加齢に伴い、「見えにくさ」を実感する方々が増えていきます。しかし見えにくさを加齢現象と決めつけ、放置するのは危険です。見えにくさの放置がどんな事態を招きうるのか。また、見えにくさの原因には何があるのか。年齢のせいでは片付けきれない「見えにくさ」について、メディアでお馴染みの眼科専門医・平松類医師が解説します。
「目が見えにくくなる」のは仕方がない?
年齢を重ねると見えなくなってくる。これを当然と思ってはいないでしょうか?
筆者は100歳を超えたご高齢の方を何人も見てきました。100歳を超えれば視力が低下するかというと、1.0以上出ている方が沢山いるのです。ただし、その1.0以上出ている方というのは適切にケアをしていた方です。歳を取ったら視力が下がるのが当たり前ではなく、対処をすれば人生100年時代、一生見えて生活することができます。
ところが、若い方は「歳を取ったら見えなくてもいい」といいます。しかし、歳を重ねていくと視力の重要性は増していくばかりです。なぜならば、若い頃と比較して活動性が低下するからです。
それまでは出かけたり、友達と会ったりなどの趣味や楽しみがありました。それが加齢によって足腰が弱くなり、外に行くのも徐々に億劫になる。結果として、趣味が雑誌やテレビなどの「視覚を使うこと」に集中していきます。
見えにくさがもたらすのは、生活の質の低下だけではありません。見えないことによる認知機能の低下もあります。例えば白内障がある方は、そうでない方と比較して認知症になりやすいというデータがあります。これはなぜでしょうか?
人間は目でモノを見て、それを脳で判断しています。視覚情報というのは嗅覚や触覚と比較して情報量が多いです。その情報をシャットアウトしてしまえば、脳は扱う情報量が減ってしまいます。毎日脳を使おうと脳トレをしても、普段から入ってくる情報量が少なくなれば脳を十分に使うことはできなくなります。いわば「逆脳トレ」をしているような状態です。
さらに、目が見えないということは転びやすくなるということでもあります。階段を踏み外す、段差に気がつかずつまずいてしまうということが起こります。若いときの骨折と違い、高齢になってからの骨折は治りも悪く、寝たきりの原因となってしまう場合もあります。
以上のように、たかが視力と考えるのではなくて、認知症・寝たきりの原因となりうることを知ってほしいのです。
歳のせいと思いきや、「他の病気」が隠れていることも
歳を重ねるにつれて見えにくくなった。その場合は「ただ、歳のせい」「白内障かもな」「老眼だろう」というように何となく知っている病名を頭に浮かべては、これらだろうと単純に見当をつけがちです。確かに老眼であれば早急な治療の必要はありません。白内障も50代で50%、80代以上で99.9%がなるとも言われており、生き続けていれば必ず起きる病気です。だからこそ「放っておけばいい」と考えてはいけません。
白内障なら、多少手遅れになっても治療すれば治すことができます。しかし緑内障となると話は別です。緑内障は日本人にとって中途失明原因「第1位」の病気です。40歳以上だと20人に1人、70歳以上だと10人に1人が緑内障にかかっています。
緑内障を治療するといっても、欠けてしまった視野を元に戻すことはできません。できるのは「悪化を食い止める」ということだけなのです。だからこそ早期に発見し、早期に治療しなければ、見えなくなって一生を過ごすことになります。早めに見つかりさえすれば、多くの方が目薬だけで悪化を予防することができます。
その他にも、加齢黄斑変性(かれいおうはんへんせい)という病気もあります。この病気も早期に発見できれば注射などの治療で失明を防げますが、発見が遅れると失明してしまう病気です。
以上のように、早期発見すれば対応できるのに「どうせ歳のせいだろう」と放置した結果、末期に至ってしまう方がいるのは悲しいことです。
老眼の見えにくさ、他の病気による見えにくさの違い
「歳のせいで目が見えない」というと、一番に思いつくのは老眼でしょう。老眼は一般的に45歳程度から始まると言われており、70歳代になると、もう進行はしなくなります。
「目が見えない」=「老眼」と思ってしまう方もいますが、老眼による見えにくさには特徴があります。それは、「手元は見えない」けれども「遠くは見える」ということです。
老眼とは目のピント調節能力の低下です。若いときは遠くから近くまでメガネなしで見えた。はたまた、若いときは遠くを見る用のメガネをかけていたけれど、そのメガネを外すことなく手元も見ていた…というのが、もともとの状態です。
人間は、遠くに合っているピントを目の力を使って調節し、手元を見ようとします。具体的には、目の中にある毛様体筋(もうようたいきん)という筋肉が、目の中にある水晶体というレンズを動かします。
水晶体というレンズは、遠くを見るときは薄く、手元を見るときは厚くなります。それが歳を取ることで、手元を見るときに「毛様体筋によって圧力をかけ、レンズを厚くする」という能力が衰えるのが老眼です。そのため、遠くを見るときには不自由せず見えているものなのです。
老眼には以上のような特徴があります。それにもかかわらず、遠くも近くもぼんやり見にくくなってきた状態を老眼だと勘違いしてしまう方が少なくありません。あくまで老眼は「あるポイントは見える」ということが大切なので、その他の目の病気とは分けて考えていただければと思います。
では老眼になった場合、メガネを使うのは良いのでしょうか? 早めにメガネを使ってしまうとメガネに頼ってしまうので老眼が進む、という話も聞いたことがあるでしょう。一方で、早めに使ったほうが目にかかる負担を抑えられる気もします。老眼鏡は早めにかけるべきか、遅めにかけるべきか、どちらが良いのでしょうか?
