津軽地方に見られる幾何学文様を訪ねる旅も、いよいよ最終回。実は津軽地方には、幾何学文様と切っても切れない注連縄(しめなわ)文化があります。それは、日本のほかの地方ではまず見当たらない、独特な風景です。
私が初めてその魔訶不思議な景色に出くわしたのは、20年ほど前のことでした。とある取材で私は津軽地方を巡っていました。
移動のさなか、人影もない村の鎮守の鳥居に、ぽってりとした唇のように中央が膨らんだ大きな注連縄が掛かっているのが見えました。それだけならば「立派な注連縄だなぁ」という感想で通り過ぎただけだったでしょう。しかし、その注連縄の上には米俵が重なり、さらには縄のれんのような、マクラメ細工のような、それはそれは豪壮な注連縄細工が垂らされていました。のれん状の縄の先は鳥居の足元まで垂れていて、まるで人が神域に入るのを拒んでいるようにも見えました。取材先へ急ぐ途中ではありましたが、しばし車を止めてその光景に見入ってしまいました。美しく圧倒的な藁の造形に心を鷲づかみにされてしまったのです。
あの日見た鳥居の注連縄の佇まいはあまりにも衝撃的で、長く私の心の中で揺れていました。その後、何年か経って再び津軽を訪ねるようになり、不思議な面影を探したのですが、それがどこの神社だったのか思い出せず、見つけられずにいました。
あれは幻だったのでしょうか。それともいつしか廃れてしまったのでしょうか。
1.津軽独自の“じゃんばら注連縄”
なんとかして再びあの景色に会いたい――。しかし、何度津軽を旅しても見つけられませんでした。ところが去年、一部のSNSで“津軽独自のじゃんばら注連縄”という風習が話題になりました。“異界めいた造形”と話題になり、そこに写し出されていたのは、いずれも紛れもなく、20数年前に私が目にした、あの豪壮な注連縄そっくりの風景でした。
“じゃんばら注連縄”と呼ばれるそれらの注連縄は、一か所の神社だけではなく、少なくとも津軽の何か所かの神社で見られる(らしい)ことがわかりました。幻ではなく、廃れてもいなかったのです。
津軽にしかない注連縄の文化――。胸が躍りました。県に問い合わせてみたところ、把握できているのはわずか3件だけとのこと……。少なくとも青森市の廣田神社には、大きな「じゃんばら注連縄」が掛かっていることがわかりました。
“邪”を“払”う注連縄
JR青森駅から徒歩15分ほど、すぐそばには県庁や青森市役所、裁判所などが立ち並ぶ青森市の中心部に鎮座する廣田神社は、全国唯一の病厄除守神社として知られているそうです。
残暑厳しい昨年9月のある日、神社を訪れてみると、早朝から出勤前のサラリーマンとおぼしき人たちがひっきりなしに参拝に訪れていました。その社殿に美しく壮麗なじゃんばら注連縄が掛かっていたのです。
縄のれんのように垂れさがる、丹念に編み込まれた幾何学文様に強烈な印象を受けました。それは「七宝つなぎ」と呼ばれる有職文(ゆうそくもん)でした。
ちなみに“有職文”とは、古来、朝廷や武家で使用されていた格式の高い文様のことです。「七宝つなぎ」は、同じ大きさの円をつなぐことで構成される有職文であることから、“縁をつなぐ”おめでたい柄とみなされ、今でも着物の柄などに多く使われています。
廣田神社のホームページによると、“じゃんばら”とは“邪払(じゃばらい)”、すなわち“邪”を“払”う、が訛って呼ばれるようになったとあります。美しく繊細な七宝つなぎが“邪”を絡めとり、“払”ってくれるというわけです。廣田神社の御朱印帳の表紙も、じゃんばら注連縄の七宝つなぎがモチーフとなっています。
2.じゃんばら注連縄の技術をつなぐ
