高齢化社会における認知症対策や、共有不動産の管理問題など、不動産相続で発生しうる課題を解決する手段として有効な「家族信託」。本稿では、家族信託の仕組みと導入前に知っておくべき注意点について、司法書士の近藤崇氏が解説します。
「認知症で資産凍結」「相続で家族崩壊」…“何もしない”ことの恐るべきリスク

高齢社会の日本では、65歳以上の5人に1人が認知症を発症すると推計されています。実際に司法書士の現場で特に多く見られるのが、親の認知症をきっかけに生じる「資産凍結」と「争族(相続トラブル)」という二大問題です。
父の認知症で、不動産も家族関係も“塩漬け”に
ある都内に住むご家庭のケースです。高齢の父には3人の子どもがおり、自宅のほかに小規模な賃貸アパートを所有していました。
ところがその父が認知症を発症。その瞬間から、法律行為が一切できなくなり、不動産の名義変更や売却、大規模修繕、さらには遺言書の作成さえも不可能になってしまいました。
アパートは老朽化が進んでいましたが、子どもたちは将来誰のものになるかわからないため、修繕にも踏み切れません。
しかし、建物の維持管理や固定資産税などの税金などの経費はかかり続けます。やがて、不動産の管理方針を巡って子どもたちのあいだで口論が絶えなくなり、家族関係は急速に悪化していきました。
結局、資産を動かせず、不動産管理の停滞と相続人間の不和という“二重の負担”を招きました。
もし父が元気なうちに「家族信託」を組んでいたら、事態はまったく違っていたでしょう。
後継者となる子を受託者としてアパートに信託を設定することで、父の判断能力が失われたあとでも、その子による売却や修繕も柔軟に行うことが可能でした。結果として、資産価値を守り、スムーズに次世代へ繋ぐことができたはずです。
解決策としての「家族信託」とは?

従来の相続対策は「遺言書」と「成年後見制度」が中心でした。近年注目される「家族信託(民事信託)」は、この2制度の“間”を補う仕組みです。
家族信託のメリット
一般的に、遺言書は比較的手軽に作成することが可能ですが、あくまでも「点」での対策になります。遺言は「遺言者の死亡後」に効力が生じるため、生前の財産管理や二次以降の承継設計まではカバーできません。
そのため、「子に相続させた不動産を、孫に相続させたい」というような柔軟な設計をすることは不可能です。たとえば、「自分が死んだら妻に、妻が死んだら子に」といった二次相続以降の指定はできません。
成年後見制度は、認知症の方の財産を「守る」ことには長けていますが、家庭裁判所が後見人を選任・監督するため、資産の売却や活用といった積極的な管理には向いていません。
後見人を決めるのは「家庭裁判所」であり、家族の事情で決めるものではないため、非常に強い財産管理権限を持ちます。たとえば、相続人の誰かがお金を使い込んでいたり、悪徳商法に騙されたりする可能性がある場合には、非常に有用な手段といえます。
また、そもそも成年後見人制度は対象者が「亡くなる前」の制度であり、遺言のような「亡くなった後」の資産承継を考える相続対策とは相反するものです。
家族信託は、遺言や成年後見制度の弱点を補う契約型の仕組みです。元気なうちに信頼できる家族に財産の管理や運用を任せておくことで、認知症による資産凍結を防ぎ(成年後見に近い役割)、さらに、自分の死後の資産承継先まで指定できます(遺言に近い役割)。
親から子、孫へと、世代を超えて資産を受け継ぐ設計ができる点が、家族信託の最大のメリットです。
仮に生前において、信託財産を売却などしなかったとしても、残余財産の帰属先を設定することで、遺言書と同じような使い方をすることができ、一石二鳥の面もあります。
家族信託のデメリット
家族信託は契約であるため、法律や税務などの専門知識が不可欠です。そのため、一般的には司法書士などの専門家へ依頼することになり、契約書の作成に一定の費用がかかるという側面もあります。
特に注意すべきは税務リスクです。信託契約の設計内容によっては、贈与税や譲渡所得税の課税対象となる場合があります。契約時に税理士・司法書士双方の確認を行うことが重要です。
たとえば、信託を設定した際に、そもそも委託者と受益者が異なる場合には、信託開始時に贈与税課税の対象となる可能性があり、知らずに契約してしまうと想定外の税負担が生じます。
信託については、委託者と受益者が同一人物の信託を「自益信託」といい、これに対して、委託者と受益者が異なる信託を「他益信託」といいます。家族信託は、委託者と受益者が同一となる「自益信託」が基本です。
一方で、報酬を得て人のために継続的に受託する「他益信託」は、信託業の免許対象となります。
「受益権」が移転すると、税務上は財産の移転があったとみなすのが通例となっているため、この「受益権」について多くの専門家は細心の注意を払うのではないでしょうか。
家族信託の賢い活用法

では、実際に家族信託をどう活用すればよいのでしょうか。
不動産との相性は抜群
まず、家族信託の入り口として、不動産から検討することが一般的です。家族信託は、特に不動産との相性が抜群だという特徴があります。
日本の不動産は登記制度が整備されており、「登記事項証明書」で権利関係を確認できます。信託登記により「信託財産」である旨を明確化でき、売買時のトラブル防止にもつながります。
この登記簿に、不動産が家族信託の対象であることを登記できるため、家族信託は不動産を中心に活用されています。実際、過半数以上の家族信託には登記の専門家である司法書士が関わっているともいわれています。
一度家族信託である旨が不動産に登記されると、売買の際にも信託財産であることが明らかになります。そのため、買主にとっても安全に取引を進めることができます。
金銭管理には「信託口口座」という課題も
一方、金銭には不動産のように、登記簿や第三者への公示の制度がないため、管理が少し複雑になります。
金銭を信託する場合は、専用の「信託口口座」を開設するのが理想です。ただし、対応する金融機関は限定的で、実務上は既存口座を分離管理する形が多く見られます。
信託口口座を開設できるかどうかは金融機関によって対応が異なり、自社の信託商品利用者などに限定している銀行も少なくありません。この点は、家族信託における現状の課題といえるでしょう。
そのため、委託者個人の既存口座の一つを信託財産管理用として明確に分け、厳格に「分離管理」する、といった対応も多く見られます。
口座名に「信託口」と明記できなくても、信託財産と個人資産を明確に区分することが重要です。信託の根幹は「分離管理」にあり、実務上は委託者個人の既存口座を信託財産用として明確に分ける対応も多くみられます。
おわりに…元気なうちにしかできない選択
家族信託は、不動産相続で起こりやすい資産の凍結や争いごとを防ぐ、非常に有用な制度です。しかし、遺言と同様、認知症が発症してからでは契約を結ぶことはできません。
家族信託は契約行為であり、意思能力があるうちにしか設定できません。親が元気なうちに、家族で将来について話し合い、専門家と設計しておくことが、資産と関係性を守る最善策です。
※本記事は公開時点の情報に基づき作成されています。記事公開後に制度などが変更される場合がありますので、それぞれホームページなどで最新情報をご確認ください。