発見!くらしの厳選記事

まっすぐに向き合うことで、育む絆。奥田瑛二さん流「孫育て」
更新日
公開日

まっすぐに向き合うことで、育む絆。奥田瑛二さん流「孫育て」

73歳となった現在も第一線で活躍する俳優・映画監督の奥田瑛二さん。近年は、娘の安藤桃子さん(映画監督)と、安藤サクラさん(俳優)のお子さんを見守る「良きじいじ」としての話題も多くなりました。妻の安藤和津さん(エッセイスト・コメンテーター)からは「じいじとしては満点」と太鼓判を押されています。

ひとたび取材となれば、お孫さんとご自身の会話をまるで劇中劇のように、声色、表情までお孫さんに似せて再現され、スタッフが大笑いしてしまうことも。楽しい奥田さんのお話の中には、子どもと接するにあたって揺るがない人生哲学も垣間見られます。これからじいじ・ばあばデビューする読者に向け、奥田さんならではの「孫育てのヒント」を伺いました。

奥田瑛二さん

1950年、愛知県生まれ。俳優・映画監督。1976年に俳優デビュー後、1979年に映画『もっとしなやかにもっとしたたかに』で初主演する。1994年『棒の哀しみ』ではキネマ旬報、ブルーリボン賞をはじめとする8つの主演男優賞を受賞。2001年、『少女~an adolescent』で監督デビュー。2006年には長年敬愛する緒形拳さんを主演に迎えた『長い散歩』で、第30回モントリオール世界映画祭でグランプリを含む3つの賞を受賞した。近年の出演作に照屋年之監督の主演映画『洗骨』など。近著は、夏井いつきさんとの共著『よもだ俳人子規の艷』(朝日新書)。

子育てをするときとおなじ熱量で、孫育てに向き合う

――奥田さんご夫妻は、安藤桃子さん、安藤サクラさんのお孫さんの面倒をよく見ていらっしゃると聞きます。実際にどのような交流をされているのか、教えてください。

孫は8歳と6歳で、2人とも女の子です。桃子もサクラも忙しいので、孫はよく我が家に泊まっています。

特に桃子は高知に移住したので、彼女の娘は高知から羽田まで、1人で飛行機に乗ってやって来ることもあります。航空会社にジュニアパイロットというサービスがあって、出発空港から到着空港まで、子ども1人でも安全に旅ができるように地上係員の方やCAさんたちがいろいろと面倒を見てくださるんです。

あれは子どもの自立心がものすごく育つんですよ。彼女はジュニアパイロットでの行き来を始めて3年ぐらい経つので、随分慣れてきました。でも「慣れグセはよくないから、毎回ちゃんと緊張してね」と言い聞かせています。

今では高知から1人でやって来る孫を和津さんと2人で羽田空港まで迎えに行くことも生活の一部になりましたが、こういう状況になるまでに夫婦で決めたことがあったんです。

子育てをするときとおなじ熱量で、孫育てに向き合う

――何を決めたのですか?

ウチは子どもが2人とも娘なので、彼女たちには妊婦として過ごす大変な時間があるんですよね。さらに、産まれたら本人たちはもっと忙しくなる。だから、孫ができるとわかった時に和津さんと夫婦で覚悟を決めたんです。世間には「孫は可愛いけれど、ずっといられると疲れるししんどい」と言う人がいるけれど、ウチは「孫がたまに来ようが、長期で我が家に預かろうが、いちいち音を上げて、愚痴をこぼしたりするのはやめようね」って。

桃子とサクラを育てた時と同じエネルギーで孫たちと向かい合おうと。二世帯住宅などで一緒に暮らさなくても、娘たちも仕事の都合があるので、孫を長期で預かることも出てくるわけです。なので、「娘2人にとって、我が家が一番信頼できる。孫を預けてもいちいち心配しなくても済むような、そんなじいじとばあばの家にしようね」って、今でも和津さんと合言葉のように言い合っています。

そのためには孫と接するにあたって、「いい子いい子」はやめようと。孫が可愛い、愛しているという感情は黙っていても溢れ出てくるわけだから、猫っ可愛がりはしない。僕もちゃんと叱ります。「それはしちゃダメだ!ダメだぞ、そういうことをしたら」って。その代わり、孫が頼ってきたら、全力でサポートをする。そのあたりのメリハリも、桃子とサクラを育てていた頃と変わりません。

孫と2人の大冒険で、絆を深める

――日常的にお孫さんと接しているとのことですが、一番印象的だった関わりはどのようなことでしょうか?

