ
――恵さんは平日お昼の情報番組『ひるおび』のMCを2009年から続けられています。毎朝5時に起床し、番組の準備をする生活のなかで、仕事以外の学びに対してはどのように感じていたのですか?
情報番組に携わっていると、大学教授や新聞社の論説委員の方と、毎日ご一緒するんですね。毎日いろんな人からたくさんの情報を教えてもらえる。その環境をすごく楽しく感じていました。
実は、僕は大学受験に失敗して高校しか出ていません。ずっと「大学に通って、専門的に学んでみたい」という思いがありました。自分の好きなこと、もっと知りたいことはなんだろうと考えたときに、「スポーツを伝えること」に行き着きました。
『ひるおび』に携わる前、現在のTBSのスポーツ番組『S☆1』の前身に当たる『J-SPO』で8年間司会をしていました。スポーツ番組と昼の生放送の情報番組では、同じスポーツを伝えるにしても伝え方がまったく違うんです。また、スポーツを通じて20年に及ぶ世の中の変化を感じていたので「今、大学院で学ぶのはいいタイミングかもしれない」と思いましたね。
――早稲田の大学院に入った具体的なきっかけは何だったのでしょうか?
きっかけは、『ひるおび』にコメンテーターとして出ていらした青山学院大学陸上部の原晋監督でした。監督から「恵さんも、もし良かったら早稲田の大学院、どうですか? 僕、スポーツ科学研究科というところで勉強して、すごくためになったので」と言われたんですね。監督はスポーツ科学研究科を2018年に卒業されていました。
原監督から紹介されて、実際に担当教授になる平田竹男先生とお会いしたのは2020年3月でした。先生に「スポーツ番組と昼の情報番組で長年スポーツを伝えてきたので、その伝え方の変化や、伝える役割について勉強してみたい。論文を書いてみたいです」と伝えたら、「すごくいいと思います」って言ってくださって。ただその後、本格的なコロナ禍になってしまったこともあり、改めて「2022年度にどうですか?」という話になりました。
――入学にあたり、試験などはあったのでしょうか?
スポーツを放送で伝える実務経験はあるものの、高校しか出ていないので、大卒程度の良識があるかを問う論文の試験がありました。選考は、スポーツ産業学会の月刊研究誌に掲載される内容かどうかで判断されました。そこで一度掲載されて、無事入学する運びになりました。掲載された論文は、のちの修士論文の骨子となるものです。
「知識だけでなく問いを立てる」大学院の学び
――修士論文の『スポーツを伝える情報番組の役割』は、優秀論文賞にも選ばれましたね。どのような内容だったのでしょうか。
お昼の情報番組で取り上げるのは、ほぼ国際試合です。日本人選手が国際大会で素晴らしい成績を残したことや、選手個人の成長過程を伝えるストーリーが、情報番組でのオーソドックスな伝え方でした。というのも、お昼の情報番組は、コアなファンが観るスポーツ番組と違って、スポーツに興味のない人も大勢観ているからです。
2022年にカタールで行われた国際的なサッカー大会では、大会が盛り上がるにつれライトなファンが増えて、みんな急にサッカーを観戦し始めました。このときは映像使用権の関係で、大会の映像を放送することはできませんでした。だから選手の人柄やエピソードのほか、試合ではなく「選手のプレーそのもの」に迫るような内容を中心に構成していきました。特に意識的に細かいプレーの説明を工夫して伝えるようにしたところ、反響があったんです。
この結果を受けて、スポーツファンじゃない人たちにスポーツを伝えるためには、やはりスポーツそのものの魅力に触れざるを得ないのではないか。それが僕ら情報番組の一番の役割なのではないか。論文はそのように締めました。
――通常は2年の修士課程を1年で修了した恵さんですが、大学院時代の代表的な一日のスケジュールを教えていただけますか?
大学院は週4回。土曜日の長い時は、朝9時から夜の9時まで、7限目まで入っていました。
平日は『ひるおび』の生放送後、午後3時に番組の反省会が終わると、早稲田大学3号館1階のコンビニでおにぎりを買って食べながら、フリースペースで授業の宿題をやって提出して。4時半から1時間半の授業を2コマ受けて、大好きな浜田省吾さんや佐野元春さんの曲をかけながら、自分の車を運転して帰る。そんな感じです。
――大学院でさまざまな授業を受けられたと思います。印象に残っている授業はどんなものでしたか?
