ジャポニズム 昔ヨーロッパでは日本ブームが起きていた【西洋美術史⑥】

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ジャポニズム 昔ヨーロッパでは日本ブームが起きていた【西洋美術史⑥】

「ジャポニズム」という言葉を知っていますか?

日本は江戸時代末期の1854年に開国しました。欧米に影響を受けて、日本が大きく変化していったことはよく知られているかと思いますが、実はヨーロッパも日本から大きく影響を受けています。

日本の漫画や浮世絵、生地や家具、着物などの日本文化はヨーロッパでは斬新なもので、芸術家たちも衝撃を受けていきました。次第に「ジャポニズム」という美術界の作風の動きへとつながります。

今回は、日本の開国から海外で起きた日本ブームの「ジャポニズム」というテーマで西洋美術史を見ていきましょう。

1.日本ブームの到来

日本が1854年に開国したことにより、欧米に日本文化が紹介されるようになります。まず1850年代後半から次第に、日本の品がヨーロッパで注目され始めました。

フランスでは1856年に画家フェリックス・ブラックモンが日本の漫画に衝撃を受けたといわれています。安価だった漫画は、陶器製品を包むための紙として用いられていたのですが、フェリックス・ブラックモンは陶器以上にその包まれていた紙に興味を持ちました。これは日本人画家、葛飾北斎の『北斎漫画』ではないかといわれています。

北斎の描いた漫画
北斎の描いた漫画 出展:wikiart

また、既に日本の製品を売るお店がパリにオープンしていたことも知られています。小説家のドモン・ド・ゴンクールがパリのお店で、日本製品を買ったことを日記に記していました。1861年の日記には「これほど驚異的で、奇抜で、これほど詩的な賞賛すべき芸術品を私は見たことがなかった」とあります。(小山ブリジット『夢見た日本』より)

イギリスでは1862年のロンドン万国博覧会にて日本の陶器や置物が紹介され、日本への関心が高まっていきました。1885年にはロンドンで「日本村」という展示が行われています。展示「日本村」は1887年までの2年以上行われましたが、展示では日本人男女100人が雇われ、日本の村落を再現しています。

日本村
「日本村」の写真 出展:Wikimedia Commons

「日本村」には演出家のウィリアム・S・ギルバートが訪れ、日本人出演者に立ち居振る舞いを教わったというエピソードがあります。ウィリアム・S・ギルバートは日本風の登場人物が登場するオペラ『ミカド』(1851年)を発表し、盛況となりました。『ミカド』は以降世界で何度も再演されている人気作品です。

「ミカド」
現在も人気のオペラ『ミカド』 出展:Wikimedia Commons

2.絵画に日本の様子が現れていく

絵画では、まず作品の中に日本の製品が描かれるようになったことが最初の影響です。例えばこちらの肖像画では壁に浮世絵が飾られていることが分かります。

1866年 エドゥアール・マネ《エミール・ゾラの肖像》
1866年 エドゥアール・マネ《エミール・ゾラの肖像》 出展:Wikimedia Commons

小説家エミール・ゾラの肖像ですが、エミール・ゾラも壁に浮世絵を飾っていたということでしょうか。日本の江戸時代の浮世絵は、版画で大量生産され、庶民にも安価に流通していたものです。芸術家たちも浮世絵は安価に収集できるもので、作品作りの大きな参考になったはずです。

そして、日本への関心の高さが特に現れた作品はこちら。描かれているのは白人の女性ですが、着物、うちわ、扇子と、日本の製品が色鮮やかに描かれています。

1876年 クロード・モネ
1876年 クロード・モネ 出展:WikimediaCommons

しかしまだこの段階は西洋の遠近法で描かれた絵でした。絵の光や影の描き方は西洋風で、まだ手法には浮世絵の影響はありませんでした。日本の浮世絵は、光や影がなく平面的で、黒い線ではっきり区切られ、当時の西洋画とは大きく異なるものでした。

