日本美術といえば、仏像や浮世絵などを思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、日本美術の始まりを遡ると縄文美術が始まりともいえるかもしれません。
縄文時代には、土器や石器、土偶などの道具が作られました。縄文土器は、学校の歴史にも登場するように、縄文人の食器です。しかし、単なる食器ではなく、実用性から離れた装飾が施されたもの、巨大なものがあります。また、土偶は完全に実生活から離れた芸術といえるでしょう。そこには、太古の宗教性や天地との関わりを見ることができます。
このコラムでは、縄文美術にはどんな意味や評価があるのか、そしてどこで見ることができるのか、紹介します。
1.縄文土器は定住生活の証
縄文時代が正確にいつからいつまでかは諸説あるのですが、約1万6千年前から2800年前までの1万年以上の長い時間です。(小川忠博『新版 縄文美術館』より)
縄文時代は、縄目の文様のついた「縄文土器」の発見から名づけられました。人類学者のエドワード・モースは、1877年に大森貝塚を発見しました。横浜から新橋へ向かう列車の窓から、崖に貝殻が積み重なっている場所に気づいたのです。その後、調査を進め、縄文土器を発掘しました。
縄文土器は、定住生活が始まったことを意味しているといわれます。旧石器時代は遊牧的な生活でした。キャンプ生活を行い、黒曜石を先端につけた槍や弓を使い、ナウマンゾウなどの大型の動物を捕らえて生活していました。縄文土器が誕生した理由ははっきりと分かりませんが、縄文土器が作られるようになった頃には、中小型の動物の狩猟をし、土器を用いて貯蔵や煮炊きをする定住生活になったといわれています。
現在発掘されている遺跡や石器の分布から、縄文時代には20人程の集落で定住生活が行われ、集落間でも婚姻などの交流もあったことが知られています。社会が既に形成されており、また縄文土器の模様や、宗教的な土偶、そしてピアスやネックレスなどの装飾具などからは芸術も楽しまれていることが分かります。
2.縄文土器を美術と見た岡本太郎
縄文時代の発掘品を最初に美術と見た人物が、画家の岡本太郎です。
岡本太郎は1951年、東京国立博物館で縄文土器に出会います。出会いは偶然でしたが、岡本太郎にとっては運命の出会いだったようで、1年後には雑誌に『4次元との対話―縄文土器論』を寄稿しています。この岡本太郎の寄稿文が、きっかけとなり縄文土器が美的視点で見られるようになりました。
その後岡本太郎は、自らのカメラで縄文土器を撮影し、1955年に著書『日本の伝統』を発表しました。そして、1970年に完成した「太陽の塔」の中には、土偶や仮面の展示スペースが作られています。「太陽の塔」全体の形も土偶に寄せたデザインです。岡本太郎は縄文美術に、日本人の太古の「人」と「自然」を感じ、表現を完成させていきました。
日本では、その後埴輪や古墳などの芸術が生まれていきますが、縄文美術の延長として見ることができるかもしれませんよね。
世界でも、先史以前に制作された彫刻や壁画は多くあります。フランスのシニャック洞窟やフランスのラスコー洞窟などが有名ですが、これらは「原始美術」といわれています。
岡本太郎だけでなく、パブロ・ピカソなど世界の芸術家たちが「原始美術」の影響を受けていることが知られています。そこには、昔と変わらない人の感受性や、文明化される前の芸術と今の芸術のつながりを見つけ出そうとする意志があるのでしょう。
3.縄文美術はどこで見られる?