2020年3月末から始まった1回目の緊急事態宣言のときに、桃子の家で約70日間、桃子と孫と和津さんと4人暮らしをしたことです。高知で映画のロケハンをしていて、桃子と孫とご飯を食べていたら、東京のスタッフから「東京に緊急事態宣言が発出されるかもしれないから、帰ってこないでください!」と言われて。行きがかり上、孫とも同居することになったんです。

コロナで仕事が流れてしまったので、必然的に孫と過ごす時間が濃密になって。それで桃子の自転車に孫を乗せて、2人きりの行く宛てのないドライブを始めました。1日がかりなので、水筒とおにぎりとおやつを準備して、おかずの卵焼きも焼いて。

四国は海も山も多いから、長いトンネルを抜けたところの海を一応の目的地にしました。そこで自転車を止めて、孫と2人きりで海を見ながらおにぎりを食べたりしてね。「あの岩のところに多分カニがいるぞ」と言って、岩をどかしてみると本当にたくさんいる。孫は「うわ〜!カニさんだ〜」って喜ぶけど、怖くてカニを触れないわけ。でも、「ハサミの近くを持つと指を挟まれるけど、甲羅の部分を持てば大丈夫」と教えれば、ちゃんと小さい子でもカニを素手で触れるようになるんだよね。

帰りは、行きと違う海岸沿いに自転車を走らせて。孫が「じいじ、道をよく知ってるね」と言うから、「いや、じいじも初めて来たんだけど。このまま海岸に沿っていくと、小さな漁港があるはず。そこに寄って帰ろう」って。家への帰り方についても、孫にちゃんと許可を取ってね。

地図に頼らない探検めいた小旅行を2〜3回やると、孫との絆が強くなる。そうすると、寝る時に「じいじとばあば、今日はどっちと寝る?」って聞くと、「じいじと寝る!」なんて言うようになった。

孫と対等な目線で向き合うのが、奥田流

――娘である桃子さんやサクラさんとも、探検旅をやられていたのですか?

娘たちが小さい頃も、毎年秋冬に冒険の旅をしていましたよ。僕は愛知県と岐阜県の山境にある自然の豊かなところで育ったこともあって、地図がなくても地形である程度判断ができます。あと、ボーイスカウトの指導員をやっていたことがあって、レスキューの資格も持っているんです。それを活かして、姉の子と一緒に、地元の山に分け入っていました。

全力で探検して、全力で遊ぶ。そして、無事に家に帰る経験を何度も繰り返すと、子どもは人生の早いうちに自分のアイデンティティに目覚めます。思春期に入れば、遅かれ早かれ自分は何者かという存在証明にぶち当たりますから。娘たちの未来予想図を頭の中で描きながら、探検で考えるクセをつけさせていましたね。

――奥田さんのようにボーイスカウトの経験がなくても、お孫さんと目的を決めずに地図に頼らない旅をするのはアリかもしれませんね。

もう、めちゃくちゃアリですよ。在来線で旅をするといいんですよ。向かい合っているボックス席があるでしょう?そのシートに座って、降りたことのない駅で降りるだけだって、充分冒険ですから。知らない駅に降りたら、駅の観光名所を見て、わからなければ地元の人に聞く。たいてい、その土地に住んでいる人は教えてくれますから。

昼ごはんは何でもいいんだけど、僕の場合は孫に媚びずに蕎麦屋。昼から酒が飲みたいから、孫にも「おう、お前も酒のつまみにつき合え」って言って(笑)。普段食べないようなだし巻き卵とか板わさを食べさせて。背徳感があるものだから、孫も悪い顔をしてニヤニヤ見てくるの(笑)。

思い起こせば、娘2人が小さかった時も、お寿司屋さんに連れていってカウンターに座らせていましたね。「ああ、奥田さん」なんてお客さんから声をかけられて挨拶していたら、ウチの娘たち、よそ見している間に僕のつまみを全部食べちゃったことがあって。その時も孫と一緒で、悪い顔をして笑っていましたよ。ウチの娘も孫も、僕のつまみで順調に育ってます(笑)。

孫と対等な目線で向き合うのが、奥田流

孫と対等な目線で向き合うのが、奥田流

――猫っ可愛がりはしない、2人きりで旅をする、子どもと全力で遊ぶ。それ以外で、お孫さんと接している中で、意識していることはありますか?

