今、若者を中心に「昭和レトロ」が人気です。彼らにとっては目新しく映る昭和の文化も、大人世代にとっては自分たちの青春時代とともに歩んできたものばかり。そんな昭和時代の懐かしいアイテムをコレクション、研究している人がいます。メディアでも活躍している庶民文化研究所所長の町田忍さんです。
今回は、町田さんの膨大なコレクションから、懐かしい昭和のアイテムをたくさんご紹介いただきました。庶民文化研究所を始めたきっかけや、今からでも始められる「庶民文化研究」のコツについても伺います。
1950年、東京生まれ。 大学在学中、国立博物館で博物学に興味を抱く。大学卒業後、警視庁警察官を経て、庶民文化における風俗意匠の研究を続ける。 パッケージ、空き缶類をはじめ、さまざまなものを多岐にわたって収集し、それらをテーマにあらゆる角度から調査研究している。 とくに銭湯研究については第一人者で、銭湯文化協会理事を務める。講演会やテレビ出演、ドラマの監修など多岐にわたり活躍中。近著に「町田忍の懐かしの昭和家電百科」(ウェッジ)など。
庶民文化研究の源流は、小学生時代のメンコ収集
――さまざまな庶民研究に通じている印象の町田さんですが、今はどのようなものを研究しているのですか?
今は150種類のものを集め、研究しています。正露丸、お菓子やアイスクリームのパッケージ、狛犬、ポケットティッシュ、果物のシール、狂犬病の鑑札、服のタグ……などなど、30年くらいかけて集めていますね。
——すごい量と時間ですね!最初に始めたのは銭湯の研究だと拝見しましたが、どのようなきっかけで始められたのでしょうか。
銭湯について調べ始めたのは、40年くらい前。近所にお寺のような外観をした銭湯があて、そこへオーストラリアから来た友人を連れて行ったんですよね。その時「なぜ、お寺みたいな外観なのか?」と聞かれて答えられなかった。これがきっかけでした。
当時、温泉はブームになっていたけど、銭湯については誰も取り上げていなかったこともあって、記録を始めたんです。これまで、北海道から沖縄まで3,800件くらい足を運びましたね。
——銭湯を皮切りにさまざまなものを集め研究している町田さんですが、子どものころからものを集めるのは好きだったのでしょうか。
庶民研究の原点を思い返してみると、小学校4年生のときに始めたメンコの収集が最初だったと思います。あと、昆虫採集もしていましたね。今でもメンコを集めていた時と同じ少年のような心のままで、過ごしているのだと思います。
身近なものを深掘りすると、いろんな「謎」が見えてくる
——歯磨き粉やマドラー、お菓子のパッケージ、おもちゃの箱など、コレクションが多岐に渡っていますよね。どういったものが収集対象になるのでしょうか。
大学で油絵を習っていたこともあり、視覚的に魅力を感じるものに惹かれますね。例えば、マンホール。これはブームになる前から撮っています。今はカラフルな絵柄やマンホールカードなども出ていますが、僕は地味な方が好きなんです。たとえば縁石がついているものは、戦前からあるものなんですよ。
リプトンのティーバッグは、昭和40年(1965年)から集めてます。それまでティーバッグというものがなくて、びっくりして集め始めたんですよ。僕が知る限り、高校1年生のときに出会ったものが最初です。
――正露丸のコレクションもすごいですね。
正露丸は、たまたま薬局でラッパのマークの横に、別のマークの正露丸が並んでいることに気づいて。「もしかして、これって種類があるのか?」と気づいたのをきっかけに集め始めました。
——正露丸ってラッパのマークだけじゃないのですね!
今売っているものだけで、52種類もあります。「正露丸」という名前も一般普通名詞で、みんなが知ってるラッパのマークは、52種類あるうちの単なる1社のものなんです。もともとは陸軍が日露戦争の時に作った薬で、「“征”露丸」という表記だったんですよ。戦争が終わって、「征」は時代に合わないと「正」の字に変わったのですが、1社だけ、明治時代から未だに「征露丸」で通しているところもあります。
——こんなに種類があるとは驚きです。どうやって収集されたのでしょうか。
これが、情報がないから大変なんです。ひたすら旅をして、現地の薬局を巡って見つけました。韓国や台湾などでも広く販売されています。
——お話を伺っていると、ただ集めるだけでなく、地道な探求を楽しまれてきたのですね。
どんなものでも数を集め、調べていると、いろいろな謎が見えてきます。でも、庶民研究で取り扱っているような素朴なものは、それまで誰も調べてきませんでした。正露丸についても、自分の足で探し回って52種類あると知り、そこから歴史や由来を調べていったんです。
他にも、蚊取り線香は、野沢温泉へスキーに行ったとき、カブトムシ柄のものに出会って「他にはどんな柄があるんだろう」と気になったことが収集のきっかけでした。集めてみると、いろんな絵柄のパッケージがある。でも、他にはどんな柄があるのか、誰も調べていなかった。こういった研究は収集だけでなく、メーカーに聞いたり図書館で調べたりと調査にも時間がかかりますが、これが楽しい。
自分で謎を解明していくという「知的な遊び」こそが、庶民研究なのです。
読者世代が育った昭和は、大変革の時代
——最近、新たに集め始めている物もあるのですか?