縄文時代の遺跡や博物館は日本各地にあります。しかし、その中でも特に縄文美術が多く出土してきた地域、文化遺産になっている地域もあります。
おすすめのスポットとして以下の3つの場所を紹介します。気になった方はぜひ縄文の歴史や文化、自然の風景を味わってみてください。また、縄文美術を一気に見たい人には図鑑『新版 縄文美術館』がおすすめです。
まず紹介するのが、2018年に日本遺産に登録された「星降る中部高地の縄文世界」です。八ヶ岳を中心とした中部高地、長野県の8つの市町村(茅野市、 富士見町、 原村、 諏訪市、 岡谷市、 下諏訪町、 長和町、川上村)と山梨県の6つの市町村(甲府市, 北杜市, 韮崎市, 南アルプス市, 笛吹市, 甲州市)からなる地域です。
長野県と山梨県は共に、全国の中でも縄文時代の土器や石器が大量に出土しています。「星降る中部高地の縄文世界」は、縄文時代の黒曜石鉱山がある地域でもあり、遺跡や博物館も大量にあります。
博物館や遺跡はもちろん、登山や温泉も楽しむことができ、心も身体も縄文旅行を楽しめる地域です。特に長野の天然温泉「八ヶ岳縄文天然温泉」は、諏訪の「縄文力」に共鳴して作られた「尖石の湯」があります。
「星降る中部高地の縄文世界」
スポットエリア | 長野県:茅野市、 富士見町、 原村、 諏訪市、 岡谷市、 下諏訪町、 長和町、 川上村山梨県:甲府市、 北杜市、 韮崎市、 南アルプス市、 笛吹市、 甲州市 |
HP | 星降る中部高地の縄文世界 |
「八ヶ岳縄文天然温泉」
所在地 | 〒391-0213 長野県茅野市豊平10246-1 |
最寄り駅 | 中央本線 茅野駅茅野駅西口バスターミナルより路線バス(アルピコ交通)乗車「広見」停留所下車 徒歩約6分 |
HP | 「八ヶ岳縄文天然温泉」 |
縄文時代の遺跡で「三内丸山遺跡」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。2021年7月に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されています。北海道6遺跡、青森県8遺跡、岩手県1遺跡、秋田県2遺跡が登録されました。どこも縄文人が狩猟や採集をするのに適した、山や川の自然溢れる場所です。
中でも、岩手県は登録されている遺跡は1遺跡だけである一方、土偶が日本で一番出土しているのは岩手県です(国民歴史民俗博物館「時期別土偶出土数データの集成(第一版)1992年」より)。
岩手県にある遺跡は「御所野遺跡」という遺跡で、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のなかで南端のため、「南の玄関口」ともいわれています。入口にある「きききのつり橋」という木製歩道橋を渡れば、自然あふれる縄文遺跡の集落が広がります。また、出土した土器や縄文ムラを再現した大スクリーンの映像などを楽しめる博物館もあります。自然も芸術も楽しめる観光スポットです。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」
スポットエリア | 北海道、青森県、岩手県、秋田県 |
HP | 北海道・北東北の縄文遺跡群 |
「御所野遺跡」
住所 | 〒028-5316 岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野2 |
アクセス | JR東北新幹線二戸駅 車で約15分(レンタカーあり)IGRいわて銀河鉄道一戸駅より岩手県北バス御所野縄文公園線約10分 |
HP | 御所野遺跡 |
東京は大森貝塚、縄文土器が発見された場所であるだけではなく、土偶が多く出土していることでも知られています。特に多摩ニュータウンでは、多摩川の森や川のある地形が生活に適していたのか、964箇所の遺跡があります。
その中でおすすめしたいのが、多摩センター駅近くの「多摩埋蔵文化財センター」とその中にある遺跡「縄文の村」です。多摩埋蔵文化財センターでは、土器や石器、資料、歴史などが展示されており、縄文の村では、縄文時代集落に盛土をして当時の多摩丘陵の景観を楽しめます。
体験型のイベントも開催されており、都心の方でも自然に触れつつ、縄文を味わえる人気のスポットとなっています。
「多摩埋蔵文化財センター」
住所 | 〒206-0033 東京都多摩市落合1-14-2 |
アクセス | 京王相模原線「京王多摩センター駅」東口 小田急多摩線「小田急多摩センター駅」東口多摩モノレール「多摩センター駅」 |
HP | 多摩埋蔵文化財センター |