またまた少し寄り道をして、青森県の東側へ足を伸ばしてみましょう。
十和田市の伝統工芸品に「きみがらスリッパ」があります。天然素材を使ったナチュラルさときれいに編み上げられた変わり市松文様のモダンな印象を併せ持つスリッパです。
実はこのスリッパ、もともとは廃物利用から始まったものだそうで……。
道の駅とわだ とわだぴあの「匠工房」で、「十和田きみがらスリッパ生産組合」組合長の宮本桂子さんがスリッパ制作の実演をしてくださるというので、お会いしてきました。
1.南部地方は“馬の名産地”
青森市から八甲田山を越えると、そこは南部地方。奥入瀬渓流や十和田湖を擁する十和田市もこの地域に含まれます。
南部地方は古くから名馬の産地として知られた場所です。ヤマセの影響で稲作に適さない土地だったこともあり、江戸時代には米の代わりに馬を年貢として納めていたそうです。
現在の十和田市中心部はその昔、荒野が広がる土地でした。生えているのは三本の木のみ、という荒涼たる地だったため「三本木」と呼ばれていたほどだそうです。この土地の開拓に着手したのは、紙幣の肖像にもなった新渡戸稲造の祖父で、盛岡藩士だった新渡戸傳でした。苦労の末、奥入瀬川から水路を引いて水田開発を行い、幕末の1860年秋にはようやく稲が収穫できるまでになったのですが、その後もヤマセによる冷害などが続いたことと、明治半ばに陸軍省が三本木に軍馬補充部を設置したこともあり、次第に馬の育成が産業の中心となりました。昭和10年には軍馬の生産頭数が全国一位となり、三本木は国内三大馬産地のひとつとして日本の馬産業を支えた土地だったのです。
2.“きみ(=とうもろこし)”の“から(=皮)”を活用する?
馬の飼料としてとうもろこしの一種である「デントコーン」の栽培も広く行われていました。一般的に食用とされる「スイートコーン」が丈1.5mほどの高さになるのに対し、デントコーンは2.5~3mの高さにまで成長します。また、スイートコーンと比べるとほとんど味がしないため、主に牛や馬の飼料として使われるのだそうです(コーンスターチの原料などにも利用されています)。
ちなみに、青森の言葉で“きみ”とはとうもろこしのこと。余談ですが、岩木山麓の嶽(だけ)高原では“嶽きみ”という、それはそれは甘くておいしいブランドとうもろこしがつくられています。
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ところで、人間ならば1度に食べられるとうもろこしはせいぜい2~3本といったところでしょうが、馬や牛に食べさせるとなるとその量は膨大なものになります。ましてやデントコーンは丈が2.5~3mの高さにまで育つため、飼料になる可食部を収穫した後には大量の皮が残ります。デントコーンの皮は、スイートコーンの皮よりも長いそうです。
第二次世界大戦後の1947年、それまで廃棄するしかなかったこのデントコーンの皮(青森の言葉で“きみがら”)を使って、冬場の農閑期の主婦たちの副業に役立てないかと、青森県と三本木婦人会の試行錯誤が始まりました。
現・組合長の宮本さんによれば「もともと、藁で作った草鞋(わらじ)や、つま先を覆った“ツマゴ”と呼ばれる履き物があって、そこから閃いたらしいんです」。
婦人会の人々は、雪に閉ざされる冬場に集まっては研究に励みました。10年ほどかけて、きみがらを材料とした現在の“スリッパ”の形が生まれ、ようやく商品化されたのだそうです。1963年に「十和田きみがらスリッパ生産組合」が設立され、1998年には十和田市の伝統工芸品に指定されています。
戦後、陸軍省が廃止され軍馬補充部も解体されました。馬産業が衰退、また輸入飼料が増えたため、現在では飼料用デントコーンの生産はほとんどされていないそうです。そのため「十和田きみがらスリッパ生産組合」では、きみがらスリッパ用に毎年デントコーンを栽培し、きみがらスリッパの制作を続けています。
3.そもそも“スリッパ”って?
“スリッパ”はどこで生まれたものなのかご存知ですか?