彼女たちはまだ子どもだけど、基本的に大人と同じように接する。僕の場合は、僕が子どもと対等になりすぎちゃうのかもしれないですけど。あとは、子どもが相手だとしても、絶対に知ったかぶりはしない。自分が間違っていたら、ちゃんと謝る。

上の孫とは、よく音楽のことで言い合いをするんです。今の子って、スマートフォンを使いこなしているから、サブスクリプションのサービスとかですぐ音楽を聴くでしょう?僕が好きな昔の曲をかけていると、「BTSがいい」とか「あいみょんがいい」とか言うわけですよ。あいみょんは僕も好きだから、「歌えるのか?」って驚いていると、男女の恋愛模様なんてわからないはずの子どもなのに、7〜8歳でも全部歌えるんです。その他で驚いたのが、Adoの『うっせえわ』。あんなに早口の曲なのに、あの情報量の歌詞がきちんと聞き取れている。もう、ビックリしますよね。

――今のお子さんは、情報処理能力が高いのかもしれませんね。

そうなんですよ。それから、桃子やサクラにも教えていたのは、「嫌なことから絶対に逃げない」ということ。人生、避けては通れない嫌なことは必ず起きる。そういう時に嫌なことを後回しにしないエネルギーを持つこと、勇気を持つことが大事だと伝えています。嫌なことから手をつけて、それが無事に片づくと、何歳になっても心が洗われたような気持ちになるんです。

あとこれは、娘や孫以外の若い子たちにも伝えているのですが、「人に嫌われてもいいから、本当に嫌で許せないことは、人にちゃんと伝えた方がいいぞ」ということ。本心を言わないで、作り笑いで自分の気持ちを誤魔化していると、それが習慣になって、ずっと作り笑いをする人になっちゃう。

そして本当に面白いことに対して笑わずに、作り笑いを続けていると、本気で自分が面白いと思えることに気づかない人間になっちゃうぞって。些細なことだけど、習慣が人の心を作っていくから、結構大事ですよね。

孫と対等な目線で向き合うのが、奥田流

――最後に、お孫さんを育てるにあたって、娘さんを育てていた時と違うと感じることはありますか?

やっぱり今の子は、情報化社会に生まれついたことですよね。SNSの普及もあるし、先ほど話題に上がったサブスクリプションの音楽サービスをはじめ、過剰なまでの便利さが日常に溢れているわけです。そのことが、今の子どもたちにどのような良い影響、悪い影響を及ぼすのだろうかという点はまだ僕にもわかりません。

これから大人になっていく大事な時期に、友だちづきあいをするにしても、自分だけの表現をしていくにしても、SNSなどが発達しすぎて、人間が心を開くことすらも、何か今とは違う形に置き換わっていくのかもしれない。

判断力のある子に育てるために、肉親でありながらも第三者の目が持ちやすいじいじとばあばの経験値を活かして、孫を観察し、見守っていかなければなりませんね。

それから、「故きを温ねて新しきを知る」じゃないですけど、できるだけ自分が経験したことを孫にも伝えるようにしています。僕は今、73歳。僕ら団塊の世代は、自分の親父が戦争に行って帰ってきている人が多い。戦争に行った人と暮らすことで、見聞きした経験もあるわけです。実際に今、世界のいろいろなところで戦争が起きている。自分が生きてきた時代の話も実感を持って伝えていくことで、孫たちの情緒を育んでいけたらいいですよね。

(取材・執筆=横山由希路 撮影=塩谷哲平 編集=モリヤワオン/ノオト)