毎日の食卓に並ぶのは、3,600坪以上の山と畑で採れた新鮮な食材ばかり。俳優の財前直見さんが生まれ育った大分県にUターンし、じいじ・ばあばと呼ぶ父・紘二さん、母・カツ子さん、そして息子・凛太郎くんと共に暮らし始めて早16年が経ちました。築133年の生家を解体し、レンガを活かした洋風の家に生まれ変わらせ、採れたての野菜や果実を日々調理しています。
取材中は、よく笑う財前さんにつられてスタッフが大笑いしてしまうことも。飾らずさっぱりとした人柄で“生活のために生きる”財前さんの、居心地の良い人生の作り方や、ご両親から受けた影響について話を伺いました。
1966年、大分県生まれ。18歳で上京し、1985年に俳優デビュー。シリアスな作品からコメディー作品まで、幅広い役柄を演じている。主な出演作はドラマ『お水の花道』、連続テレビ小説『ごちそうさん』、映画『天と地と』など。2023年は日本テレビ系ドラマ『こっち向いてよ向井くん』にも出演した。2024年の大河ドラマ『光る君へ』や、5月から公開の映画『湖の女たち』にも出演している。2007年に大分県にUターン移住。移住後は自身のInstagram(@naomi_zaizen_official)をはじめ、テレビ番組や書籍を通じて、大分での暮らしを積極的に発信している。著書に『財前直見のおおいた暮らし彩彩』(NHK出版)、終活ライフケアプランナーの資格を活かした『自分で作る ありがとうファイル』(光文社)など。
収穫物は年に40種類以上。好奇心旺盛な3世代の暮らし
――改めて大分県での暮らしについて教えてください。財前さんはご家族が所有する山と畑で季節ごとに採れた野菜や果実に囲まれた生活をされています。年間どれくらい収穫があるのでしょうか。
取材の方が来られると、いつも聞かれるんですよ。「何種類くらい採れるんですか?」って。でも、野山に自然と生えているものもありますよね。つくしとかワラビとかヨモギとか。そういうのも作っているものの内に入るのか、悩むんですよね(笑)。
そういうのも含めると、だいたい40種類以上ですかね。この秋は、栗、かぼす、ほうれん草、ヤーコン、里芋、しいたけ、柿などが採れました。
――たくさん採れるのですね!
先日、干し柿を300個作ったんですよ。私は渋柿の皮をひたすら剥く。じいじ(父)が吊るす紐の輪っかを作る。ばあば(母)が沸騰させたお湯に30秒ほど柿を浸ける。すべての工程が終わったら干す。ずっとその作業の繰り返しです。
ようやく柿が終わったと思ったら、近所の人が釣った魚を持ってきてくださって。眠いけど頑張って下処理が完了したと思ったら、次の日も別の誰かが釣ったものをくださるんです(笑)。一日冷蔵庫に寝かせると一気に鮮度が落ちるから、やっぱり早く処理してあげたいじゃないですか。
最近食べたのは、ボラ、アジ、コノシロ、イトヨリダイ。ボラは3枚におろして、身はにんにくと生姜と醤油で漬け込んで、骨は全部塩焼きにします。手間はかかるけど、釣りたてだからおいしいんですよ。そんなふうに、ほぼ毎日違う食材に追われる日々です。
――じいじ、ばあばと、バラエティ番組『有吉ゼミ』(日本テレビ系)などのテレビ番組でも知られるご両親のお話が出てきました。生活を共にしている父・紘二さん、母・カツ子さんは、財前さんから見てどのような方ですか。
ばあばは、世話好きでお料理上手な人です。じいじが採ってきたお野菜を料理したり加工したりして、いろんな人に食べさせるのが好き。母が何か作るたびに、私が手伝う構図は今も昔も変わらないです。
じいじは83歳ですが、今でも月に3回もゴルフに行っていて、足腰が丈夫で歩くのもとても速いです。毎日のように畑仕事をして、朝は交差点に立って、子どもの安全のために旗振りをしています。取材の方々が来られるとわかると、前日に山や畑に入り準備する。スタッフさんが通られるところは、1人で全部草刈りをしているんです。
ウチの家族に共通するのは、好奇心旺盛なところです。「何かやりませんか?」と声をかけられたら、二つ返事で「やるよ!」。『有吉ゼミ』から密着取材の話が来ても「いいよ!」。誰も止める人がいないから、全部引き受けちゃう。先祖代々の土地に、遠くから皆さんが来てくださるのがうれしいんですよね。
息子に見せたかった「俳優」ではない背中
――財前さんがそもそも故郷の大分県に移住したきっかけは、何だったのでしょうか?
