更新日
公開日

悪口や嫌がらせに対する正しい心構え

悪口や嫌がらせに対する正しい心構え
斉藤 恵一 セルフマネジメントプロデューサー

執筆者

セルフマネジメントプロデューサー/日本心理学協会 認定心理士

斉藤恵一

大学時代に歌舞伎町のホストの世界に飛び込むも半年間売り上げゼロ。そこから心理学を学びセルフブランディングに取り組み、約6年間売上げNO.1となる。現在は企業向けのコンサルティングやメンタリング、人材育成に取り組む一方、「ナカイの窓」や「ダウンタウンDX」等テレビ出演及び書籍やコラムの執筆等で活動中。

職場やプライベートの中で悪口や陰口、嫌がらせなどを受けたことはありますか?もしくは悪口や陰口を言った経験はありますか?

「嫌がらせを受けてつらい…」「悪口や冷やかしに耐えられない…」

もしも、あなたがそのような悪口や嫌がらせを受けてしまったら、どのように対処したら良いのでしょうか?今回はそういったときの心構えについてお伝えしたいと思います。そういった状況に陥ったとしても、対処法が分かっていれば焦ることはありません。心構えという準備ができていれば、もしもの時も安心です。是非、参考にしてください。

1.「耐え忍ぶ」とは、決して「我慢する」ことではない

辛いこと、苦しいことから逃れる方法は2つあります。1つは「耐え忍ぶ」こと、そしてもう1つは「逃げる」ことでしょう。しかし、「耐え忍ぶ」とは、決して「我慢する」ことではありません。

この「我慢」とは、もともと仏教の言葉です。「我慢」という言葉は、「辛いことや悲しいことを、耐える」という意味で使われていますが、この「辛いことを苦しみながら耐える」という態度も、「この尊い私の悪口を言われたくない」という自分に対する自己愛からくるもののようです。



仏教の「耐え忍ぶ」姿勢は、感情に過剰反応して振り回されるのではなく、その悪口の由緒と理由、そして自分に起こっている状況をしっかりと見つめ観察するために「耐え忍ぶ」ということなのです。

引用出典:「くらしの仏教語豆事典」(本願寺出版社,辻本敬順著,2008年8月)

参照元:浄土真宗本願寺派仏教語豆事典「我慢」

2.悪口、陰口を言う側の状態とは?

悪口、陰口を言う側の状態とは?

そもそも悪口、陰口を言う側の人はどういう状態なのでしょうか?悪口を言う人にも、悪口を言う理由があります。その理由は、他人への妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、僻み(ひがみ)、恨み辛み(うらみつらみ)などや、心や身体が不安定など、一方的なものなのかもしれません。

よく悪口を言うと不幸になるとか、その波動が自分に返ってきて、いわゆる因果応報という形で、言った側の人生が悪くなるのだから気にしないでというようなことをいわれたりします。

しかし、その人がどうなろうと(因果応報で人生が悪くなろうと、そうでなかろうと)そういう問題ではなく、その人の発した悪口に傷付いて人がいるわけですから、悪口を言った人が不幸になろうが実際言われた方にしたら関係のないことで、傷付けられたという事実は変わりません。

しかも、悪口を言ったら不幸になるという因果応報論もぼくは違うと思っていて、むしろ、不幸だからこそ悪口、陰口を言ってしまうということが起こっているという、まさに満たされていないということこそが悪口を言う起因となっていると感じます。

この満たされていないというのは、日々の生活に満たされているかとか、経済的に満たされているかということではなく、精神的に満たされているかどうかということです。それは、これまでの積み重ねによる自己肯定感の問題であったり、自分自身を認められず、結果的に他人も認められずに他人の言動を裁いてやる、という感覚がふとした拍子に顔を出してしまうわけです。そして悪口を言う人になってしまうんですね。

3.悪口、陰口を言われる人にも理由がある

一方、悪口を言われる人にも悪口を言われる理由があるものです。知らず知らずのうちに、他人から誤解されているのかもしれません。もしかしたら、自分に悪口を言われるような態度や落ち度があったのかもしれません。

