突然ですが、あなたは今の自分に自信を持っていますか?今の自分を誇れていますか?
ここに残念なデータがあります。内閣府が発表した「日本を含めた7ヵ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査(我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成25年度))」では「日本人は諸外国と比べて、自己を肯定的に捉えている若者の割合が低い」という結果が出ています。「私は自分自身に満足しているか」という質問に対して「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した合計が、一番高いアメリカの86%と比較して、日本は約半分の45.8%と圧倒的に低い結果となっています。
(本記事は2022年3月時点の情報です)
引用元:内閣府 日本を含めた7ヵ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査(我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成25年度))
日本人の自己肯定感が低い原因は色々と考えられます。もちろん個人の過去の経験や育ってきた家庭環境も影響していると思いますが、今回は日本特有の文化的視点から考えてみたいと思います。
日本人が自信を持てない理由
日本には古くから「和」を重んじる風潮があり、「個人」よりも「私たち」という集団の利害を優先し、コミュニケーションにおいては場の空気を読むことが重要とされてきたように思います。場の空気を読むということは周りを意識するということにつながり、常に自分以外の誰かを意識して生きるようになることで、無意識のうちに他者と比較をするようになっていくのではないでしょうか。他者と比べることにより、人は自らの能力や意見を評価していると考えられており、現在の自分に満足していなかったり、不安で落ち着かない状況が続くと、その状況から抜け出す努力よりも先に、誰かと比較して安心感を得たくなるのです。
これをアメリカの心理学者レオン・フェスティガーは「社会的比較過程論」と提唱しました。そして、自信がない人ほど、自分より実力や実績を上げている方たちと比較しては、‟あの人より自分が劣っているところ”を見つけてしまい、「やっぱり自分はダメなんだ」と落ち込んでいってしまうというループに陥ってしまうのです。
失った自信を取り戻すために
そこで失った自信を高めていくためには、以前にもお伝えした「今のありのままの自分を受容してOKを出す」という意識を常に持つ習慣が重要となります。決して完璧ではない凸凹な自分でも、その自分を受け入れるということが「自己受容」となります。
しかし、「自己受容」は、「どうせ自分はこんな人間なんだから変わらなくていいや」というふうに諦めることや投げやりになることではありません。「どうせ自分はこんな人間なんだ」「こんな性格なんだ」というふうに、自分が変わっていける可能性すらも放棄するような感覚とは違い、むしろしっかり「自己受容」ができるようになればなるほど、自然に向上心が湧いてきます。
「自己受容」というのは、ありのままの自分をしっかりと見つめてそれを受け入れることで、自分の色々な側面をしっかりと見て、それを受け入れるということです。これは現実の自分をしっかりと直視して受け入れることで、自分という大地に足がつく感覚です。そうすると、しっかりと根を張った樹木がすくすくと上に伸びていくように、しっかりと「自己受容」ができた人は自然に向上心が湧いてきます。「自分のこういうところを伸ばしていきたい」というような明確な向上心が自然と湧いてくるのです。
「自己受容」はワガママやナルシストとは違う
また、「自己受容」というのは自己中心的な生き方やナルシスト的な生き方とも違います。自己中心的な方は、とにかく自分のことばかり考えている方、また、ナルシストというのは自分の才能や業績など自分の仕事ぶりなどに陶酔している方です。
しかし実際は、自己中心的な生き方も、ナルシスティックな生き方も、むしろ「自己受容」ができてないからこそ取ってしまう行動です。どういうことかといいますと、自己中心的な方やナルシスティックな方に共通していることが、「自分自身が納得するような自分でないと受け入れられない」ということなのです。つまりどんな自分でもそっくりそのまま受け入れるという「自己受容」がなかなかできないわけです。
