人間の価値観は十人十色です。ということは当然、職場にもさまざまな価値観の方がいることになります。
仕事にやりがいを感じる方もいれば、生きるためだけに仕事をしている方もいます。仕事を楽しんでいる方もいれば、生活のために我慢しながら仕事をしている方もいます。仕事を楽しみたいか、楽しまなくても良いかは人それぞれ。他者に強要されるものでもないですし、「これが正解」というものもありません。
しかし「仕事は楽しむべきだ」「仕事は楽しんだ方が良い!」と押し付ける方がいることも事実ですし、自分のやりたいことを仕事にできるという労働者の勤労意欲に企業が付け込んだ「やりがい搾取」という行為も問題となっています。
「やりがい」は企業が従業員に対し、従事する仕事や業務を心から楽しめる気持ち・充実感・達成感を高めるために、賃金や賞与など形のあるもの「以外」に得られる形のない報酬です。仕事へのモチベーションの向上や継続力につながる重要な要素として、人材育成や自己実現に活用されてきました。
しかし日本においては、賃金や賞与といった「形ある報酬」が諸外国より少ないです。そしてその少ない「形ある報酬」のみで従業員のモチベーションを上げることはなかなか難しい。そこで「やりがい」という目に見えないものを利用してモチベーションを高めるという方向に労働者は移行させられているように思われます。
1.欧米と日本の意識の違い
例えば、「あなたの夢はなんですか?」と質問されたら何と答えますか?この質問に対しての捉え方は欧米人と日本人で大きな違いがあるといわれています。
「あなたの夢は何ですか?」という質問に対しての欧米人の答えは「ライフスタイル」に関することが多いといわれます。例えば、「世界中を旅して暮らしたい」、「親孝行をたくさんしたい」、「大きな一軒家を建てたい」などという「人生の今後のあり方」が答えとして返ってくることが多いのですが、一方で日本人は、「やり方」である「職業」で答えが返ってくるという違いがあります。
この違いが生まれる理由に「幸福度」という考え方があり、日本人の「幸福度の低さ」が問題視されています。幸福度が低い日本人は自己肯定感も低く、「夢」の捉え方の枠組みが小さくなり、職業で捉える文化傾向があります。日本では子どもに夢を聞く際にも「将来、何になりたいの?」と職業を聞きますよね。そのため「職業」「職種」「やり方」など小さな枠に意識が向きがちとなり、そこに「やりがい」を求めます。例えば、「仕事にやりがいを見つけなさい」「仕事は内容で選びなさい」というように「やること」にこだわりをもち、モチベーションを高める傾向にあります。
一方、欧米では「将来どんな人になりたい?」と「あり方」を尋ねてきます。意識の枠組みが職業ではなく「あり方」なので、「人の役立つ人になりたい」とか「新しいものを作る人になりたい」というように「夢」を大枠で捉える傾向にあります。
この傾向が人生にどのような影響を与えるかといいますと、例えば日本のように職業の枠で「医師になりたい」という夢を持った時、医学部への入学が失敗したら、夢は簡単に潰えてしまい、多くの場合は夢が実現しないという結果になります。仮に夢が叶ったとしても、その努力によって掴んだ「職業」にもし賃金や賞与や条件などの不満があっても、「やりがい」という目に見えないものを働く原動力としてしまい、「やりがい搾取」されるという方向に進んでしまうでしょう。
一方でどんな人になりたいか大枠で人生を捉える欧米人ですと、「他人を救えるような人」という概念を持った場合に、お医者さんや弁護士さんなどと職業に囚われずに、消防士や保育士、カウンセラーも教師もその枠に入り、人生の幅が広がっていくことになります。そのため、たとえ医師になれなかったとしても違う仕事でも人を助ける職種につければ夢は叶うことになります。
2.日本人独特の働くことへの意識
このような意識の違いはなぜ起きるのかというと、日本人は自国の日本しか知らないという理由が挙げられるでしょう。これはパスポートの保有率で分かるのですが、日本のパスポートの保有率は20%を切っており、保有者はわずか5人に1人という先進国最低水準となっています。
自国の日本以外を知らない日本人としては、周囲の当たり前が自分の当たり前となり、疑うことがなくなります。仮に他者と意見が違い、「やり方」ではなく「あり方」に重要性を感じたとしても、他とは違う少数派のあなたが間違っているとしてハラスメントの対象となってしまいます。
しかし、自分が感じている「やりがい」は自ら持っている「やりがい」なのか?それとも持たされている「やりがい」なのか?というところをチェックしないと「やりがい搾取」の被害に遭ってしまうことが多くなるでしょう。
参照元:外務省「令和3年統計表一覧」
3.本質を考える
誰かや仕事として求められることによって、忙しくなるのはとても良いことですが、何よりも大切なのは自分の心と身体です。自分を犠牲にする必要は全くありません。
そもそも何のために働くのか?
そもそも何のために生きているのか?
本質を考えるとき、元々はどうだったのかを考えるのが分かりやすいでしょう。原始時代の仕事は「狩り」でした。当時、狩りは何のためにやっていたのかというと「やりがい」のためにやっていたのではありません。つまり、得られるもののためにやるのが仕事の元々の本質だったと考えます。しかし、そこに「やりがい」というものを付けることによって、多くの矛盾や本末転倒が生まれてきます。
仕事というのは何かを得て人生を豊かにするためのものだったはずなのに、「やりがい」とか「仕事」そのものに対して、意味を付けすぎてしまうことで、それが報われなかったりすると本末転倒問題が起こり、そもそもの目的とずれていってしまうわけです。
元々は「やりがい」とはプラスアルファのものだったはずなのに、目的の中心に来てしまい、何か大事なものを無くしてしまうケースが多くあります。健康や家族、友人との時間などを削るような自己犠牲が多くなってしまい、そのせいで、本来は人生を豊かにするための仕事で悩んだり、苦しんだり、鬱になってしまったり、自ら命を絶つという本末転倒が起こってしまっているわけです。
「やりたい」という自らの欲求がベースにある上で、プラスアルファとして「やりがい」があるのであれば良いのですが、そういう傾向にあるということを自覚した上で、自分で選択するのと、無自覚でそうなってしまっているのとでは大きく違ってきます。
自分で選択する上で大切な軸となるのは、「どうしたいのか」「どうなりたいのか」という自分自身の人生の目的を明確に持つことです。
なんのために生まれ、なんのために生きているのか?
なんのために働き、なんのためのお金を得たいのか?
それらを明確に、具体的にしていくことで、自分の軸がしっかり定まってきます。周りの人間がどう感じるのか?どう評価するのか?ということは考えずに、自分の人生を生きると決断することが大切です。
4.人生は自分で選べる
あなたの思考や基準の中に「第三者」が現れたら気を付けてください。「上司がこう言ったから」「みんながこうしているから」という周りの人間の基準を意識することは、自分の人生を生きていないということに気付きましょう。
その「第三者」はあなたの人生の責任は取ってくれません。あなたの人生の舵取りを、なんの責任も取ってくれない「第三者」に任せることはとても危険です。あなたの人生はあなたが選べますし、あなたが選ぶべきなのです。
人生は自分で選べる。勇気をもって、あなたが本当に望む選択をしていきましょう。聞くのは第三者の声ではなく、自分自身の声です。