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2024年賃上げ率は33年ぶり高水準も、物価高にあえぐ日本人…「会社員の給与」は増えるのか?【法政大学教授が解説】

2024年賃上げ率は33年ぶり高水準も、物価高にあえぐ日本人…「会社員の給与」は増えるのか?【法政大学教授が解説】
山田 久

執筆者

日本総合研究所客員研究員

山田 久

<研究・専門分野>マクロ経済分析/経済政策/労働経済 <注力テーマ>新しい労働市場のグランドデザイン/北欧モデルの日本への適用 <経歴>1987年 京都大学経済学部卒業 1987年 (株)住友銀行(現三井住友銀行)入行 1991年 (社)日本経済研究センター出向 1993年 (株)日本総合研究所調査部出向 1998年 同 主任研究員 2003年 法政大学大学院修士課程(経済学)修了 2003年 日本総合研究所 経済研究センター所長 2005年 同 マクロ経済研究センター所長 2007年 同 ビジネス戦略研究センター所長 2011年 同 調査部長/チーフエコノミスト 2015年 京都大学 博士(経済学) 2017年 日本総合研究所 理事 2019年 日本総合研究所 副理事長 2023年 日本総合研究所 副理事長退任、客員研究員、現在に至る 2023年 法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科 教授

物価高騰が続くなか、24年春闘の賃上げ率は5.10%と33年ぶりの高水準。2年連続で大幅賃上げを実現しました。一方で、家計への恩恵は限定的です。物価高に賃上げが追いつかず、実質賃金はマイナス状態が続いています。

日本の物価と賃金の現状、その背景と要因、25年の賃上げの見通しについて、法政大学教授で日本総合研究所客員主任研究員の山田久氏(以下敬称略)にお話しを伺いました。

給与所得は30年間ほぼ横ばい…会社員の苦悩

給与所得は30年間ほぼ横ばい…会社員の苦悩

――会社員の年間給与所得は過去約30年間ほぼ横ばいでした。その理由、背景を教えてください。

山田「日本の賃金が下がり始めたのは、1997年頃からです。バブル崩壊後の97年に、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が相次いで経営破綻し、その後も日本長期信用銀行、日本債券信用銀行などが破綻しました。97年は、タイの自国通貨暴落をきっかけとする通貨危機がアジア全体に波及した年であり、また、同年には日本の消費税が3%から5%に引き上げられました。

こうしたさまざまな要因が複合的に絡まり、日本は長期の景気低迷に陥りました。当然、失業率も上昇。労働需給が悪化し、賃金を上げるどころの状況ではありませんでした。

さらにその後、中国が世界の工場として台頭し、日本をはじめ先進各国は中国やアジア諸国に生産拠点をどんどん移転、安い労働力を使って低コストなモノづくりを進めました。その結果、世界中でモノの価格が下がり、特に日本では物価が著しく下落しました。

物価が下がると企業の業績は伸びず、賃金も上がりません。給料が増えないので、消費者は安いものしか買わなくなります。そうなると、企業業績も上向かず、賃金も上がらない。会社員の年間給与所得が過去約30年間ほぼ横ばいだった大きな背景は、悪循環が30年間続いてきたことです」

――ただ近年は企業業績が上向き、企業価値(時価総額)が上昇していましたが、賃金はずっと抑えられたままでした。それはなぜですか。

山田「バブル崩壊以降、日本企業は雇用・設備・債務の『3つの過剰』の対策に力を入れてきました。バブル期に多くの投資を行い、そのために借り入れを増やし、社員も増やしたためです。しかし、3つの過剰は2000年代半ばにほぼ解消しました。

それ以降、リーマン・ショック(2008年)や東日本大震災(2011年)などで、一時的に経済が悪化する局面はあったものの、基本的には2000年代半ばに経済全体は上向き基調に転じ、企業体質     も改善     しました。さらに、第2次安倍政権で始まったアベノミクスの効果もあり、特に製造業は利益が出るようになりました。