いずれにせよ、悪口が発生した理由を冷静に分析し、自分に原因があるなら、それを反省して改めるべきですし、悪口の原因が「悪口を言っている側」の問題であるのなら、無理に関わりを持たず、なすがまま、平然とあるべき態度を保っていけば、やがて自然と、あなたへの悪口、陰口は忘れ去られていくでしょう。起きている出来事に過剰反応をして、すぐにその場から逃げてしまうことは、大きな負担にもなりますし、問題がどこからきたのかよく確かめないままでは、また同じ状況が繰り返される可能性もあります。


人はひとりで生きていくことはできません。必ず他人との関係の中で生きていくわけですから、人と人との関係について理解することが必要です。充分に理解せず、逃げれば、次の新環境に行くことはできますが、またその新環境で同じようなことを繰り返してしまうでしょう。

自分に覚えがないことで悪口や陰口を言われると、自分に非がなくても逃げ出したくなります。
でも、そのときこそ、自分の心の動きを冷静に見つめ、心を落ち着けることです。

4.試されている

自分に悪口や陰口を言う人を理解し、許容し、許すことができるでしょうか?

自分が好きな人や自分のことを好きな人が、幸せになりますようにと願うことは、おそらく多くの人たちが自然にできることでしょう。

しかし、自分のことを悪く言う人、自分のことを嫌いと言う人、そして自分に危害を与えようとする人、そういう人を許すことは難しいですよね。

でもそのような恨みに対して、恨みを持って対処するという心持ちは、誰を一番傷付けるかと言ったら、その相手ではなくて自分自身です。

もしあなたに反省すべきところがないのであれば、心の底では悪口を言っている人間を愚か者だと思っているかもしれません。その原因があなたにはなく、相手の中にあるのであれば、家庭でうまくいっていないことがあったり、仕事で何かうまくいっていないことがあるのかもsれません。あるいは、自分が人の注目を集めるために、誰かの悪口を言ったり、弱い者をいじめたりしているのかもしれません。そのような習慣を持っている人というのが、ある一定数どこの職場にもいるものです。

人にとって誰かから注目されたい、認められたいという欲はものすごく強く根深く誰にでも根付いています。誰かの注目を集めようとしたり、誰かの関心を引くために、もっとも簡単な方法は何か?というと、それは物を壊したり、暴力を振るったり、爆音を立てたり、誰かの悪口を言ったり、人の嫌がることをしたりすることです。これが最も知恵を使わずに、人からの関心を引くことができる方法なのです。

例えば日常生活に置き換えても、思い出されることとして、世の中に反発して少し横道に逸れるような、世間では禁止とされている行為をしている人がいると思います。引きこもりなどの行為も、要は自分に関心を引きたいという願望から起こっている無意識の行為であり、元を辿れば、生まれたてのまだ言葉も喋れることができなかった赤ちゃんだった頃は泣いて、叫んで注意を向けていましたが、それはまさにこの注目されたい、関心をひきたいという心の現れであり、それが大人になってもそういった欲求が満たされていない場合に現象として無意識に起こっているわけですね。

5.戦いの土俵に絶対乗らない

ということは、あなたに悪口や嫌がらせをしてきたり、文句を言ってきた人がいたら、

「ああ~可哀想だな」「この人が幸せになれますように」「心が穏やかになれますように」

と、哀れみの心をもって、相手の戦いの土俵に絶対乗らない、相手にしないと言うことを心掛けてみてください。
もし自分が相手の悪口に対してきちんと完全にシャットアウトすることができれば、無駄なエネルギーをそこに注ぐ必要もなくなり、きっと良い循環が生まれ、職場の中であなたに対しての応援者が現れてきます。

あなたの非難を浴び続けながらも自分の軸をブラさず、自分の果たすべき使命を精一杯行い、果たしているという姿に感銘を受ける人というのは必ず出てきます。それができるところまで、自分を信じて、焦らず、騒がず、ゆったりと構えていくということが大切かと思います。

全ては自分の外側からもたらされるものではなく、自分の内側で、自分がどう受け止め、どう認知しているかということで自分によって創り出されたものであるということなのです。

よく読まれている記事

みんなに記事をシェアする