最近はないですね。集め始めた時期をみてみると、昭和30年〜40年代(1955〜1975年)にかけて、インスタント食品など新しいアイテムが続々と出てきた時代のものが多いです。その頃は、読者の方や僕が多感な時代を過ごした時代。戦後、一番日本が変化した時代です。
三種の神器と呼ばれるテレビ、洗濯機、冷蔵庫が登場したのも昭和30年代(1955〜1965年)。三種の神器が登場する前の暮らしは、江戸時代と一緒なんですよ。だって、連絡手段は基本的に手紙でしょ。それまでお金持ちは氷の冷蔵庫を使っていたけど、普通の家庭にはなかったですし。昭和30年代前半までは江戸時代とだいたい同じで、今の文化的なものは昭和30年代に登場したものの延長線上なんです。
——まさに大変革の時代だったのですね。
そうですね。例えば、昭和60年代(1985〜1989年)に登場したショルダーフォンは、携帯電話の原型。ソニーのウォークマン1号機は昭和54年(1979年)のものです。昭和59年(1984年)に出たウォッチマンは、小さいサイズのブラウン管が入ったテレビなんですよ。カシオ計算機は、少し前の昭和47年(1972年)かな。
今も存在するアイテムに通じるものばかりでしょ?
——変化の大きな昭和時代ですが、その他にも変わったことはありましたか。
僕の若い頃は、まだ物を大切にする文化があったけど、昭和50〜60年代(1975〜1989年)になると大量生産、大量消費の時代に入っていきます。そうなると商品1つを取っても、1つのデザインの期間がどんどん短くなってくるから、どんどんパッケージが集まっちゃって。それまで3年に1度しか変わらなかったデザインが、1年に1度くらいで変わるようになっていきました。
——昭和時代から現代に至るまでに、失われていったと感じるものはありますか?
失われたものは多いですね。商品サイクルのスパンをみても、今はいかに早く儲けるかという風潮になっていることを感じます。商品だけでなく、全てのことに対して言えますね。
最近はペットボトルが禁止の国や地域が増えて、日本でも水筒を持ち始める人が増えましたね。昭和50年代(1975年〜)から増えた使い捨ての文化は、そろそろ見直す時期に来ていると思うのです。
僕が今乗ってるクルマは、1973年に購入しました。愛用しているカメラもそうですが、「いいものを“超”長く使おう」と思っているんです。これからの生き方には、昭和30年代(1955〜1964年)のゆとりある考え方をとりいれてもいいんじゃないかなと思います。
読者世代にもおすすめの、「庶民文化研究」
——町田さんは50年ほど前から庶民文化の研究を始めていますが、これから収集や研究を始めることは可能でしょうか。
もちろんです。こういったアイテムはいずれも、自分がこれまで生きてきた証。自由な時間ができたとき、眺めて楽しむことができます。みなさんも手元に残してきた過去のパスポートやチケットなどがあるのでは?ちょっと掘り出してみれば、自分の歴史として振り返ることができるのです。
卒業アルバムを見るだけでも、時代と生活の変化を感じることができますよ。
——なるほど。写真に写っているものからも、時代の変化を体感できますね。最後にこれから自分でも何か収集・研究をしてみたいと思ったら、何から始めればいいのか教えてください!
まずは自分の琴線に触れるものを探す。それを10個くらい集めてみる。10個あると、そこから共通項や違い、面白い要素などに気づきます。そこからどんどん世界が広がっていくのです。
「コレクション」なんていうとお金がかかりそうですけど、庶民的なものなら、お菓子なら数百円、数十円。街頭で配られるティッシュなら無料だったりもしますし、大きなお金はかかりません。ただし、かさばらないものを選ぶことをおすすめします。たとえば、缶は場所をとるから、保管が大変なんですよ(笑)。
身近な物を研究対象にすることで、「知的遊び」が広がります。年齢に関係なく、すぐに始められるので、ぜひ挑戦してみてください。
(取材・執筆=ミノシマタカコ、撮影=栃久保誠、編集=モリヤワオン/ノオト)