人件費と利払い費の推移

[図表1]人件費と利払い費の推移

ただ、そのあいだも日本の賃金水準は中国などに比べると高かったですし、経済の先行き不透明感を払しょくできず、日本企業は守りの姿勢を維持しました。利益を内部留保に回し、いざというときに備えようというものです。

特に大手企業の場合、労働組合も同じように守りの姿勢をとりました。企業の業績は改善しているものの、賃金に関してはあまり引き上げ要求をしませんでした。もともと日本の労働組合は雇用の維持を大事にするため、賃金を上げて国際競争力が弱まり、結果として海外に生産拠点を移転されると困るという考えが背景にあります。

もう1つ付け加えると、物価がデフレで下がっていましたから、賃金が上がらなくても、特に大手企業の会社員は生活水準が大きく低下するようなことはありませんでした」

2023年春闘で大きく転換、24年春闘も大幅な賃上げを実現

2023年春闘で大きく転換、24年春闘も大幅な賃上げを実現

――それが2023年の春闘で大きく変わりました。

山田「大きくは2つの要因が考えられます。一番は物価の急騰です。世界的な資源や原材料の高騰に加え、円安によるインフレが高進しました。デフレからインフレ経済への移行で、とりわけ2023年はインフレ率が40年ぶりの高水準になりました。

二番目に、深刻な人手不足があげられます。あらゆる産業、特にサービス業はそうですが、賃金を上げないと従業員の確保が難しくなりました。

そうしたなかで、労働組合も賃上げ要求の声を上げるようになり、経営者のあいだにも賃上げの必要性が浸透してきたということだと思います」

――そして今年、24年の春闘は前年以上に賃上げが進みました。どのように評価されますか。

山田「人手不足が一層深刻になったという要因が大きいです。特に若い人が採れなくなっています。また、せっかく採用できても、すぐに離職してしまうという問題もあります。以前であれば大手企業は比較的定着率がよかったのですが、若い人のあいだではむしろ転職志向が強まる傾向が見られます。

若い人の転職志向は賃金だけが理由ではありませんが、賃金が大きな要因となっていることも事実でしょう。各社ともに若手人材のつなぎとめや新卒獲得のため、高収入をアピールしている側面があります。それが今年の春闘が過去最大水準の大幅賃上げにつながったということだと思います。

ただし、注意が必要なのは、大手企業でも中高年層は、若い世代に比べて賃上げ率の上昇幅が低いことです。直近3ヵ年(2020~23年)でみると、若手の伸びは大きい半面、中高年層は低く、特に50歳代前半では減少しています。この背景には継続した「脱年功化」の取り組みもあります。企業としては若い世代や中堅層を惹きつけたいという狙いがかなり入っているということです。24年には中高年にも賃上げの恩恵が及び始めているようですが、若手・中堅中心の賃上げであることは変わっていません。

年齢階層別の所定内給与の変化

[図表2]年齢階層別の所定内給与の変化

加えて、中小企業の賃上げも一定程度上がっていますが、大手に比べると遅れています。中小の場合、特に企業間でのバラツキが大きくなっています。賃上げのすそ野を広げていくことが課題です。

春闘賃上げ率のバラツキ

[図表3]春闘賃上げ率のバラツキ

規模別賃上げ率格差

[図表4]規模別賃上げ率格差

このように24年の春闘は、主に大手企業の若い世代の賃上げが大きく伸びる一方で、それ以外はそれほど増えませんでした。結果的に、給与所得者全体で見ると、賃上げによる家計の改善があまり実感できないということになるのだろうと思います。

実際、実質賃金はマイナスが続いています。実質賃金は6月に27ヵ月ぶりに増加に転じ、6月、7月と2ヵ月連続でプラスとなりましたが、それは一時的な特別給与の増加が影響したもので、8月は再びマイナスに転じました」