老眼鏡は早めに使うべき?ギリギリまで我慢するべき?
結論から言うと、老眼鏡は早めに使ったほうがいいです。では、「早めに使ったから」「遅めに使ったから」といって老眼の進行に違いがあるかというと、差はほとんどありません。よって老眼鏡を使ううえで気にかけるべきは、進行状況の良し悪しではなくて、早めにメガネをかけることは「生活上のメリットが大きい」ということなのです。
老眼鏡には、手元を見るためだけに使う「かけ外しをするタイプ」と、ずっとかけたまま生活ができる「遠近両用眼鏡」というのがあります。かけ外しするタイプの老眼鏡であれば問題ないのですが、遠近両用眼鏡だと慣れが必要です。
もしあなたが頑張ってメガネをかけずにいると、そのまま年齢を重ねてしまい、新しいことになれるのが難しくなります。また、老眼が進むために遠近両用眼鏡の度数が強くなってしまい、老眼鏡を使うことが難しくなってしまいます。
一方で、早めに老眼鏡として遠近両用眼鏡を使い始めれば、若くして使う分慣れやすいですし、度数も強くないというメリットがあります。さらには、早めに老眼鏡を使っているほうが眼精疲労も起きにくいというメリットもあります。眼精疲労は頭痛や肩こりなどを引き起こします。
「でも、友人がギリギリまで老眼鏡をかけずに頑張っていたら、老眼が進まなかった」と疑問に思う方もいるでしょう。このように「老眼鏡をかけなかったから老眼が進まなかった」と思い込んでしまう背景には、40代などの早い段階で老眼鏡を作れば徐々に度数が進むので、老眼鏡を何度か新調しなければいけなくなることが関係します。
老眼鏡を新調することで、老眼の進行を実感することになるのです。一方、ギリギリまで老眼鏡をかけずにいる場合、老眼が進みきってからメガネを買うため、老眼鏡を新調する必要性はすぐには生じません。このために、「老眼の進行が遅い」という勘違いが起こるのです。
老眼鏡を作るなら、まずは「眼科」へ
メガネを作ろうと思ったら、メガネ屋さんに直行すれば良いのでしょうか?それはおすすめしません。老眼鏡を作るというのは、あなたの目を見直すうえでいい機会です。メガネ屋さんに行ってしまうと緑内障・白内障などその他の病気を見逃してしまいます。メガネ屋さんは目の診断はできません。ですので、まずは眼科に行き、チェックを受けることが必要です。そのうえで処方箋を持つなりして、メガネ屋さんに行くほうがいいのです。
ところで、老眼鏡の他にも「●●ルーペ」と呼ばれるような拡大鏡もありますよね。拡大鏡と老眼鏡にどのような違いがあるのかご存じでしょうか?手元を見るときは「老眼鏡」でも「ルーペ」でも対応できます。この2つは手元が見えるという点では一緒です。しかし「見えるようにする」うえでのメカニズムが違います。
老眼鏡は手元に度数・ピントがあって、それらを用いて見やすくする道具です。そのためスッキリと見えます。
一方、拡大鏡は度数・ピントがないので、ぼやけた状態で文字を大きくします。ぼやけていても、拡大された分、文字などの判別はできるようになります。この特性を利用して、拡大鏡を老眼鏡のように使う方もいるのですが、拡大鏡はあくまで「拡大しているだけ」なので、ぼやけて見え、疲れやすいというデメリットがあります。
ですので、まず作るなら老眼鏡にしましょう。老眼鏡をかけたうえで、さらに良く見たいという場合に拡大鏡を利用するという順番のほうが、目にかかる負担は少なくなります。
目を適切にケアして「一生見える人生」を
冒頭でも述べたように、しっかりと目のケアをしていれば、あなたは一生“見える状態”で過ごすことができます。一方、目の寿命は70歳ともいわれるように、適切なケアを怠れば見えない人生を送ることもあり得るのです。本稿のお話を胸にとめておいていただければ幸いです。