実は廣田神社の社殿にじゃんばら注連縄が掛けられるようになったのは平成13年。つい最近のことなのだとか。現在、廣田神社のじゃんばら注連縄は3年に一度、「細越(ほそごえ)神社大年縄(おおとしな)保存会」によって作られ、廣田神社敬神会によって奉納されているそうです。
幅約6m、縦約3mにもなる巨大な廣田神社のじゃんばら注連縄を作っているという細越神社に行けば、このじゃんばら注連縄についてもう少し手掛かりが掴めるかもしれない――。そこで細越神社総代長の木村俊信さんに連絡を取ってみました。
廣田神社から車を走らせて15分ほど、眼前にまだ青々とした田んぼが広がる町道脇にどっしりとした石造りの鳥居があり、晩夏の強烈な日差しを浴びた大きなじゃんばら注連縄が掛けられていました。それは、私が追い求めていた景色でした。
“大年縄(おおとしなわ、おおとしな)”と呼ばれる太い注連縄の下に、美しい七宝つなぎ文様が美しい“じゃんばら注連縄”が垂れ、“大年縄”の上には三俵が重なる、津軽ならではの威風堂々たる造形です。このほかに、馬に履かせる“馬蹄草履”と呼ばれる巨大な草鞋も奉納されていました。素朴で野趣あふれる、なのに端正で優美。そして威圧感さえ漂わせる佇まいでした。
木村さんのお宅に伺い、資料を見せていただきながらお話を伺うと、津軽にはまだいくつもの“じゃんばら注連縄”の風習が残っているというのです。とはいえ、どこも高齢化で技術の継承が難しくなっているようで、何年も掛け変えられていない神社や、掛けることを止めてしまった神社も多いとのこと。
大正5年、近隣の神社が合併して創建された細越神社は、当初は朱塗りの鳥居から本殿まで200mほどの参道の両脇に桜が植えられ、信心深い氏子たちによって守られてきました。その後、鳥居の修復を重ねて平成元年に現在の石の鳥居が据えられたといいます。
実は細越神社の大年縄も長らく途絶えていたのだとか。昭和58年、当時厄年を迎える42歳になる人々の発案で大年縄奉納が復興し、さらに新しい石鳥居の完成を祝うため、土地のお年寄りに技術を学んで大年縄を奉納してからは「細越神社大年縄保存会」が発足し、毎年奉納するようになったのだそうです。
保存会の人々は、稲刈りが済み、収穫を祝う秋祭を終えた11月末から12月の初めに大年縄を作り始めます。細越神社の大年縄保存会には、現在プロ級といえる指導者が3人、その人たちが中心となって、20~30名がかりで大年縄とじゃんばら注連縄を丁寧に作り上げていくそうです。朝8時に集合し、昼食を挟んで作業をし、約2週間かけて直径10cmほどの大きさの七宝を延々つなげていく几帳面さは、津軽の人たちの矜持といえるのではないでしょうか。
「縄は神の依り代。毎年、新しい稲藁を準備して縄を綯うことが、五穀豊穣を祈念することにつながるんです」と木村さんが教えてくださいました。注連縄の縄綯いには、ある特徴があります。通常、縄を綯うのは右綯いなのですが、注連縄用の縄は左綯いになるのだそうです。比較的縄を綯うことに慣れた人でも、普段とは勝手が違うので、毎年のことといっても初めは戸惑うそうです。
全国にはさまざまな注連縄文化がありますが、一般的な注連縄は年縄を一本飾ることが多いようです。ところが津軽では、年縄は、縄を何本も組み合わせた大きな“胴組み”を作り、さらにそれを3つ束ねて大年縄に仕上げていくことが多いのです。先に“ぽってりとした唇のような”と評したのは、そのボリューム感によるものです。細越神社の大年縄の太さは直径約70㎝。その上、鳥居下に幅いっぱい垂れさがるじゃんばら注連縄。津軽地方が米どころで、潤沢な稲藁が準備できるからこそできる造形です。
