神社に行くと、その年の男女の厄年が記されています。ほとんどの神社では厄年のお祓いや厄除けの祈祷などを受けることができます。その中でも特徴的な、厄除けの神社をご紹介します。
厄年の確認には、晴明神社の厄年早見表も参考にしてみてください。
1.晴明神社-祭神は安倍晴明
陰陽師安倍晴明公をお祀りする神社で、方除け、火災除け、病気平癒の神として信仰されています。1990年ごろから、映画、マンガ、小説などで、「陰陽師」「安倍晴明」が鬼や悪霊を退治するヒーローとして熱狂的なブームが起き、全国からの参拝者が増えたといわれています。
一条天皇が、晴明公の死後、功績を讃え、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡の堀川通沿いの一条上るに創建されました。
1-1.陰陽師 安倍晴明
祭神の安倍晴明公は平安時代に朱雀天皇から一条天皇まで6代の天皇に従えた天文学者で、天文暦学から独自の「陰陽道」を確立しました。
また、式神を思いのままに操る霊術を修得したほか、天体を移り行く星や雲の動きを観察し、吉凶を言い当て、朝廷をはじめとした当時の民衆の信望を集めたといわれています。
晴明公は唐に渡り、伯道仙人から教えを受け、帰国後、これをもとに日本独特の陰陽道を確立しました。今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法はこのときにつくられたものです。
1-2. 晴明桔梗 五芒星
五角形の星形をした五芒星の晴明桔梗は晴明神社の社紋で、魔除けの印として、境内の建物やお守り、お札など、あらゆるところに古くから使われており、晴明神社のシンボル的存在です。
1-3.晴明井
晴明井は、安倍晴明公の念力で水が湧き出したといわれ、飲むと病気平癒の御利益が得られると伝えられる吉祥の水とされています。水が湧き出るところは、その年の恵方を向いています。恵方は毎年変わりますので、立春の日にその向きを変えます。
また、千利休が晴明神社の地に住んでいたともいわれ、晴明井を使って茶会を開いていたのではないかと歴史のロマンを感じさせる場所です。
2.今宮神社-疫病退散
晩秋に行く京都の見どころ|大徳寺と東山に見る京の歴史と荘厳でも紹介した大徳寺の近くにある神社です。平安建都以前から、今宮神社のある紫野は疫病や災厄を鎮める地とされていました。
都の悪疫退散を祈り御輿を造営し、紫野御霊会を営んだのが「今宮神社」の起源で、1001年(長保3年)に疫病が流行したため、疫神を鎮める神社として創建され、それ以降一貫して疫病退散の神様として信仰されています。
また、「玉の輿」の語源となった五代将軍、徳川綱吉の母、桂昌院があつく信仰した神社としても知られており、別名、玉の輿神社とも呼ばれています。
桂昌院は西陣の八百屋に生まれ、三代将軍家光の側室となり、後に五代将軍の徳川綱吉を出産し、従一位の位まで昇りつめました。将軍の母となってからも、今宮神社へ参拝や寄進をされていたそうです。
2-1.疫社 織姫社
境内には本殿のほか、摂社や末社などの社が多くあり、散策を楽しむ人も見られます。いくつか社を参拝されることをおすすめします。本殿左横にある疫社(えやみしゃ)は文字どおり疫をしずめる、病気を退散させる神様です。
鞍馬の火祭、太秦の牛祭とともに、京都の三大奇祭といわれる「やすらい祭り」は疫社の祭礼です。桜が散るころは疫病の原因となる疫神も飛び散るため、美しい春の花傘で疫神を封じこめようというお祭りで、毎年4月の第二日曜日に行われます。
その左横にある織姫社の祭神は、七夕伝説の織姫に機織りを教えたともいわれる神様で、江戸時代に西陣の織物業者が祀ったといわれています。門前には経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を通す杼(ひ)という織物道具が献納されています。
西陣の人たちや織物関連の人たちに親しまれ、信仰されています。
2-2.阿呆賢(あほかしさん)
「神占石(かみうらいし)」ともいわれ、石に心を込めて、病気平癒を祈り、石を軽く手でなで、身体の悪いところをさわれば、健康の回復を早めるといわれています。
