季節の変わり目・変化の多い時季
冬から春、春から夏など、季節の変わり目はとかく不調になりやすい時季になります。特に春が始まった頃から初夏にかけては花粉症や気温差、花冷えといった外的要因もさることながら、就職や新学期といった環境の変化や、会社や学校も年度が替わり、気持ちを切り替えないといけないなど、この時期は何かと慌ただしくて内面的な要因も大きく重なってきます。
そのような状況のなかで、気持ちを振り絞ってどうにかこうにかやってきたという方も多いのではないでしょうか。その状況が1ヵ月が過ぎ、ようやく馴れてきたかなというときにゴールデンウィークが始まってやれやれと一息をつく。長期の休み期間中に、緊張の糸が切れてしまって、逆に体調を崩すという方もいらっしゃいます。このような不調や身体と心の変化のことを、いつの頃からか「五月病」と呼ぶようになりました。症状がひどい場合ではひとりでは解決し難い状況もありますので、五月病を甘く考えないようにしましょう。
不定愁訴(ふていしゅうそ)の五月病
この五月病の体調不良が起きた身体の状況を突き詰めていくと、交感神経と副交感神経、つまり自律神経のバランスが崩れてしまっているということになります。自律神経は、意識せずとも身体の全体の機能をコントロールしてくれていますので、一度不調を感じてしまうと症状は多岐にわたることになります。いわゆる「不定愁訴」というもので、睡眠がうまくとれない、頭が重くぼーっとする、やる気が出ない、イライラするなど、その症状は身体と心の全体に現れ、また厄介なのは一人ひとりに出てくる症状が違ったり、一人でたくさんの症状を抱えたりすることもあります。
こういった不定愁訴に強いのが東洋医学・中医学です。
東洋医学・中医学の世界では、身体と心は「心身一如(しんしんいちにょ)」といって、身体も心もどちらも切り離せない全体でひとつであるという考え方があります。
また、「整体観念(せいたいかんねん)」といって、身体を部分で切って観ていくのではなく、身体と心を全体として捉える見方が基本になっています。五月病はさまざまな症状が出てきますが、一人ひとりの心と身体の状態に寄り添いながら、それぞれのタイプに対応する漢方薬を選んでいくことで解決の糸口を見つけていくことができます。
心に効く漢方薬
いつの頃からかストレス社会といわれるようになり、現代に生きる私たちにとって、精神的なストレスが全くない人はいないでしょう。しかし、この傾向は今に始まったことではなく、東洋医学が生まれた2000年以前からすでに心の病は存在し、それに苦しんでいる方がいたことが古医書(東洋医学・中医学にまつわる古い医学書)を読んでいるとわかります。そして、そういった心の不調に効く漢方処方を、古来から多くの医家たちがさまざまに生薬の組み合わせを考えてきた歴史があります。
もちろん、今と昔とでは、現代の方が比較にならないほどストレスの量も質もはるかに膨大なものになっていることは明らかです。が、しかし、それでも漢方薬は現代の心の悩みに効果があることが臨床の現場や科学的な検証からも実証されてきています。
そこで、ここでは、五月病によくありがちな症状とその漢方処方について述べておきます。
やる気が出ない場合の漢方
帰脾湯(きひとう)
漠然とした不安感があり、考え込むことで体調が崩れていくようなときに使われるのが帰脾湯です。心が疲れているばかりではなく、身体もだるいときに利用されます。特に立ちくらみ、顔色が悪いといった貧血の症状があるような場合はより適応になります。四君子湯という胃腸を元気にする漢方薬がベースになっているので、やる気がでなくてさらに食欲がなくなっている方にも利用できます。
香蘇散(こうそさん)
気分が優れないとき、やや気分が暗くなっているときなどに有効です。風邪の極初期や胃腸が虚弱な方にも使われる漢方薬なので、気分の落ち込みと胃腸の不調、風邪っぽさが連動しているような人にも適応します。気持ちが落ちると免疫力が低下することも最近は立証されていますので、風邪をひきやすいというのも、五月病のひとつとして考えてもいいでしょう。香蘇散は気持ちが明るくなるような効果が期待できます。
気疲れする場合の漢方
補中益気湯(ほちゅうえっきとう)
補中益気湯は、「気虚(ききょ)」といって、身体を動かす動力である「気」というエネルギーが不足しているときに多く使われます。気というエネルギーは、身体と心のエネルギーですから、それが減るとさまざまなところのエネルギーが不足し、その結果、心や身体が動かなくなります。「あーしんどい。」「疲れたなぁ〜」というようなエネルギー不足を感じたときが目安になります。また、補中益気湯は、免疫系のバランスを整えることでも知られていますので、疲れが溜まって風邪をひきやすくなっているときなどにも効果的です。
小建中湯(しょうけんちゅうとう)
小建中湯は小児科にも使われるとても優しい漢方薬です。小建中湯の本来の目的は胃腸の力を立て直すことにありますが、東洋医学・中医学では、胃腸は栄養を作る元気の要として捉えていますので、気疲れで失った元気を取り戻すために、まず胃腸の働きを戻してあげることも気力を復活させる一助になります。このような作用メカニズムから、小建中湯が気疲れにもよく使われることがあります。飴糖が入っているので、甘く飲みやすい漢方薬です。
喉の詰まりを感じる時の漢方
