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法律知識ゼロ、不動産シロート、60過ぎの三大マイナスで合格率16%の国家資格試験に合格

法律知識ゼロ、不動産シロート、60過ぎの三大マイナスで合格率で合格率16%の国家資格試験に合格
山田 修 ライター

執筆者
山田 修 ライター

名古屋市に生まれ、海部元首相、神田前愛知県知事を輩出した東海高校弁論部で活動し、言論と政治の重要性を学ぶ。それを生かすため、大学を卒業後、びわ湖放送に入社。びわ湖放送では、のちに島根県仁摩町の町長になり世界一の砂時計を作った泉道夫氏にジャーナリストの矜持と地方自治の責任、中日ドラゴンズの代表になった鈴木恕夫氏にスポーツの魅力、歴史小説家の徳永真一郎氏に歴史の叡智と言葉の選び方の教えを受け、フリーライターとして、各種メディアに寄稿している。

突然、妻の兄から「宅建試験を受けてみたらどうか」とすすめられました。「そこらのおばちゃんでも受かる簡単な試験だ」と女性が聞いたら怒りそうな言葉で、兄は私に強くいってきたのです。2010年当時、妻の母が持っていた大阪のビルの売却を検討している時期だったので、「そのビルを管理するのに、宅建を持っていると便利だから」と、兄は強力にプッシュしました。でも、私はその年に60歳を迎えていました。勉強も40年以上していません。(最近の学生さんのようにエントリーシートを書くなどの就職試験の勉強もしたことがありません。)

そんな私でも簡単に受かるの?と半信半疑で宅建について調べはじめました。合格率は約16%、競争率は6倍以上じゃないか!難関大学の競争率と変わらないじゃないか!そんな言葉が私の頭の中を駆け巡ります。

不安が一杯ですが、「怖気づいているのか?」「挑戦しないなんて情けないな」と心の中でいわれるような気がして、「それなら、やってみようじゃないか」と思い、宅建受験を決めたのです。

1.初体験と頭の老化は勉強には大敵

秋の宅建試験まで約半年、ゴールデンウイーク明けの5月16日から資格試験の学校に週二回通うことにしました。テキストを勉強するだけで合格した人もいるという話も聞きましたが、それは60過ぎの私にはあまりにも無謀な挑戦です。身の程知らずの行動です。

会社勤めをしていなかったので、時間は割と自由でしたが、昼間の仕事をこなし、夕方から始まるコースを選びました、教室に集まってくる受講生は、見る限りほとんど年下、クラブ活動や学校活動もないので、受講生同士が話し合うのもあまりない雰囲気でした。勉強にだけ集中する学校でした。

宅地建物取引主任者試験(現在は宅地建物取引士試験)は不動産に関連する法律の知識を主にはかる試験で、不動産業務の経験がない、学校で法律の勉強を学んだこともない60過ぎの人間にとっては、大変に難関な試験だと、学校で勉強を始めてから、改めて実感しました。

入学1週間後の小テストの成績は20問中4問しか正解できませんでした。たったの2割です。宅建の合格点は50問中35点前後、7割得点できなければ不合格です。なかには満点に近い人もいました。合格ははるか遠い彼方です。

なじみのない不動産用語や法律用語は覚えるのが大変です。60歳を過ぎると、人の名前を忘れるのは当たり前の年代です。とにかく丸暗記に近い形でテキストや問題集で覚えていきます。学校の授業時間は3時間、週6時間に自宅などの勉強時間を加えると、半年で350時間以上、宅建の勉強に費やしました。

2.突破できない壁

2.突破できない壁

自分ではよくやったつもりでいましたが、模擬試験の結果も30点前後に低迷、合格点は前年、前々年、いずれも33点なので合格の可能性は低いが、何とかなるのではと、勝手に思い、試験にのぞみました。予想通り撃沈しました。自己採点で31点、合格点は35点でしたので、完敗でした。久しぶりの勉強、老化による記憶力の低下、自分では一生懸命しているのに、結果が出ないもどかしさや、さまざまな思いが頭をめぐりました。不合格当日の日記にはこんなことを書いていました。

「自分なりに万全な準備をして、全力を尽くして、試験にのぞんだが、まだスキがあった。そのスキをつかれて失点した。どこをなおすということではなく、人間力の不足が31点という結果をまねいた」