完成した注連縄の総重量は、なんと約300㎏にもなるのだとか。年末、奉納の当日は朝から注連縄が町内を巡って細越神社に向かいますが、この注連縄は大年縄が全長約50m、じゃんばら注連縄は幅約4m、高さ2.7mもあり、人が抱えて歩ける代物ではありません。2tトラックに載せて町内を回るのだそうです。鳥居に掛けるのも容易なことではないはずです。年々降雪量が減っているとはいえ、津軽の厳しい冬のさなか、晴れても吹雪いても、町を挙げて決められた日に奉納し、五穀豊穣、家内安全などを祈念するというのですから、恐れ入ります。
細越神社のように、一度途絶えた大年縄やじゃんばら注連縄奉納を復活させたり、その技術の継承に力を入れている地域が津軽にはいくつもあるのだそうです。年縄作りを覚えている人が残っているうちに、なんとか技術を伝承したいと、20年ぶり、あるいは半世紀ぶりに奉納を復活させた神社もあるといいます。
「ところで、じゃんばら注連縄は、くぐっていいものなんですか?」。見た目以上にどっしりとして、邪も人も寄せ付けまい、として見えるので、木村さんに参拝の作法を訪ねてみました。
「もちろんです。大鳥居の前で一礼して、あの簾(すだれ)状になっているところを少し開けてくぐって、参道を進んで参拝すればいいんです。“じゃんばら”は“邪払”。厄払いの意味なんですから」。
この素晴らしい風習が残っているうちに、いろいろ見て回りたい。そう思っていると、ここからさほど遠くないところに大星神社という、立派なじゃんばら注連縄の掛かった神社があると教えていただき、そちらに向かいました。
この大星神社の注連縄もまた、細部に至るまで見事な造形でした。大年縄の上には三俵が飾られていました。朱塗りの鳥居に、注連縄が作り出す陰影が美しく、時間が経つのを忘れてしまいそうでした。
3.雪の中の“じゃんばら注連縄”
さて、細越神社と大星神社のじゃんばら注連縄と出会ったことで「じゃんばら注連縄をとことん見て回るぞ!」と気が大きくなった私は、SNSでアップされていたほかの神社の場所を必死で調べました。そして目星をつけていくつかの神社を巡りました。
……ところが、どうしたことかこれ以上、じゃんばら注連縄に出会うことはできなかったのです。調べ方が悪かったのか、それともSNSで“バズっ”たものの、やはり風前の灯火、(コロナ禍の影響もあって)今度こそついに廃れてしまったのでしょうか?
釈然としない思いを抱えたまま過ごしていたところ、年明けにようやく「常盤八幡宮で注連縄の架け替えをした」という記事を発見しました。つまり、「今、急いで行けば、その神社には注連縄がある!」。燻っていた心に火が点きました。「松が明けないうちに」と慌てて、再び津軽に向かうことにしました。
弘前に着くと、拍子抜けするほど雪がありませんでした。「年明けてからぜんぜん雪が降らなぐってねぇ」と地元のバスの運転手さんの声が沈んでいました。雪がないほうが楽でいいのでは?と思ったのですが、豊富な雪解け水が大地を潤し、農作物を育てる津軽の地では、雪が少ないことも気がかりなのだと教わりました。
バスの車窓に何気なく目を向けたときでした。少ないとはいえ白く染まった田んぼの中にぽつんと浮かぶ小島のような小さな神社に、夢にまで見た見事なじゃんばら注連縄が掛かっているではありませんか!途中下車したいのをぐっと堪えて明日に賭けることにしました。
その日は弘前で一泊し、翌日の早朝から神社を巡る予定を立てました。天気予報は雪。津軽の人にとっては少ない雪でも、慣れない道では歩くのも一苦労。まして車の運転は避けたいものです。本数の少ない奥羽本線と五能線をやりくりして、歩ける範囲でできるだけ多くの神社を回ろうと、一晩中ネットで調べました。
弘前に来るまでの間、ことあるごとにじゃんばら注連縄のありそうな神社について調べていたのですが、どうやら今でも津軽各地の、少なくとも50近い神社にじゃんばら注連縄があるようです。さて、どれぐらい見て回れるやら?