きっかけは、息子の凛太郎が産まれたことでした。新しい命を目の前にして、「この子をどういう子に育てたいか」と考えた時に、「俳優さんの子」として扱われる子に育てたくないな、と。
私が子どもに見せたいのは、俳優の姿ではなくて、自分の足で立ち、身の回りのことを自分ですることができる1人の母としての姿や、両親の娘でいる私。そういう背中を見せたかったんですよね。
あとは東京で子育てをする時に、仕事中、他人に息子を預けるという発想が全くイメージできなくて。じいじとばあばしか、預ける対象が思い浮かばなかったんです。子どもが甘やかされたとしても、両親に預けたいと思いましたね。
それに出産の翌年、9月に里帰りをしたら、実家があまりにも居心地が良くて(笑)。じいじとばあばの力を借りながら、子育てに専念できましたね。大分は私が私らしく居られる場所っていうのかな。それで居着いてしまった感じですね。
――財前さんは東京にご自宅がありましたよね。それでも、Uターン移住されたのですね。
将来的に両親を大分から呼び寄せることも考えていたのですが、たまに両親が東京の家に遊びに来ても、いつも居心地が悪そうだったんです。じいじの好きな畑もないし、温泉もない。両親は東京に居たら、慣れない環境に耐えられずいつか体をこわしてしまうんじゃないかと思いました。
娘の想像する親の気持ちと、両親の思いの間にはズレが生じるものです。人によっては離れた場所に住む自分の子どもよりも、住み慣れた町のコミュニティを優先したりするものです。土地勘のない場所で子どもと住むよりも、地元でお嫁さんと住む方が気楽……なんて方も少なくないんですよね。
“見える化”をするきっかけは年配の人にありがちなクセ
――Instagramや書籍で、財前さんは毛筆でしたためたカラフルなレシピを公開しています。またエンディングノートの進化版として制作されている『自分で作る ありがとうファイル』では、イラストと共にご家族の充実した内容が書かれています。このように様々なものを几帳面に“見える化”するようになったきっかけは、何だったのでしょうか?
ある日、「ありがとうファイル」の中に「おふくろの味」を残そうと思って、ばあばにレシピを聞いていたんですね。すると、同じ料理でもなぜか聞くたびに少し違うんですよ(笑)。しかもばあば自身は新聞広告の裏にレシピを鉛筆で書いていて、さらにその上から黒マジックで別のレシピを書いてしまう。「これは誰が見てもわからないよね?」ってことになって、私がレシピをまとめだしたのが最初なんです。
同じようなことが、元夫の亡くなったお母さんにもありました。きちんとした方だったのですが、遺品はほぼ手つかずで残ったので、何が大切なものかがわからずじまいで。それでチラシの束を捨てようとしたら、ばあばと同じように金庫の暗証番号が新聞広告の裏に書いてあったんです。まさかそんな大事なことがチラシの裏に書いてあるなんて、誰も思いませんよね?
いざという時に必要なことをまとめておけば、気持ちが楽になります。たとえ私が急に亡くなったとしても、まとめたファイルがあるから「あとは手続きをよろしくね」と思える。「ある」のと「ない」のとでは、気分的にも大きく違うと思うんです。
――同時に終活ライフケアプランナーの資格を取られたとのこと。なぜ資格を取られたのですか?