――給与所得の引き上げ、特に中高年層の給与所得を上げるためにはどうすればいいのでしょうか。

山田「企業の役職定年制度や定年後再雇用など、給与が減る人事制度の見直しが求められます。それには働く側の意識改革も必要でしょう。これは『働かないおじさん』の問題にもつながりますが、まずは本人がリスキリングなどに取り組み、新たなスキルを身につけたり、能力を高めたりする努力が大切です。

同時に、それに対して企業が積極的に支援を行い、その能力に見合った処遇を与えることが大事です。本人の『自己責任』で片づけるのではなく、企業はシニア世代にも人材投資をする必要があります。『働かないおじさん』を生み出している責任の半分は、企業側にあります。

転職入職者の賃金変動状況

[図表5]転職入職者の賃金変動状況

実際、人材不足がこれだけ深刻になっているわけですから、シニア世代も戦力化していかなければ、企業は持続的な経営ができません。若年層だけでは現場が回らないからです。企業側もシニア層を重要な戦力と位置づけ、しっかりと人材投資を行っていくことが大事になります」

インフレは賃上げのチャンス…企業は売り上げ増で収益向上を

インフレは賃上げのチャンス…企業は売り上げ増で収益向上を

――山田教授は、「インフレが進む現在は、デフレ脱却と賃上げのチャンス」と指摘されています。

山田「日本企業は長期のデフレ下で、低価格競争に明け暮れてきました。その原資となるのが人件費などのコスト削減でした。しかし現在、デフレが収束し、さまざまなコストアップを背景に緩やかなインフレ時代に入っています。企業はマインドをリセットし、コスト削減ではなく、売り上げを増やすことで収益の向上を目指すべきです。

たびたび日本の労働生産性の低さは指摘されます。低生産問題の根源は値付け(プライシング)にあると私は考えています。日本企業は品質の高い製品をつくっても、デフレ下で十分なプライシングができませんでした。

しかし、コストプッシュ型とはいえ、物価が上昇トレンドに転換しつつある現在、プライシング戦略を見直す大きな好機です。自社独自の付加価値の高い製品やサービスを創出し、その価値に見合った適正なプライシングを行うことができるのです。

消費者の意識も変化しています。足元では物価高で低価格志向が根強いものの、健康への関心の高まりや、良質で長く使えるものを求める消費傾向もみられ、SDGs消費の構造的な高まりも見逃せません。

付加価値の高い製品やサービスを提供するためには、優秀な人材の確保、従業員のモチベーションアップが不可欠で、そのためには賃金の引き上げが大事な要素の1つとなります。

売り上げを伸ばすことで企業収益を高め、それを従業員に還元し、さらに付加価値の高い製品やサービスを生み出すという好循環をつくっていく。本気でそうした取り組みを行う企業がどれだけ増えるかに、今後の実質賃金アップの成否がかかっているといえるでしょう。

――そうした動きが広がってくれば、25年春闘も3年連続での大幅賃上げが見込めるということですね。

山田「そう思います。結局、国の経済というのは個別企業の取り組み、業績などの集積です。ですから低価格競争ではなく、コストを適切に価格転嫁し、売り上げアップを目指す企業が増えることが大きなポイントになります。実際、そうした企業は増えてきています。中小企業を含めてこの動きが広がることが期待されます」

おわりに

おわりに

給与所得者の賃上げ状況については、

・賃金は大手企業の若い世代を中心に増えているが、企業規模や年齢層でバラツキがある
・中高年層はリスキリングに取り組む一方、企業側はそれを積極的に支援すべき
・緩やかなインフレを受け、企業は低価格競争から抜け出し売り上げ増を目指す
・企業収益の向上を従業員に還元し、実質賃金のアップ実現へ

などの点が挙げられます。働く側、企業側双方の意識変革、取り組みが重要になるといえるでしょう。

※本記事は公開時点の情報に基づき作成されています。記事公開後に制度などが変更される場合がありますので、それぞれホームページなどで最新情報をご確認ください。

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