3-1.常盤八幡宮
深夜のうちに雪が降り始め、宿を出たときには昨日とは景色が一変していました。まずは新聞記事で見た常盤八幡宮に向かいます。弘前駅から奥羽本線で3駅、北常盤駅で下車しました。グーグルマップによれば、ここから常盤八幡宮までは約300m。どうやら周辺にも注連縄が掛けられた神社があるらしい。次の列車まで1時間半ほどあるので、それまでにあと2か所ぐらい歩いて回るつもりでした。うかつでした。さほど積もっていないとはいえ、横殴りの雪の中、雪道を行くのは簡単なことではありませんでした。
そうして、ようやく常盤八幡宮に辿り着きました。
雪の中に浮かび上がる朱の鳥居。そしてそこには、想像以上に緻密で独創的な稲藁の造形美がありました。
日の丸も、八幡宮の扁額も、稲藁で象ろうなんて誰が思いついたのでしょう⁉雪はどんどん強くなっていましたが、すっかり見とれてしばし佇んでしまいました。
3-2.熊野宮
しかし、ゆっくりしてはいられません。次の目的地は歩いて30分ほどの熊野宮。しかも雪道です。思ったようには進めませんでした。そのときにはすでに乗る予定だった電車のことは諦めました。
途中、横殴りの雪に視界を阻まれたこともあり、想定以上に時間がかかってようやく辿り着いた熊野宮。その鳥居に掛けられた大年縄の迫力たるや!重量感のある大年縄の上には、俵と酒樽を模した飾りがありました。神社によってさまざまな意匠があり、ますます興味が湧きます。
3-3.じゃんばら注連縄と“弥生画”のある風景
一本あとの電車に乗って、五能線で鶴田町へ。ここでも興味深い飾りに出会いました。
闇龗(くらおかみ)神社の鳥居には、精緻な七宝つなぎのじゃんばら注連縄の上に三俵、さらに大きな絵馬が掲げられていました。この絵馬、実はさまざまな五穀を張り付けて描かれた“弥生画”といわれるものだそうです。
弥生画は、闇龗神社と同じ鶴田町の鶴田八幡宮の二社でしか見られない独特の文化なのだとか。
列車の乗り継ぎがうまく行かず、結局今回の捜索はここで終了となりました。しかし、大収穫でした。今回初めて知ったのですが、多くのじゃんばら注連縄は年末から正月に飾り、節分の頃には外してしまうのだそうです。
4.雪深い土地だからこそ生まれた手仕事の美
残念ながらきっと暖かな時分に津軽を旅しても、じゃんばら注連縄に出くわすことはほとんどないでしょう。
真冬の津軽地方といえば、吹きすさぶ雪に閉ざされる毎日。時折晴れ間が覗いたかと思うと、またすぐに目も開けられないほどの吹雪に見舞われる……その繰り返しと言っても過言ではありません。そして“じゃんばら注連縄”はそのほとんどが、厳しい雪景色の中でしか出会うことが叶わない、幻の光景なのでした。
「はや十月の末にもなれば、空は雪を含んで陰鬱である。秋は早く過ぎる。續(つづ)くのは物憂い冬である。夜はいたく長い。空が晴れるのは春四月を待たねばならぬ。年の半は降りしきる雪で埋められる。それよりも生活が埋められると云ふ方がいゝ。此長い時間をどう暮らすか。自から野良の仕事は屋内の仕事に置きかへられる。洩れてくる暗い雪明りの下で、または細い燈明を頼りに、様々な手仕事が此時に始まる。之で時間を消すのである。否、仕事が時間を吸ひとるのである。時間が殘れば冬は呪ひである。だが手仕事がある。之を始めれば時計の針も時を刻まない。『こぎん』も雪國の産物である。時間を忘れた産物である。せわしない國は『こぎん』が育つ故郷ではない。何の攝理か、雪と手工藝とは血縁が深い。」(柳宗悦『〈こぎん〉の性質』1932年より)
こぎん刺しに限らず、あけびかご、じゃんばら注連縄、さらには津軽塗など、津軽には気が遠くなるような手仕事の美が、今なお数多く受け継がれています。神は細部に宿る、といいます。〔津軽の幾何学文様〕、その一切の手抜きを許さない美しさは、厳しい自然環境があったからこそ生まれたのかもしれません。冬の間、津軽の人々は祈りを籠めて、緻密な手仕事に精を出し続けているのでしょう。
撮影/牧田健太郎(廣田神社、細越神社、大星神社)、あきばこと(常盤八幡宮、熊野宮、闇龗神社、鶴田八幡宮)
▼施設データ
◆廣田神社
青森県青森市長島2-13-5
◆細越神社
青森県青森市細越栄山
◆大星神社
青森県青森市問屋町1‐18
◆常盤八幡宮
青森県南津軽郡藤崎町常盤
◆熊野宮(水木城跡)
青森県南津軽郡藤崎町水木地内
◆闇龗神社
青森県北津軽郡鶴田町胡桃舘北田
◆鶴田八幡宮
青森県北津軽郡鶴田町鶴田生松53