本当に惚れ惚れとするような自分じゃないと受け入れられないため、何としてもそんな自分を手に入れたいがために、例えば自分が話題の中心になろうとしたりして、自己中心的な行動に走ったり、あるいは自分の中の惚れ惚れとできるようなところにだけ、焦点を当てて、ナルシスティックになったりするわけです。
しかし、実際に私たちはいろんな側面を持っています。無様な自分、恰好悪い自分、不器用な自分、失敗してしまう自分、思い通りに結果を出せない自分もいます。そういった自分も含めて、ありのままの自分を全て受容できるようになるというのが「自己受容」なのです。ですが、自己中心的な傾向の強い方や、ナルシストの傾向の強い方というのは、惚れ惚れとするような自分でないと受け入れられない。つまり、泥まみれの自分は受け入れられない。縁の下の力持ちを地道にやってるような自分は受け入れられない。格好悪い自分は受け入れられないということなのです。
だからといって、決して自己中心的なことは全て良くないとか、ナルシスティックは全く良くないということをいいたいわけではありません。ある意味人は誰もが、自己中心的な傾向を持っているのです。人は皆、まず自分のことが大事です。そのため自己中心的な傾向は少なからず持ち合わせていることですし、誰もがある程度のナルシスティックな傾向を持っていて自然だと思います。ただその傾向があまりにも強い方は「自己受容」ができていないために、必死になって「惚れ惚れとするような自分」を手に入れようとしている姿だと考えると、その方の傾向が理解できるのではないでしょうか。
「自己受容」ができるようになればなるほど、他者比較が減ってくる
「自己受容」が深まれば深まるほど、私たちは自分と他人を比べることが減ってくるようになります。人と自分を比べて、負けてしまったとか、ここが勝っているとか、人と比べて劣等感に陥ったり、あるいは優越感に浸ったりということが減っていきます。逆にいうと私たちは、自分のことを受け入れていないほど、つまり「自己受容」できていないほど、他人と自分を比較してしまうわけです。
なぜかというと、「自己受容」ができていなければできていないほど、自分が自分であることの確かさがないからです。「自分は自分なんだ」という確かな感覚がないわけです。ですから、人と比較することで何とか自分の位置や自分の感覚を掴もうとしてしまいます。結果的に、あの人と比べて負けているとか、あの人には勝っているとか、そんなふうに劣等感と優越感の間を行ったり来たりするような状態に陥ってしまうというわけです。
劣等感と優越感は表裏一体
劣等感はあまり味わいたくないけれども、優越感は良いのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、優越感というのは劣等感の裏返しです。優越感というのは、人と比べた上で自分が優れている。あの人たちと比べて自分はこんな結果も出して、こんな業績を出して、だからすごいのだというふうに、人と比較した上で感じるものです。
ですから、自分よりももっとすごいと思う方を見ると、途端にこれが劣等感に変わり、自分は駄目だとかそんなふうになってしまいます。その結果として、このように人と自分を比べる限り、優越感と劣等感の間を何度も行ったり来たりすることになってしまうわけですが、「自己受容」というのは、人と比べるのではなく、今の自分が感じていることを受け入れていくこと、これをやっていけばいくほど、自分が自分であることの確かさが培われてきますので、だんだんと人と自分を比べなくなります。すると、自分の中の自然な向上心や好奇心などが湧いてくるようになり、自分の可能性に期待感が生まれてくるようになります。
「自己受容」が良い関係を築くことにつながる
そしてもうひとつ、「自己受容」ができるようになると、人にゲームを仕掛けなくなるということもお伝えしたいと思います。「自己受容」ができるようになればなるほど、自分の意見を抑えてまで相手に迎合したり、相手に賛同したりしなくなります。
例えば自分と相手の意見が違うときに、「意見が違いますけど、僕はこう思います」というふうに相手の意見と自分の意見が違うということをちゃんと表現できるようになります。「私とあなたはずいぶん意見が違いますね。でもお互い尊重し合って、仲良くやっていきましょう」ということがいえるわけです。これはまさに「自己受容」ができるようになればなるほどそうなってきます。
私たちは「自己受容」ができるようになればなるほど、無理に人に迎合したり、人に賛同したりするということが減り、自分の意見をちゃんと表現しながら、自分らしさを大切にしながらも人と尊重し合って、良い関係を築いていけるようになってくるということなのです。
ぜひこの機会に「自己受容」に挑戦してみてください。きっと自信が高まるはずです。