ウチの両親は今も元気なんですが、大分で暮らすうちに、ばあばのお友達が亡くなって、銀行口座が凍結されてご家族が困ったとか、そういった切実な話をいろいろと聞くようになりました。
それで50歳になった時、社会貢献ではないんですけど、周りの方のお役に立ちたいと思うようになって。ちょうど息子が小学4年生で塾に通い始めたタイミングだったこともあって、説得力を持たせるために、自分でも資格を取ることにしました。
資格はいろんなものを取得しました。人間の心理を何かしら考えるのが俳優業なので、最初に取ったのはメンタル心理カウンセラー。その次が上級心理カウンセラー、行動心理士、シニアピアカウンセラー。これらの資格と一緒に並んで紹介されていたのが、終活ライフケアプランナー、エレガンスマナーでした。
終活について学ぶうちに、「後悔しない生き方」について考えるようになりました。結局人は誰かのためでもなく、自分のために生きている。何をしたいかを明確化することで、一番居心地の良いことが自ずとわかるようになる。そうやって考えていたら、畑仕事をして、おいしいものを「おいしいね」と言い合える仲間たちと生活できたらいいなと思ったんです。
理想の生き方を体現する、じいじとばあばの教えとは
――将来的には畑仕事ができる仲間といられたらいいという話がありました。父・紘二さんの生き方に近づいているように感じますが、財前さんがご両親から受け取ったものはどのようなものですか?
一言で言うと「感謝」ですね。じいじは、雪の中から芽を出してきたお野菜の葉っぱにも「寒かったろ?」と声をかけるんです。そんな言葉が自然に出る、人としての愛おしさ。自然と共に生きている人ならではの感謝の気持ちですよね。
山に入る時は、ご挨拶と恵みに感謝してお酒を撒く。例えば、かぼすがたくさん採れたら、オーストラリアにいる私の姉よりも、まずは向こう三軒両隣に配る。番組のスタッフさんが東京から来ても、たくさんおもてなししていますよ。身近な人から最初にお裾分けしているところを子どもの頃から見せられていますし、自分もじいじの良いところは自然と引き継ごうと思いますよね。
あとは、何事も遊び感覚なところも良いなと思います。じいじは山芋掘り1つとっても、宝探しゲームのような感覚で、すごい執念で掘るんですよ。「何が出てくるんだろう」って、いつも考えている。「このツル、3本かと思ったら、もう1本あったー!」と言って、楽しんで掘り続ける。心は少年のままなんです。大変な思いをしても楽しいみたいで、全然苦にならないらしいんです。
楽しいことをしている人はやっぱり若々しいし、元気。自分が楽しいと思えることを続けるのが、一番だなと思いますね。
――一方で、お子さんとの関係性も考えていくことになると思います。有吉弘行さんに「どうやったらこんないい子が育つんだろう」と言わしめた息子さんについて、いかがですか。
息子は高校2年生なので、私ももうそろそろ子育ても終わりだなと思っています。3年後に子育てが終わったら、私は60歳。還暦ならまだまだ動けますよね。
今は「買えば済む」世の中ですが、息子にはじいじのように食べ物を他の人に分け与えられるような人になってほしいですね。お金がなくなった時、最終的に強いのは畑を耕して食べられる人なんじゃないかと。「ない」と人は必ず欲しがってしまうので、「食べ物がある」「人に分けられる」ことの強みを感じてほしいなと思います。
私はいまちょうど、東京の家を処分してしまおうかと思っているんです。息子にその家をあげたとしても、「簡単に家を手に入れられた」って勘違いするかもしれないし、きっと彼のためにはならない。ならば処分しよう、と。そういうことを決めるのは、私、早いんですよ(笑)。
――ご自身の今後のシニアライフを考える上で、ご両親の見習いたいところはどんなところでしょうか。
今を大事に生きて、未来に向かっていく考え方。「あの人にあんな悪いことを言っちゃった」と悔やんでばかりの人は、やっぱり過去に生きていると思うんです。逆に今後起こり得ることに囚われている人もいる。でも未来に対する漠然とした不安におびえたところで、それが良い影響を及ぼすことはあまりないですよね。人は目の前のやるべきことに集中して、今に生きることが大事なんだと思います。私もそうやって生きていきたいですね。
(取材・執筆=横山由希路 撮影=品田裕美 編集=桒田萌/ノオト)