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)
ストレスが溜まってくると、喉の詰まりを感じる方も少なくないと思います。喉の詰まりを感じて咳払いをしても通りが良くならず、またそこに何か物が詰まっていたり、腫瘍ができているわけでもない、でも喉が詰まる…。こういったストレスによる喉の詰まりのことを、東洋医学・中医学用語では「梅核気(ばいかくき)」といいます。これは、「梅の種が詰まっているような感じがする」というのが語源ですが、言い得て妙な表現ですよね。
このような梅核気によく使われるのが半夏厚朴湯です。ストレスによる不安や気分の変調によって生じる喉の違和感は、それがために鬱陶しくてストレスが増して悪循環につながっていきます。半夏厚朴湯はそのような不快感を取り除き、気分を明るくしてくれます。
考え込みやすい・不安定な精神状態の時の漢方
加味逍遥散(かみしょうようさん)
加味逍遙散は、日本では更年期の女性によく使われる漢方処方のひとつですが、更年期だけではなく、五月病のような精神的な不安定さがあるときにも使われます。適応の特徴としては、考え込んでしまう傾向が強くなってきて、不眠、肩こり、動悸、めまいなどなど、不快な症状(不定愁訴)がたくさんあって挙げきれないような、あれもこれも症状として捉えてしまうようなとき、または、不満が溜まって周りに迷惑をかけてしまうくらいに当たってしまうようなとき。脇腹がはる、便通がうまく出ないといった状況も適応の目安になります。
四逆散(しぎゃくさん)
四逆散のイメージは、”ドロドロとした精神や社会状況”。精神的にも、社会的な状況においても、なんだかモヤモヤとして頭がいっぱいいっぱいになっているときが四逆散が適応するイメージです。左右の腹直筋が硬く緊張したり、肋骨のところに強い張りを覚えるといった身体的な特徴が出ることもあります。憂鬱感、寝つきが悪い・夜中に目が覚める、残便感といった三つの症状が重なるときは特に利用する価値があります。ただし、胃腸が比較的丈夫な方に使われることが多い漢方薬であることは注意しておきましょう。
睡眠のリズムが崩れている時の漢方
酸棗仁湯(さんそうにんとう)
酸棗仁湯は入眠障害や中途覚醒に使われる漢方薬ですが、睡眠のリズムそのものを整えてくれる効果が期待できます。五月連休で連日夜更かしをしてしまって、昼間眠くなってしまう人などにも有効になります。また、心身を酷使していると、身体も心も著しく疲弊しているにもかかわらず、精神が昂って眠れないということがありますが、こういった状況にも有効になります。酸棗仁湯には、クセになるような常習性がないこともありがたい存在です。また、睡眠のリズムを調整するものなので、昼間飲んでも眠くなるようなこともないのが酸棗仁湯の良いところでもあります。1日3回飲んでいるうちに、自然と眠りのサイクルがやってくるということがあります。
桂枝加竜骨牡蠣湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)
桂枝加竜骨牡蠣湯は、痩せ型で体力が弱く、その一方で興奮したり動悸が強い方に使われる漢方薬で、精神を安定させ、眠りを安定させる作用が知られています。変な夢が多くて起きた後に夢見が悪い方にも。また、自信を失っているときなども処方のポイントになりますので、この時季に環境が変わって仕事がうまくいかない、勉強についていけないといったことが背景にあるときはより効果的になります。
睡眠に関しては、その他に、記述している帰脾湯、四逆散なども候補になります。
まとめ
漢方薬の歴史は2000年以上あります。それらが今日までしっかりと命脈を保ってきているのは、そこに効果があるというシンプルなエビデンスがあるからに他なりません。そして、2000年前に漢方薬を作り出した医家たちが、その時点ですでに身体だけではなく、心の状況もしっかりと把握していたことに驚きを隠せません。それが今のこのストレス社会にも利用され、助けられているというのもまた、漢方薬の興味深いところでもあります。
ここに述べました漢方薬は薬局・薬店で簡単に手に入るものばかりですので、五月病に悩まされている方は、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。ただし、東洋医学・中医学では、一人ひとりの身体の状況を把握しながら処方を考えていくものなので、最終的にどれを使ったらいいか判断がつかないときは、より慎重に検討されるためにも、漢方薬に詳しい医師または薬剤師や登録販売者が常駐する病院、薬局・薬店でご相談することをおすすめします。
また、ここに挙げました漢方薬はほんの一部ですので、皆さまの心身の状態によりましては、他の処方を出されることもあります。しかしそれは実際目の前にいらっしゃった皆さまの症状を見て各先生が判断したものですので、異なって当然であります。いずれにせよ、漢方薬の場合であっても、処方されたときはその意図をしっかりと伺っておきましょう。
これから漢方薬がより一層見直されてくると思いますので、ひとつの参考として読んでいただき、日常生活の養生にご活用していただけたらと思います。
※五月病は季節による心身の変調という定義でこの記事を書きました。しかし、より深い精神的な病の場合もありますので、漢方薬を飲んでもあまり効果を感じない場合は、しかるべき医療機関を受診なさってください。