菱川師宣《見返り美人図》 17世紀末ごろ
菱川師宣《見返り美人図》 17世紀末ごろ 出展:WikimediaCommons

3.「ジャポニズム」という運動に

しかし、日本の描き方そのものを真似する画家が登場し始めます。中でも特に影響を受けていたのがフィンセント・ファン・ゴッホでした。フィンセント・ファン・ゴッホは歌川広重の描いた作品を模写し、こちらの絵を描いています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《雨の大橋》(1887年)
フィンセント・ファン・ゴッホ《雨の大橋》(1887年)出展:wikiart
歌川広重《大はしあたけの夕立》
歌川広重《大はしあたけの夕立》出展:WikimediaCommons

ゴッホは浮世絵に影響を受けつつ、平面的ではっきりした輪郭線のある作品を制作していきました。肖像画を真似た作品もあります。

フィンセント・ファン・ゴッホ《花魁》(1887年)
フィンセント・ファン・ゴッホ《花魁》(1887年) 出展:wikiart

フィンセント・ファン・ゴッホ《タンギー爺さん》(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ《タンギー爺さん》(1888年) 出展:wikiart

特に日本好きがよく現れた作品がこちらの《タンギー爺さん》です。タンギー爺さんは筆や絵具などを売る画材屋さんで、貧しい画家にも理解ある人でした。作品の優しい描き方や、背景の浮世絵らしい雰囲気はフィンセント・ファン・ゴッホのタンギー爺さんへの愛が感じ取れますね。

フィンセント・ファン・ゴッホは日本で人気の高い画家ですが、その理由にはフィンセント・ファン・ゴッホ自身が日本が大好きだったこともあるでしょう。(ゴッホについては『ゴッホの絵は色彩と感情を味わおう【西洋美術史⑤】』をお読み下さい)

こうした日本の描き方に影響を受けた西洋美術は『ジャポニズム』と呼ばれています。19世紀末から20世紀頭にかけて、フィンセント・ファン・ゴッホのみならず他の画家も影響を受けた作品を残しました。

グスタフ・クリムト(1916年)《Fredericke Maria Beer》
グスタフ・クリムト(1916年)《Fredericke Maria Beer》出展:Wikiart

4.日本庭園を作った画家モネ

影響を受けた画家の中でも、また違った形で影響を受けているといえるのは画家クロード・モネです。クロード・モネは印象派の美術運動を起こした画家ですが、晩年の30年は《水連》をひたすら描いたことでも知られています。(印象派については『美術史で出てくる「印象派」これ実は悪口なんです…【西洋美術史解説②】』 をご覧下さい)

《Water Lily Pond》(1917-1919年)
《Water Lily Pond》(1917-1919年) 出展:Wikiart

クロード・モネはなんと家族の家に日本庭園を作りました。クロード・モネは同じ場所をいろんな季節や時間帯で描く作家でしたが、まず太鼓橋を中心に水連の池を描いた作品を多く制作していきます。

《The Japanese Bridge (The Water-Lily Pond)》(1897 - 1899年)
《The Japanese Bridge (The Water-Lily Pond)》(1897 – 1899年) 出展:Wikiart

次第に作品も変化し、水面に映る空や柳を中心に描くようになりましたが、最初に水連を描いた1895年から亡くなる1926年まで約30年間も水連を描き続けています。1年間で移ろい続ける睡蓮に魅力を感じたのか、それとも「一蓮托生」(結果に関わらず行動や運命を共にする意)とあるように何か決意や思いの象徴だったのかは分かりません。

そんなクロード・モネの庭ですが、実は日本の高知県北川村にも「モネの庭マルモッタン」 という庭園があります。

「モネの庭マルモッタン」
出展:Wikimedia Commons  (撮影 京浜にけ)

クロード・モネが残した庭はフランスのジヴェルニーにありますが、1999年に北川村はジヴェルニーとの交流から、クロード・モネの庭を再現した庭作りを行いました。クロード・モネの庭を真似た睡蓮のある庭は多くあるのですが、規模が大きく、フランスのモネ財団からも「モネ」と名乗ることを許可されているのは「モネの庭マルモッタン」だけです。

気になった方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

『北川村 モネの庭 マルモッタン』

所在地 高知県安芸郡北川村野友甲1100番地
最寄り駅 JR土讃線 奈半利駅から北川村行きバス「モネの庭」停留所
公式ホームページ 『北川村 モネの庭マルモッタン

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