実はこれ、日本が発祥なのです。
“slipper”は英語で、足をするりと入れて簡単に履けるタイプの履き物のことを指します。この形状のものは西洋では15世紀頃からありましたが、日本のように靴を脱いで、室内で履き替えるタイプのものはほとんど見かけられませんでした。
幕末に鎖国政策を放棄した日本には、それ以降多くの西洋人が渡来しました。彼らは室内でも靴を脱ぐ習慣がありません。寺社にも畳の上にも土足で上がろうとするため、靴の上からでも履ける室内履きとして考案されたのが“スリッパ”の原型とされています。
4.“きみがらスリッパ”ができるまで
“きみがらスリッパ”ができるまでには、想像以上に時間がかかります。前年に収穫した種を5月半ばに植え、10月に成長したデントコーンの皮を一枚ずつ丁寧に剥いで、きれいな皮だけを選り分け、約2週間かけて乾燥させます。その後、11月頃からスリッパのパーツごとに厚さや長さを選別し、あるものは染色して、細く裂いて、ようやく編み始めることができるのです。
そもそも暑い時季、特に梅雨の頃には編んだところが赤茶けてダメになってしまうそうで、寒い時季の作業が適しているのだそうです。
編むときには乾いた皮を湯に浸して湿らせ、繊維を柔らかくします。とうもろこしの皮は真っすぐだったり曲がったり個体差があり、それを立体に編んでいくのは至難の業なのだとか。
「足の甲にフィットさせるように成型しなくてはならないし、左右同じサイズに揃えるのは結構大変なんですよ。片方作って、もう片方同じように作ったつもりが、5㎜とかずれてしまうことがあって(笑)」
“屋根”と呼ばれる、緩やかにラウンドしたドーム型にきっちり丁寧に編み込まれた変わり市松文様は、素朴だけれどもモダンに映ります。
市松柄は江戸時代に歌舞伎役者の佐野川市松がはいた袴の柄に使われて大流行しました。古くは“石畳文様”などと呼ばれ、古墳から出土した埴輪にもみられます。また海外ではチェック柄と呼ばれており、古今東西、愛されてきた柄です。東京2020オリンピック・パラリンピックには市松柄をアレンジしたエンブレムが使われました。「鬼滅の刃」の主人公、炭治郎が着る羽織のモチーフとしてもおなじみですね。
「きみがらに色を入れるようになったのは最近ですね。作ってみないとどういう風になるかわからなかったんですけれども、次第にカラフルなものもつくられるようになりました」。
技術を習得するには時間がかかり、早い人でも1日に1足作るのがやっと。熟練した人が1足作るのに2~3日かかるのが普通だそうです。「自然のものを使い、すべて手編みなので、たくさん欲しいと言われてもなかなかできないんですよ」。年間生産量は200足程度、という非常に希少価値の高い工芸品なのです。
現在、生産組合の組合員は17名(女性15人、男性2人。2022年現在)。実際に製品が作れる人はわずか6~7人とのこと。なんとか後継者を育成したいと、十和田きみがらスリッパ生産組合では10年程前から地元の三本木農業恵拓高等学校(旧・三本木農業高等学校)で、きみがらスリッパ制作の指導に当たっているそうです。
5.きみがらスリッパの軽さに驚く
きみがらスリッパを履かせていただきました。
まずその軽さに驚きました。きみがらスリッパは1足わずか120gほどの重さしかないのです。120gといえば、皮を剥いたバナナの果肉1本分の重さです。優しくつま先を包み込んでくれるので、履いているのを忘れそうです。冬は暖かく、夏は通気性があって涼しいので、通年快適に使えます。
おしゃれで使い勝手もいいので、ぜひとも手に入れたかったのですが、前述のとおり作れる数に限りがあり、人気商品のため、ここ数年では入手するのが非常に困難になっています。
ふるさと納税の返礼品になっていますので、手に入れたい方はこれを活用するのが確実かもしれません。
なお、道の駅とわだ とわだぴあの「匠工房」では毎月第3日曜日に「きみがらスリッパ手作り体験」を開催しています。
撮影=牧田健太郎(クレジット表記のあるものを除く)
▼施設データ
◆きみがらスリッパ手作り体験の問い合わせ・申し込み先:
十和田きみがらスリッパ生産組合(事務局:パワフルジャパン十和田)
℡0176-28-3611(※1週間前の事前予約が必要)
青森県十和田市大字伝法寺字平窪37-2
体験日時:毎月第3日曜日 10時~15時(定員2名)
料金:3,500円(材料費含む)
※制作実演は毎月第2日曜日 10時~15時
LS-946283