キラキラ降る光。さやさやと風が吹き抜け、木々の梢を揺らします。ホトトギスのさえずりがうるさいくらい。小型のソロテントの側でキャンプチェアに深くもたれ、ウトウトしていると、時折、静かな野原をつんざくように雉が鳴き、昼寝の夢を邪魔されるのでした。「コーヒーでも淹れるか。」キャンプ用ガスバーナーに火をつけ、湯を沸かし、愛用のミルでコーヒー豆を挽き、自分だけのコーヒータイム。
ああ、こんな日がいつか来ることを、心の底から待ちわびて、そして足掻き続けた日々であったなあ。
いつもひとりで家に篭り、本を読んだり、絵を描くのが好き。引っ込み思案だった私を心配して、両親は私をガールスカウトに入団させました。元のインドア派の性格は変わらないものの、ガールスカウトの活動のひとつである「野営訓練」では、大自然に包まれ、全て自分の力でロープを張り、テントを立て、薪を割り、水を汲み、火を熾してご飯を作る手応えに、いつの間にかすっかり魅了されていました。
1.アメリカとニュージーランドのアウトドア経験が原点
高校生の頃、アメリカとニュージーランドで経験したアウトドア体験が、今でも私の人生を支えてくれています。
「ハーイ、ミナコ! レッツゴー・トゥー・キャンプ!」高校1年の夏休み、ホームステイ先のアメリカ中西部・ユタ州で、仲良くなった近所のイケメンくんが、友達同士でキャンプに行くからおいでよと、誘いに来てくれました。
アメリカでは16歳で車の運転免許が取れますから、キャンプ道具を満載したピックアップトラックを先頭に、仲間を乗せたワゴン車、2シーターの真っ赤なスポーツカーも。高速道路をぶっ飛ばし、数時間のドライブの末に着いたのは、グランドキャニオンの上流、コロラド川を堰き止めてできたパウエル湖畔のキャンプ場でした。
車の荷台からは、出るわ出るわ、広くてカラフルなテント。アルミの折りたたみチェアとテーブルのセット。コットと呼ばれる組立式簡易ベッド。なんという差か? ガールスカウトで経験していた、カビ臭い木綿の三角テントにゴザを敷いて寝たのとは大違いです!
馬鹿でかいクーラーボックスからは、ハンバーガーに分厚いステーキ肉にポテトにコーラ(未成年ですから)が山盛り。湖で泳ぎ、屈託なく笑うみんながとても眩しく目に映りました。
空には沈みゆく夕日と、それを追うように三日月が輝き、西部開拓時代さながらに、焚き火で炙った骨つき肉にかぶりつく。男の子も女の子も関係なく、みんなで準備して楽しんで片付けて。気の置けない仲間を集って気ままにハンドルを握り、全米のそこかしこに整備されたキャンプ場で過ごす「オートキャンプ」。その自由さにすっかり魅了されたのです。
2.ガールスカウトの世界キャンプ大会「ジャンボリー」の日本代表に選出
高校2年の冬は、4年に1度開かれるガールスカウトの世界キャンプ大会「ジャンボリー」の日本代表に選ばれ、開催国のニュージーランドへ。羊を追い出した広大な牧場に世界各国の代表が集まり、共に2週間過ごしました。片言の英会話でも、同じテントで一緒に暮らせばすっかり打ち解けます。今まで地図の上でしか知らなかった国の子が目の前にいる。しかも笑顔で喋ってる! そんな地球の裏側から来た子らと身振り手振りで想いをぶつけ合う。女性としてこの先職業を持つこと、結婚や子どもを持つことについての夢や希望。たどたどしく、でもしっかりと自身の考えを述べる仲間たちに触れて思ったこと。それは、女性とはこうあれかしという世間の指標に従わずとも、自身の考えで、自分らしく生きていっていいんだという確信でした。
大好きな絵を極めたいと、美大に進学。基本、絵も自分ひとりの心のうちを、持てる力で表現する世界。モチーフを求めて、スケッチブックを片手にバックパックを担ぎ、国内外を1人旅して歩きました。
3.子育て中はファミリーキャンプ
子育てに追われていた20数年前は、ひとりで行動する時間とて少なく、家族や他の誰かのために過ごすことの方がはるかに多かったように思います。家族一緒にファミリーキャンプは続けていましたが、それでも、自力で住まい(テント)を立て、火を熾し、大空を渡る風に吹かれて過ごす開放感、そして何より自分の力量を頼りに決断し、行動する上で得られる深い自己肯定感・自己効力感が忘れられずにいました。