印象に残っているのは2つあって、1つめは大学院に入って一番最初の授業でした。これがめっちゃくちゃ面白くて。
チームビルディング研修でも使われる「トラフィックジャム」というゲームをしたんです。僕の学年は30人以上いたのですが、「15人ずつに分かれて、それぞれ1列に並んでください」と先生から言われて。「1人ずつ動く」「制限時間は30分」といったルールがあるなかで、最終的に全員の立ち位置を入れ替えるというものです。
「みんなで並んでみましょうよ」と言い出すのは誰なのか。意見を出したり、意見をまとめたりするのは誰なのか。全員社会人で、初対面です。60歳の介護士の方もいれば、40代の中小企業の社長さんもいる。それぞれの立場に対して忖度することもなければ、壁もない。結局僕らは30分以内に入れ替わりが成功したんですけど、できたことが問題じゃないんです。大事なのは全員の役割を把握することで、「自分のポジションを見つけて、自分なりの役割を果たすこと」が企業、組織のあり方なんだということを体感させる授業でした。
もう1つは、ビジネス系の授業を持つ中村好男先生が「大学院での学びで大事なのは、知識を詰め込むことではなくて、自分の知識に疑問を持つことです」とおっしゃったことです。「必要なのは知識ではなくて、問いを立てることです」と。「戦争は何故なくならないのか?」というように、世の中のことにいかに疑問を持って、自分で答えを探すか。
社会人の授業って面白くて、黒板に向かって学生が黙々とペンを走らせることは少なく、そこにはいつもコミュニケーションがあります。大人のための空間を先生たちが作ってくれるので、その年齢に合った知識欲を満たしてくれるんです。自分たちが経験してきたことを尊重してもらえるし、何より経験が活かせる空間だったから楽しくて。ときには「本当にその疑問でいいですか?」なんて厳しいことを言われながら、学んでいきましたね(笑)。
大切なのは仕事と子育て以外で、自分のためだけの時間をしっかり作ること
――楽しかった大学院生活のなかで、同級生たちとのやり取りで思い出に残っていることは何ですか?
授業の合間に、大学近くの食堂にみんなで行くんです。助教の先生も大卒の学生修士の方も早稲田出身だから食に詳しくて、「ここのランチは、『ライスは小』って言っておいた方がいいですよ。並でもすごい大盛りですよ」って教えてくれる。そこで「どうして大学院に入ったんですか?」などと雑談が始まって、お互いの境遇を知っていきます。そのときに僕ら社会人は、学生修士の皆さんの過酷で切実な現実を知るんです。
僕らはすでに就職をしているわけじゃないですか。でも彼らは院を出てからが就職だから、必死なんです。就職試験も受けて、しかも自分の論文を進めながら、WordやExcelの機能を使いこなせない僕らの面倒まで見てくれる。ものすごく献身的な子たちばかりです。
僕らが大学受験や就職活動をした時期は、売り手市場でした。でも今の子たちに就活の余裕は一切ない。「1つめがダメなら2つめ、2つめがダメだったら……」って話すんです。「こんなに真面目で、こんなに一生懸命な子たちが、こんなに夢が叶えられないのは良くない」って、心の底から思いました。
――一緒に学んでいると、より切実さが伝わってきますね。
僕の長男が26歳なので、学生修士の子たちは年齢的に自分の子どもとほぼ同じなんです。だから「どこか受かった?」なんて、親心みたいに祈るような気持ちで話を聞いていましたね。
最後の授業は「今後の人生で何をするか」の発表でした。僕は翌日の『ひるおび』のゲストに侍JAPANの栗山英樹監督が決まっていたので、「ここで学んだことを明日の放送で監督にぶつけていきたい」って話して、みんなから質問のアイデアを受け付けたんです。そうして放送が終わったら、みんなから連絡が来て。「恵さん、僕の質問、番組に活きていましたね」って(笑)。なんかすごく嬉しかったし、仲間だなって思いましたね。
――最後に今後の人生の目標を聞かせてください。
僕、子どもが4人いて、下の子はまだ11歳なんですね。本当に子どもが大好きで、もうずっと一緒にいたいくらいなんです。でも子どもには子どもの人生があるから、ふとした瞬間に「あ、もう迷惑だ。この子たちにベッタリすることは」って思うんです。子どもや仕事から離れることで、社会から置いていかれるような感覚って、この年齢になると一度は誰しもが感じることだと思うんですよ。
僕が大学院に行って良かったなと思うのは、お仕事以外で、しかも子育てが絡まないことで、自分の時間をしっかり作れたこと。同級生には「ようやく主人が院で勉強することを許してくれたんです〜」って言う介護士の方もいてね。資格を取るのも良し、今の自分にできそうなことを探してやるのも良し。今までに開けたことのない扉を開ける。そして、今、この瞬間から自分のために時間を使う。これからは自分のためだけに使う脳みその面積を、少しずつ増やしていきたいですね。
(取材・執筆=横山由希路 撮影=塩谷哲平 編集=モリヤワオン/ノオト)