不合格は様々な要因が考えられますが、結局は合格に到達できなかったのは、壁を突破できなかった人間力の不足が大きい気がしました。 

3.二年目の挑戦 勉強法を変える

不合格の衝撃は思っていたより大きいものでした。合格にむけて再び勉強を始める気には、なかなかなれませんでした。年が明けるまでは、再受験をするか否かも決めかねていたのです。

前年と同じ時期から勉強を始めることにしました。1年間集中するのは難しいですが、半年くらいならこなせる、去年も勉強できたから、できると思ったのです。

さて、勉強法ですが、3つ考えられます。1つ目は去年と同じように資格学校に通って学ぶ、2つ目は他の勉強法で学ぶ、3つめは独学で受験勉強をする方法です。資格学校に再び通うのもマンネリに陥ったりしないか、3つ目の独学は間違った勉強法をしないかの不安がありました。

通信教育のなかで、合格しなければ費用を返金するシステムがある学校を見つけ、そこで勉強することに決めました。合格を保証することを間接的にいっており、よほど学習方法に自信があるのだということに魅かれ、その学校の通信教育を選んだのです。但し、学習する側にもノルマがあります。週に一回以上先生に質問を送ることが責務となっていました。質問は勉強しないと出てきません。一生懸命勉強していきますと、さまざまな疑問がわいてきます。私もうまく乗せられた形で自然に勉強していきました。テキストと問題集の製本がほどけるほど勉強しました。

4.合格に大切な要因は?

宅建試験は4択問題で、50問出題されます。そのうち最も多い科目は4割、20問をしめる宅建業法の科目で、18問正解を目標にせよといわれました。宅建業法はほぼ完ぺきにできるようにするのが第一条件です。

通信教育による強制的な勉強と宅建業法の完璧学習などで、自分自身も力がついたと思うようになってきました。その他、勉強法に参考となるものはないかと探したりしました。NHKのEテレで「テストの花道」を放映していました。中高生など若者の受験対策番組です。「鳥の目」「魚の目」「虫の目」を紹介している日がありました。虫のように狭い範囲をくわしく見ることが必要な場合も、鳥のように空から俯瞰的に見ることが必要な場合があり、勉強や試験のときに多角的な見方が見方が役に立つといった話をしていました。

本番の試験が3ヵ月を切ったころから始まった模擬試験をいくつも受けましたが、一向に点数が上がりません。28点から32点で、合格予想点の35点、36点に全然近付きません。

その時、教わったのが以下の3点です。

学んだこと

① 本試験は模擬試験とは違う

② 本試験問題は模擬試験より良質な問題だ

③ 本試験当日をピークにもっていく

この3点を頭に叩き込んで、試験2週間前からラストスパートに入りました。宅建問題の完璧をめざし、記憶できるものは徹底的に記憶し、過去問の復習を何度も繰り返しました。

試験は午後から始まります。会場には余裕を持って入り、昼食はとらず、持参したミカンとバナナを食べました。試験前にトイレに入り、準備はすべてやりつくした、そんな思いで大学の試験会場の教室に入りました。試験が始まってからも落ち着いていました。一読して分かりにくい問題が2問ありましたが、一通り回答した後、虫の目から鳥の目に変えて見てみると、回答が導き出せました。(2問とも正解でした)

最後に回答を誤記していないか、2度見直し、試験を終えました。今までにない手応えがありました。自宅に帰り、自宅採点の結果は38点。自己最高得点を大幅に更新しました。奇跡に近い結果です。

5.意外な成果と喜び

意外な成果と喜び

試験から1ヵ月半後の11月30日、外出先の携帯電話の画面で「合格」の2文字を確かめました。38点獲得したのは確信していましたが、回答の問題番号を誤記していないか心配になるものです。10年以上たった今もその時のドキドキ感は忘れられません。合格点は36点でしたが、問題にミスがあり、一問が全員正解となったため、私の得点も39点で、3点オーバーでした。

「宅建は本気で勉強しなければ合格しないが、本気で勉強すれば合格できる試験だ」といわれています。

私の宅建合格は本気で勉強をした証(あかし)だと思います。60過ぎてからも、本気で勉強して成果をもたらすことができ、私にとってとても大きな自信となりました。勉強することで、試験を受けることで、自分に足りないもの、必要なもの、何を足せば成果が得られるかを身体で体感した気がします。達成した喜び、緊張するドキドキ感は歳を重ねるにつれて体験できなくなってきていますが、60歳を過ぎて体験できたのは私にとって、何にも代えがたい喜びです。

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