ほんの一瞬でいいから、心をメンテナンスする自分だけの時間が欲しい。そうだ。子どもの頃、深い感動と喜びを味わった大自然の中で過ごそう。学生時代のスケッチ旅のように、またひとりでアウトドアに出かければいい。ガールスカウトの訓練で、荷物のパッキングからロープワーク、救急法、観天望気(空や雲や風の様子をみて天候を予測する技術)だってできる。いつの日か、ソロキャンプに行こう。
その種火は消えることなく心の底にあり続けました。子どものおむつを替えながら、気ままにキャンプに行ける日が来ることを願いつつ、ソロキャンプ用の小型ガスバーナーやランタンなどの小物を、ひとつ、またひとつと、密かに買い集めては眺める日々でした。
3.セカンドライフとしてのソロキャンプデビュー
子どもが大学生になり、巣立っていきました。夫も長年のサラリーマン生活の中で見つけた夢に向かって始動した様子。今こそ長年の憧れ、おひとり様の時間を取り戻すときです。自身の収入から、今月はソロテント、来月はキャンプチェア…と、少しずつ大物を揃えていきました。そしてとうとう50代の半ばに、念願のソロキャンプ再デビューとなりました。
お気に入りの道具を担いで、自分で決めたキャンプ場へ。誰にはばかることなく、好きな時間に好きなものを食べ、美しい夕焼けを眺めたあとのお楽しみは、小さく熾す焚き火。女性たちがかまどの火の前で、家族のために連綿とご飯を炊き続けてきた長い長い歴史を思うとき。静かに回る星座の下でただ1人、ちろちろと燃える炎をのんびり眺めていることに深い感慨を覚えました。
幼い頃からの孤独好き、そして美しい自然に抱かれてもたらされる深い癒し。それらの集大成がソロキャンプという形で結実し、私のセカンドライフがスタートしました。ソロキャンプは、○○さんの奥さん、○○ちゃんのママ、○○の仕事をしている人…そんな属性から離れ、「素の私」に還れる場です。調理やゴミ捨てひとつとっても、これまで積み重ねてきたその人個人の趣向や歴史が全てソロキャンプの場に立ち現れるのが、興味深くもあり、恐ろしくもありますね。
ここ1〜2年はシニア女性でもソロキャンプをする方がぐっと増えてきました。近い世代の女性ソロキャンパーを見かけると、おお、同志よ! と、心の中でエールを送りたくなります。キャンプ道具にも個性が輝き、カラフルなフラッグを掲げたテントを見れば、おしゃれ好きのマダムなのかも、道具を大胆に広げたキャンプサイトを目にすれば、きっとおおらかなママなのかもしれないと想像したりします。機能性重視の無骨なキャンプ道具を無造作に並べた私のキャンプサイトは、いったいどんな風に受け止められているのかしら…。
おそらく皆さんも、日常の何かから逃れるように、そして、本来の自分自身を取り戻すために、ひとりこの地でテントを広げているように思えてならないのです。
最近、ソロテントをもうひとつ購入しました。定年を迎え、ある程度時間の自由が利くようになった夫用です。結婚以来ダブルベッドを使用していましたが、思うところあってシングルベッド2つに分かれて休むことにしました。これが本当に快適極まる寝心地で、なんでもっと早くこうしなかったかと改めて思ったことです。まてよ、ひょっとして、キャンプで休むときも一緒のテントじゃなくていいんじゃない?
夫婦2人、小さなソロテントを2つクルマに積んでキャンプ場へ。食事と焚き火を楽しんだら、左右に分かれて「おやすみなさい!」自分のテントに入ったあとは、各自の自由時間。寝る時間も自由です。このソロ×ソロの「ソロデュオキャンプ」が、最近の我が家のトレンドです。
夫婦2人で和む団らんタイムと、プライベートは別々で過ごす適度な距離感。紆余曲折の末たどり着いた「ソロキャンプ」の醍醐味が夫にも浸透しつつあります。そのうちお互い別々に出かけてキャンプ場で落ち合う、もっと自由なソロデュオキャンプを楽しめる日が来るかもしれません。