また、「重軽石(おもかるいし)」ともいわれ、まず軽く手の平で三度石を打ち、持ち上げるとたいそう重くなり、再度願い事を込めて三度手の平でなでて持ち上げます。軽くなれば願いが成就するといわれ、挑戦する人も多くみられます。
2-3.女性に人気 お守り 御朱印
桂昌院ゆかりの神社ということもあり、女性の人気を集めています。
玉の輿お守りや神社創建を詠んだ和歌が書かれた3面の御朱印、疫病を取り除くことを祈願する御朱印など、ユニークなお守りや他では見られない御朱印もあります。これらを楽しみに参拝に来られる方もいらっしゃいます。
2-4.あぶり餅
今宮神社の東門の門前に道路をはさんで二軒のあぶり餅の店があります。門前に向かって右側が今宮神社の創建と同じころ創業の一和、左側が江戸時代創業のかざりやです。
どちらのお店も長さ20センチほどの串に、親指大にちぎった餅をきなこをつけて炭火であぶった後、白みそをつけて食べます。メニューは一人前600円のあぶり餅のみで、餅の形も店内の雰囲気もよく似ており、甲乙つけがたい感じです。
すっかり今宮神社界隈の風景の定番になっています。平日でも列に並んで30分、店の席に座って30分、計1時間以上かかることもあり、時間に余裕をもって行くことをおすすめします。
3.市比賣(いちひめ)神社―女人厄除け
京都の河原町五条にある小さな神社です。祭神は全て女神様をお祀りしていることから女性の守り神とされ、「女人厄除け」の神として女性の参拝者が全国から絶えません。
歴代の皇后陛下が参拝した神社としても知られています。5柱の祭神は伊勢神宮、八坂神社、出雲大社、稲荷大社、賀茂神社の祭神と関連があり、多くの御利益があるといわれています。
歴史は古く、平安京遷都の翌年西暦795年に官営の京の東西の市を守護する神社として、桓武天皇の命で創建されました。場所は現在の西本願寺のある堀川五条から七条のあたりで、東西の市を社領地として、東の市に鎮座していました。豊臣秀吉の時代に現在の地に移転しました。
3-1.女人守護
良縁、子授け、安産、子育てなど女性のすべての願いに御利益があるといわれています。
皇室や公家の信仰があつく、清和天皇から後鳥羽天皇の後鳥羽天皇の27代にわたって、皇子、皇女のご誕生ごとに境内の「天之真名井」の神水が産湯に使われました。
神社は東か南に向けて建てられる場合が多いですが、市比賣神社は御所の方向、北に向けて建てられています。
女性に圧倒的に人気があり、姫だるまのおみくじやカード型の女性向けの授与品が多く、境内には女性の願いが書かれた絵馬があふれています。
節分の前の日曜日には和服を着た女性が勢ぞろいし、その年の厄除けを祈願する女人厄除けまつりが行われます。
3月3日のひな祭りには、女人守護のひいな祭りが行われます。大きなひな壇が作られ、五人囃子の雅楽に合わせ、三人官女の舞が披露されます。
3-2.五十日百日之祝儀(いかもものしゅうぎ)
京都では平安時代より公家から庶民まで幅広く行なわれていた風習で、現在も続いています。生後五十日目か百日目を迎える日に、市比賣神社に参拝し、子どもの口に「五十顆之餅」(いかのもち)を含ませ、無事な成長を祈願します。
現在のお食べ初め(お食い初め)の発祥として知られています。源氏物語など多くの古典文学にも描かれ、近年では愛子内親王に「五十顆之餅」が献上されました。
3-3.市場守護
平安京唯一の守り神として創建されたことから、現在まで市場守護、商売繁盛の神様としても親しまれています。昭和2年に京都初の中央市場が開設されたときには分社として、市場内に「市姫神社」が建てられ、市場で働く方々の守り神の役目も果たしています。
おわりに
年末年始に京都で参拝する厄除けの神社をご紹介しました。
晴明神社の祭神は1990年代に陰陽師のブームで女性のアイドルになった安倍晴明です。今宮神社は玉の輿の由来となった桂昌院があつく信仰した神社です。御朱印も女性向けに工夫されています。そして、祭神がすべて女神の市比賣神社。京都で女性には見逃せない3つの神社ですが、男性の方も遠慮せずにお参りください。